The phenomenons

蝋燭かがりのイフリート

 イフリートのアイオーンはちびで半人前の精霊です。

 お父上はこの【HOTEL GHOST STAYS】の料理長……で、さらにその総まとめすらつとめる大精霊。

 生まれ故郷の火山地帯を水の精霊たちとの大喧嘩で噴火させてしまったアイオーンは、一旦この春にお父上の元に預けられておりました。

 けれどもアイオーンは、料理なんて大きらいでした。ランプオニオンをきざむ光景を見るだけで涙が出てしまい、じゅっとそのたびに小さな煙を出してしまうのです。


『イフリートは煙のない焔からうまれる』そうも云われているものですから、それがたとえ白であれ黒であれ、灰色であれ——煙の立つイフリートというだけで、彼はたいそう笑い者にされていたのです。


「なんだい! 皆みんなオイラをばかにしやがって!」


 イフリートは元来短気な精霊です。アイオーンももれなく短気な性分で、ホテルのあちこちでも爆発やボヤ騒ぎを起こしては、その度にお父上に叱られておりました。


「いいかい、アイオーン。本当に素晴らしいほのおとはね、とてつもなく大きな焔でも、煙の立たない焔でもないのだよ」

「でもとうちゃん、皆オイラに「煙を出すだなんて」と云っては、水をかけたり羊皮紙を当てようとするんだよ。そんなの……とうちゃんの子供として、我慢なんてできるもんかい。それにとうちゃんだって、すごく強い大精霊なのに、どうして料理ばかりしてるのさ」


 思い出すだけでぷすぷすとしてきてしまったのでしょう、瞬く間にアイオーンの周りには小さな焔と——それに当たった壁から上がる細い煙が。


「落ち着け」と、お父上はその小さな焔を指先ひとつでジッッとかき消しながらため息をつきました。


「よくお聞きアイオーン。焔とは、何かを燃え上がらせるものでもあり……けれど何かを燃やすものではないということを覚えておくんだ。焔とはね、もっと無限大の可能性を秘めているもの、我々イフリートはそれを多くのとうときもののために使うんだよ」

「……どういう意味? それにオイラに当たると何でもかんでも燃えちまう、煙だって」

「それはオマエの中で何かがくすぶっている証拠なのさ。つまりだよ、煙の数だけ可能性がいっぱいあるってことだ! わかるかい? きっとそれを見つけられたとき、オマエは立派なイフリートになれるだろうな」

「ちっともわかんないよ……」


 忙しいお父上はすぐに仕事へと戻ってしまいます。

 アイオーンはきかんぼうではありましたが、決して賢くないわけではありません。それにお父上のことをとても尊敬していましたから、どれだけ大切な仕事をお父上がしているのかも十二分に理解しておりました。


 お父上の言葉の意味するものとは一体なんなのでしょうか?

 ちんぷんかんぷんなアイオーンはひとまず誰かの知恵を借りようと心に決めました。煙突の中を通り抜けて、時計塔の一番上へ。そこにむ鉄の鎧をまとった怪鳥、ハルピュイアのところへと向かいました。


「やあハルピュイア、聞かせておくれよ。どうしてオイラの焔には煙が立つんだろう?」

「ごきげんようアイオーン、あいかわらず元気できれいなゆらめきの子だこと。けれどもよくお聞きなさい、その答えははたして——わたしに教えられて掴んでもよいものなのでしょうか?」

「だって……オイラ」


 アイオーンの心には、幾つもの光景が浮かびあがりました。

 エインセルの落とした鉛筆を悪気なく煤にしてしまい、泣かせてしまったこと。

 クー・シーの枯葉集めを手伝おうとして失敗し、ひどく迷惑そうな表情をされたこと。

 アイアタルたちには「ちっとも恐ろしくないのだわ!」笑われていつも水をかけられます。

 そして周りから聞こえる「お父上の子なのに……」という失望の声。


 見る間にしょんぼりとその焔を小さくしてしまったアイオーンに、ハルピュイアはやさしく微笑みかけました。


「アイオーン、あなたはまだ小さき焔。その志が大きくなるとき、きっとその苦しみなんてあなたの煙ほども気にならなくなりますよ。すぐに……じゃなくていいのです」

「だって、オイラはとうちゃんの子で……。とうちゃんは支配人オーナーの信頼だってあつい大精霊なのに」

「おやおや……ジンニーは息子に、自分のやんちゃをしていた時代を語っていないのですね。それに支配人オーナーだって、昔はそれはそれは血の気が多いことで有名だったのですから」

