Cheers To Goodbye -3-
マーティの描いた絵は、とても美しい女性でした。
「アナタってすごいのね、それにどうしようもないと思っていたけれど……整えればちゃんとするじゃない」
「いや……でも僕は」
「ふぅーん、これがアナタの思う綺麗な女の人なのね、アシュリー覚えておくわ」
少々痩せすぎてはおりましたが、身なりを整えればマーティはそれなりの紳士に見えなくもありません。アシュリーはすっかり得意げで、彼の隣を歩くのでした。
街の中はアシュリーにはとても新鮮で、あちこちに目移りしてしまいます。
あれは? これは何? と真っ赤な瞳を輝かせて聞いてくるアシュリーに、いつの間にかマーティの表情がふわりと微笑んだような気がします。
「それ!」
アシュリーはそう声を上げました。
「アナタ、もっと笑えばいいのよ。こんな美しい絵も描けて、そんな風に笑って、あとはちょっとばかり生活をね、綺麗にすれば……アナタとっても素敵になるわ」
「そんなこと……」
「どうしてそんなに後ろむきなの?」
アシュリーにはちっとも理解ができませんでした。何かひとつ素敵なことができれば、それで十分誰もが素敵になれると思っていたからです。
それに、マーティはアシュリーのスモーキーピンクの髪を決してバカにはしませんでした。絶世のドラッグ・ロウだと謳われるお母様にも、誰にも似ていない、子供っぽくなるこの髪色が実はアシュリーは内心コンプレックスだったのです。
美術商に入っていくときのマーティには、どこかどんよりとした影が落ちているようにも見えました。
そして、肝心の絵はこれっぽちも売れなかったのです。どの鑑定官も冷ややかな目で、彼の絵を見ようともしませんでした。マーティは震えて言葉も出ないようでした。
「大丈夫よ、次また頑張ればいいわ!」
そう美術商のドアを閉めながら声をかけるアシュリーの目の前に、ひとつの馬車がとまったのです。
その中からはひとりの青年と、彼にエスコートされて馬車を降りる美しい——ひとりの女性の姿がありました。
マーティはひゅっと喉を鳴らしたかと思うと。絵も、アシュリーのことも、全てを置いて逃げるように走り去ってしまいました。
アシュリーはなんだか胸が張り裂けそうな、不思議な気持ちになりました。
その女性は——マーティがキャンバスに描いていた人と瓜ふたつだったのです。
「ねえマーティ」
「……」
その日、マーティは浴びるようにワインを飲んでは、がくがく震えるばかりで何ひとつ答えようとしませんでした。せっかく整理した家の中は、荒れに荒れてぐちゃぐちゃになってしまっておりました。
時折ゴホゴホと咳き込んでは、涙を流して叫ぶように独り言を呟くのです。
「やっぱりダメだ、ダメだ、僕じゃ本当に美しいヒトを描くことができない」
「そんなことないわ、違うのよ。アナタは美しいという言葉に、未練をこじつけているだけなのよ」
泣きじゃくるマーティにアシュリーの声は届いていないかのようでした。
ああ、この人はどうしてこんなに囚われているのだろうか。目の前にいるアシュリーのことなんて見えてもいないんだわ。
アシュリーはそっと笑って、震えているマーティの銀色の髪にそっとキスをしました。
「えっ」
驚いたマーティが振り返ると、そこには金色の髪を靡かせた——まるで自分の描く絵の女性そのものの姿が。
「これでどう? 少しはアシュリーのことを」
「エリー……」
手を伸ばしてきたマーティは、けれどそのままひどく咳き込んで、倒れてしまったのです。
***
マーティは病気で、もうあまり長くはないようでした。
うつろな目でベッドに横たわったまま、窓の外を眺めていることが多くなりました。
アシュリーはあれからずっと、絵の女の人の姿で過ごしていました。
その頬を撫で、手を握りながら歌うと、マーティは涙を流しながらも眠れるようなのです。
もう一度、彼が生きる気力をなんとかして取り戻すことはできないかしら。
毎日毎日、髪が金色に染まるように金箔蛾の鱗粉のお茶を淹れながらアシュリーは考えます。
そしてマーティが寝てしまったあとに、そっと街に出てはあの女性の姿を探したのです。
彼女はエリーといって、元はマーティの婚約者でした。けれど、お金持ちの画家の息子がコンクールでエリーをモデルにした絵を描きたいと云い寄ってきたのです。
エリーはマーティのことなんて忘れてしまいました。朝早く起きてはバラの花を生ける彼よりも、宝石をたくさんくれる画家の息子の方が、エリーにとっては魅力的に見えたからです。
そしてまんまと彼は、コンクールの優勝も、エリーも手に入れたのでした。
(自分を選ばなかったエリーにいつまでもしがみついていては、マーティはダメになるわ。けれど……)
アシュリーには正解がわかりませんでした。
ドラッグ・ロウは
マーティを骨抜きにして、とっとと怪物にしてしまえばいいのです。
