第16話 死についての思索(16)---独自な振動・未知への没落・速さの不幸
己の魂の振動のみを気遣った人生は退屈であり、人間は本来そのような人生を望んではいない。単独の振動ではなく、他と絡みついた振動を人間は希求すると言わねばならぬ。他の絡まりによって、その、振動は独自を醸し出すであろう。
真理は一つであるという確信のない人生は単なる相対主義的な人生であり、自惚に浸された寛容の人生であり、闘争から逃避した人生である。励まない人生はあまりにも非人間的である。人間は励むことによって幸福を増大し、開かれた扉を発見し、世界に乗り出すのである。
出航の信仰は、故にその本質に賭けを持つであろう。人間は何かしら旅立ちの信仰を持っているといえるが、それはその人間自身が自ら発し、選び出さなければならない。新たな未知に自らを賭けるということは、独自な矜持である。錯綜した不確実さに挑むという姿勢が、人生における自惚からの唯一の逃げ道である。自惚れぬものは停止せぬ者である。
あらかじめの確信は不可能であるかもしれない。信条を選び取った人間には絶えず矛盾がおとづれるであろう。しかしその高みへの矛盾が己を養い、育てるであろう。自ら尺度にかなった者となるものは、与えられた人生なるものに慣れたものであろう。一歩踏み出してみよ。そこには広大な未知が己を待ち受けているであろう。
己を未知へと賭けることによってのみ、激しい生命が動き出すのである。賭けるとは位置を占めるということであり、人生に陣取るという概念を持ち込むことである。故に未知へ賭けることは確かに奇妙な没落へと通ずるかもしれない。しかし、それは知恵への遊泳である。停止のない遊泳にはあらゆる装飾が失われるであろう。それは力動そのものへと近似することであり、自ら挑んで速さとなることである。
世界に選択は必要でないかもしれない。また世界に選択という概念はそもそも存在しないかもしれない。そこには速さの概念だけがあるのかもしれない。究極の速さを目指すものは、やがて速さに先んじて己なるものを捉えられぬ場所へと至るであろう。その時にこそ、あらゆる己という穢れは削ぎ落とされるであろう。
だが、人間は選択することから逃れることはできぬ。人生を歩むという速さの根拠は常に不安のうちにある。そのような究極的な不安を歩むものこそ、新しい人間となるであろう。速さの歩みに立ち向かわなければならない。賭けている者は、さらに駆けなければならない。あらゆる休息には自惚が潜んでいる。あらゆる自惚は、己を停止へと誘う誘惑である。我々は停止の幸福のために人生を止めてはならぬ。我々は速さの不幸を進んで受け入れなければならない。
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