「そんな頃があったの??」

「ええ」


 ハルピュイアは遠くを見つめるような表情をして、ふふふと笑いました。


「誰にだって、未熟な時期はあるものです。誰しもが最初から完璧ならば、ヒトもモンスターも、魔神や星に願いごとなんてしないのですから」


 アイオーンはハルピュイアにお礼を云って、そして少し薄暗い時計塔の中に小さな灯火を浮かべ、また煙突を通ってホテルへと戻っていきました。



支配人オーナーなら、とうちゃんの昔の話を教えてくれるかも知れないな)


 そう元気よくホテルの従業員専用の廊下の角を曲がったときです。


「わっっ!」

「あいたたたっ」


 出会いがしらにアイオーンは誰かと正面からぶつかってしまいました。

 ペールグリーンのホテルマンの制服、そこから小さな煙が上がっているのを見て、アイオーンは大慌て。辺りには、ぶつかった拍子に小さな燭台しょくだい蝋燭ろうそくが音を立てて散らばりました。


「ごめんよっ、オイラよそ見してて」

「ううん、ぼくこそぼーっとしちゃってた。怪我はない?」


 そう云って手を差し伸べてきたのは、亜麻色の髪をした……なんとまだ子どもではないですか。


「オイラは大丈夫さ、頑丈なイフリートだもの! それよりもっ」


 アイオーンはふたたび大慌て、なんとぶつかった拍子にその子どもに火傷を負わせてしまっていたのです。なにかできないかときょろきょろ辺りを見まわしてみましたが、どうすることもできません。それに自分は火を大きくする学びばかりして、その火傷を治してあげられるような呪文を覚えてもいなかったのです。


