第17話 死についての思索(17)---確証のない孤独・全自己と全他者

確証のない人生は一歩も進む気力を失うであろう。確信するためには橋が掛けられていなければならないと通常は考えるのである。それを例えば、無理に性格的なもので補って、橋のない隔たりを泳いで渡るとすれば、いくら知的な性格を持ち合わせていようと、その前進は単なる無鉄砲である可能性がある。


単なる無鉄砲も論理的であるといえるだろうか?

確証を得るためには信仰しかないのであろうか? 

神憑りの幻想に委ねるしかないのであろうか?

特殊な感情を呼び起こすためには牧師の魂の治療が必要なのであろうか? 己自身で己自身を信仰することはできないか?

愛は共同でないと成育されないか?

己一人の愛とは停滞であるか?

自己に忠誠を誓うことよりも他者に忠誠を誓う方がより強固であるか?

自己矯正は本当に可能であり、現実的であるか?


確証のない孤独にはさまざまな懐疑があるだろう。それはさまざまなクエスチョンで埋め尽くされた思索である。そのような思索は吝嗇な生活を求めるだろう。そして、自己自身への偏狭的な生活は自己を滅ぼすであろう。ここで滅ぼされるのは、直線的な行為である。それは、溢れかえった懐疑で無抵抗者として規定される契機となるであろう。


自己救済は他者救済と密接に結びついている。極端に自己中心的な生活は優柔不断の連続であろう。そのような閉じた領域では真に積極的な決断はなされないであろう。故に自己中心的な自殺は新しい死の復活ではなかろう。それは真に告白を拒否した者の静かな死であろう。故に、新しい死は他者と新しい関係性の上で成されるであろう。それは全自己と全他者の総合から為される、その、死、であるであろう。

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