第20話 死についての思索(20)---他者はあなたを殺したがっている。あなたは他者を殺したがっているだろうか?
独力で名を為そうとする若人はいるが、熱烈なる死を為そうとする者はほとんどいないであろう。死ぬることを望ましい目標とする者は、もう稀であろう。死ぬるのは別の目的の結果であって、何も当人は死ぬるつもりはなかったという美談もあろう。
自己の完成の目的が死の完成であることと同一であることは滅多にない。単なる催眠術のような自己暗示ではいけない。淡々とした自己説得で、理路整然と自己を死へと向かわせしめるような実践でなければならない。それは自らがクエスチョンとなるような死に方である。自らが疑問符となるという覚悟が今、求められている。
若人は死に飢えているか?
この問いは常に過剰でなければならぬ。
若人の激しい逸脱は、社会の源泉である。
若人の魂の奇形が、次なる社会への問題提起となる。
若人は、つぎつぎと常識を破る厄介者でなければならぬ。
若人の敏感な社会は、高度に反省的な社会となるであろう。
その社会は道徳と最前線に立つであろう。
死とは所有の真逆であり、重装的人生の真逆である。人生の鎧をひとつひとつ脱いでいくところに死の努力がある。経験によらない新しい欲望を創造せねばならぬ。何故なら、死にゆく魂の経験などは、必ず経験的なものではないからである。それは創造的なものである。
殺戮の欲求は死の欲求である。殺害するものと殺害されることを望むものは同一のものである。能動的に殺戮の欲求を復活させることが急務である。それ故に己の命を死に向かわしめる覚悟が求められている。己の命と他者の命を天秤にかけてみる。さあ、自分を殺すか、自分に殺されるか、である。あらゆる他者性に己への殺害を捉えなければならぬ。他者はあなたを殺したがっている。
あなたは他者を殺したがっているだろうか?
それが己に問われなければならぬ最大の難問である。
理由を探求してはならぬ。
肝心なことは「在らぬものの囁き」を捉えることである。
その微小な聲を、音色として据えることである。
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