第21話 死についての思索(21)---敗者の死

戦闘とは賭けである。賭けが確率であるならば、戦闘はより確率的である。戦闘の死は、確率の死である。それは必ず精神的な死の終末ではなく、確率的な死の終末である。戦闘の死亡は、その理念において自殺者に劣る。


 勝利とは執念であり、志向的である。偶然の勝利というものなど存在しないといえる。それは確率的な勝利である。勝利者には必ず賭博者の情動のような激しい執念がある。執念は羞恥によって増強され、しぐさを構築し、態度を表明するであろう。


 勝利者の態度は厳格的に躾されるであろう。故に勝利者の習慣は、敗者の習慣よりも確率的である。ゆえに勝利者は、ある場所を占めるであろう。勝利者の群がりは、予測的であろう。勝者はその場所の習慣によって世俗化する。勝者の態度は壇上的である。勝者は常に癪に障る聴衆にに敏感であり、いつでも厳格な戦闘態度で挑む。彼らの態度は明らかに確率的である。その壇上性が勝者なるものから独自を奪うのである。故に、勝者は群がる。


 一方で、敗者は穏便であり、隠遁的であり、その本来の匿名性によって、あらゆる多面を獲得する。最も信用ならぬものとは、敗者の個性である。それはランダムであり、予測不可能であり、計算不可能である。敗者は戦闘に向かう意志の定番を回避しようとする。それを可能にするのが、敗者の自惚であり、過剰な羞恥である。敗者であるという自負は非確率的な内面性の自認である。故に、敗者の死の、その、あらわれ、は予測ができぬといわねばならぬ。独自なる死は、敗者の独自な内面性のランダムにある。その独特な死に方は、思いもよらぬ時に為されたという形で露呈する。その実践は一回性のうちに内包されている。しかも、それは非壇上の死として実行される。故に、その発見は容易ならぬといわねばならぬ。今、この時も、敗者の、その、無数の、その、死、が現象しているといわねばならぬ。それは、現象しているという意味で、確かに、そこに、在っている、といえるだろう。


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