(だけど、それって幸せなことなのかしら……)
それからアシュリーは連日連夜、エリーの姿と声でマーティに話しかけました。
このままでは怪物になる前に、マーティがしんでしまう。そう思ったアシュリーは一生けんめい彼が再び鉛筆と絵筆をとれるようにと、身を粉にして尽くしたのです。
マーティは落ち着いて喋るようになりました。
アシュリーの膝の上に頭を乗せて、静かに眠る夜もありました。
けれど、彼はもうキャンバスに向かおうとはしませんでした。
「ねぇマーティ。私と一緒に、これからもずっと楽しく暮らさない?」
七週間目の夜、力なくベッドに横たわるマーティにアシュリーはそう問いかけます。
「ずっと……?」
「そうよ、ずーっと一緒に。痛みも苦しみもないの、ここより遠い街に行きましょうよ、私と一緒にずっとよ」
「だけど……」
そのとき、ほんの少しだけマーティの瞳に光が宿ったかのように見えました。
そんなマーティを、アシュリーは精いっぱいエリーの真似事をしながら抱きしめました。
「私、もう一度アナタの描く私をみたいわ。ダメかしら?」
怪物になってしまえば、マーティはもうマーティではなくなってしまう。だからもう一度だけ、最後にマーティが自身で描いた絵を見てみたい。それは実のところ、アシュリーの心からの願いでした。
「わかった……」
どこにそんな力があったというのでしょう。
立ち上がったマーティはキャンバスの前に座り、ワインをぐびぐびと飲みながら一心不乱に絵を描き続けたのです。
その鬼気迫るような姿に、アシュリーはワインを取り上げるでもなく見入ってしまいました。
夜が明けて、また次の夜になっても。マーティはひと言も言葉を発さずに絵を描き続けました。
「できた……っ」
そうか細い声で呟くと、マーティは途端に倒れ込んでしまいます。
「マーティ、しっかり、ねえしっかりして」
「ああ……やっときみに会えたね」
頬を撫でる骨ばった手に、スモーキーピンクの髪を掬い上げられて、アシュリーは初めて変身の術が解けていることに気がつきました。
「そのままでいいんだよ……」
どんどん鼓動の弱くなっていくマーティに抱きついて、アシュリーは泣きました。変身が解けてしまっては、彼は自分を選ばないと思ったからです。
「わかっていたんだ……だって、エリーはそんなに赤い瞳をしていないから」
「えっ……」
スッと、マーティの指差した先のキャンバス。そこにはエリーの姿でも、知らない女性の姿でもなく。アシュリーの姿が描かれていたのです。
「ねぇ、マーティ。それならアシュリーと一緒にいて。死なないで、永遠に絵を描きましょうよ」
「だめだよ」
どうして? とアシュリーは泣き続けました。
一緒にいたくないのね、自分は愛してもらえなかったのねととても心が痛みました。
「ちがうよ、アシュリー。きみはこんなダメな僕に尽くしてくれた。僕はきみを好ましいと思った僕のままでいたいんだ。かりそめの命で生きながらえてまで、きみに溺れたくはない。ヒトのまま終わりたいんだ」
ほら、笑っておくれよ。ただおやすみって云うだけさ。
アシュリーは精いっぱい笑いました。
その腕の中で、マーティは静かに息を引きとったのです。
怪物になってでも一緒にいてほしかったドラッグ・ロウ。
彼女を愛すヒトのままでいたかった男。
そう——ドラッグ・ロウは。
幸せと共に在ることができないのだから——。
***
「おかえり、アシュリー」
「パレード、ごめんなさい。わたし……」
いいんだ、とパレードは帰ってきたばかりのアシュリーを優しく抱きしめました。
「パレード、ニンゲンってなんなのかしら。何が正解なのかしら。ずっと一緒にはいられないものなの」
ぽろぽろと涙を流すアシュリーの髪を撫で、パレードはその包帯の中で微笑みました。
「ほろ苦い思いをしたね、アシュリー。僕は心配だったんだよ、あんな、だらしない男がもしもアシュリーにずっとくっついてきたらと思うと」
「もう、何よ……」
「だけど、ずっとずっと成長したようだ。彼も……いい男だった」
何の音もしないパレードの冷たい身体に身を預けて、アシュリーは泣き続けました。
怪物になってしまったニンゲンは、ドラッグ・ロウを愛したことを忘れてしまう。
それとも——怪物となってしまったニンゲンのことを。
——ドラッグ・ロウは煙のように忘れてしまうんだとか。
そんな伝説もあるのです。
「貴女の娘は、彼のことをずっと忘れないですよ。彼もきっと——」
(それって、ちょっとだけ羨ましいかもしれないなぁ……)
ずっとこの先もアシュリーを見守っていこう。
彼女が誰を忘れても、覚えていても。
そう、パレードは自身の今はない自身の心臓に誓うのでした。
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