「気にしないで、これっぽっちの火傷、すぐに治るから」


 そう云ってその子どもは、片方の手だけにはめていた手袋をがちゃりと外しました。手袋の下からは、なんと光の透けるような氷でできた手が。


「おまえ、すごいな! 氷の精霊なのか?」


 初めて見る氷の美しさに、思わずアイオーンは手を伸ばしかけ……慌てて引っ込めました。


「いいや、ぼくはユル。ニンゲンだよ。この手は氷の女王の呪いなんだって」

「呪い!? こんなに光をとおして綺麗なのに?」


 氷の手を赤くなった頬に軽く当てながら、ユルと名乗ったニンゲンは静かに笑いました。


「そう、いつかこの呪いはぼくを凍りつかせてしまうんだって」

「どうしてだ? オマエ、悪いことでもしたのか?」

「うーん、それはよくわからないんだ」


 ユルはこのホテルの従業員で、15歳になるそうです。

 呪いをうけたのはユルがまだ小さい頃で、なにが原因なのかはまったく覚えていないと云うのでした。

 誰も彼もを凍りつかせてしまうその手を、うっかり誰かに当ててしまわぬようにと、ユルは鉄の手袋をしているとも教えてくれました。


 アイオーンはなんだか少し悔しい気持ちになりました。

 自分は周りのものが燃えようが、これまでお構いなしに振る舞ってきました。煙が立って笑われると、さらに怒ってはありとあらゆるものを燃やしてきたのです。


 だけど——今回ばかりは、自分の焔がユルの役に立つのではないか、そう思ったのです。


「ユル、その手をかしてよ」

「えっ、でも……」

「大丈夫さ、オイラは最強の焔の精霊、イフリートのアイオーンなんだぞ」


 ユルの手をそっと握りしめると、アイオーンの手に今まで感じたことのない冷たさが駆け上がってきました。


「大丈夫だ」


 アイオーンの驚いた表情に、咄嗟に手を引っ込めようとしたユルにそう云ってアイオーンは笑いました。

 もっともっと、温度を上げて。刺さるような冷たさを溶かして——。

 いつの間にかアイオーンは、自身が焔の塊になるほどに強く燃えあがっておりました。

 けれど、あたりが水蒸気で見えなくなるほどに熱をおくっても……ユルの手の氷は溶けてはくれませんでした。


「ご、ごめん。オイラじゃやっぱり……」


 アイオーンはあまりの不甲斐なさに、涙すら出そうなほどに落ち込みました。


「アイオーン、きみってとてもすごいね!」

「えっ?」


 ユルはその両手で、思わずアイオーンの手を握りしめました。

 咄嗟に——アイオーンはユルの普通の手を焼いてしまわないように、自分の焔をひゅっと引っ込めたのです。


「あったかい、太陽みたいだ」


 アイオーンは、氷の女王の恐ろしさも、その呪いの難解さだって知りませんでした。だから自身が凍りつくなんて、彼はこれっぽっちも思っていなかったのです。

 それが、氷の呪いを恐れられるユルにとっては、例え呪いがとけてしまわなくたって、とてもとても尊く、嬉しいことのように思えたのです。


「で、でも。煙が……、煙が立つのは半人前だって」

「どうして? だって煙が立たないと、燃えたことにも気づかないじゃない」


 そしてまたユルも——アイオーンの焔と氷が合わさって辺りが白くなっても、別に気にもしませんでした。それどころか、すごいと目をキラキラさせて受け入れてくれたのです。

 大きく燃えても、小さく燃えても、誰かに白い目で見られてばかりだったアイオーンは、なんだかくすぐったい気持ちで心がぽかぽかしてくるような気がしたのです。


 ニンゲンは弱くて愚かでとるに足らない小さきもの。そうアイオーンは火山や火の悪魔たちから教わってきました。

 けれど、ユルはそうではありませんでした。制服が焦げても、嫌な顔ひとつしません。転んでも、アイオーンのことをまず第一に心配してくれたのです。どうしてそんなことが、ニンゲンの子どもにできるのか……アイオーンには不思議でなりません。

 聞けば、「だって、ぼくはホテルマンだもの」とユルはにこやかに云うのです。


 アイオーンはなんだか素敵な……大切なことをユルに教えてもらったような気がしました。


「そうだユル……その蝋燭は?」

「あっ、そうだ。ディナーの時間にテーブルに並べるものなんだ」

「手伝ってやるよ、ほらっ!」


 アイオーンが人差し指をまるで指揮者のように振ると、散らばっていた蝋燭たちがいっせいに集まり、それぞれの燭台の上へ。

 そして宙に浮かぶと、ユルを囲むようにしてそのひとつひとつに小さな焔が灯ったのです。


 ディナーのテーブルの準備は、アイオーンのおかげで瞬く間に終わりました。

 ポルターガイストたちも、機嫌よくテーブルクロスを皺ひとつなくひき、見事な食器たちは今か今かとお客様と料理が到着するのを待ちわびております。


「ここに各料理長たちの料理がくるとね、お客さまはそれはもう幸せでいっぱいになるんだよ」

「そうか……」


 蝋燭の優しい灯りに照らされて、ホールはまるで魔法がかかったようでした。


 ユルはまた「すごい」と目を輝かせて笑いました。なんだか、アイオーンはその笑顔をもっと見ていたいなと感じたのです。


「そうだユル、これを……」


 スッとアイオーンが差し出したのは、焔が中にゆらめいている小さな指輪でした。


「精霊の指輪だよ。何かあったときはこの指輪に向かってオイラの名前を呼んでおくれ。そしてこの蝋燭たちは、オイラがもしも消えてしまうその日まで……いつだってユルの思うがままに動いてくれるよ」

「えっ。でも精霊の指輪だなんて、そんな。すごく……きみの命くらい大切なものじゃないのかい?」

「だって、ユルは大事な友だちだ。オイラ決めたんだ、その呪いをとかしてやれるくらいに、オイラは偉大な精霊になってみせるって」


 四季それぞれに会いに来るよ、もっと遊ぼう!

 そう約束をしてアイオーンは生まれ育った火山のその奥、溶岩溪ようがんだにに向けて瞬く間に飛び立ってしまいました。



(とうちゃん、オイラわかったよ。誰かのために使う焔こそ、精霊の強い焔なんだ。とうちゃんはたくさんの客人を喜ばせるため……それならオイラは)


「オイラは友だちを、誰かを助けるための焔になるよ」


 厨房で燃え上がりながら調理をするお父上の背中に、そっとそう念じながら、アイオーンは空を駆けてゆきました。





***




「ねえマシュー、指輪ってどこにつけたらいいのかな?」

「ゆっ、指輪!? どこでもらったんだそんなもん」

「友だちがくれたんだ、ほら、ぼくの指にもぴったりになるんだよ」


 仕事が終わり皆が寝しずまった朝方、ホテルの従業員も昼番以外は住み込み部屋や、それぞれの自宅にもどる時間帯です。

 ユルは仕事を終え制服を着替えると、ホテルの裏庭——その端にある小さな木こり小屋へ。ここでユルは自分を拾ってくれた狼人間ヴェアヴォルフのマシューと一緒に、ふたりで暮らしておりました。


「アイオーンっていってね、ジンニーの息子さんだったらしいんだ。すごいんだよ、蝋燭をあやつったり、すごく大きな火の玉になったり」

「あー、で? 契約でもしたのか? まさか対価なんて払っちゃ……!?」

「そんなものなかったよーっ。ぼくとの友だちの証だって、また次のシーズンに遊びにきてくれるから、うちに招待しようよ!」

「そう……か、友だち。友だちねぇ……」


 色んな指にはめてみては、そのサイズにぴったりとはまる指輪に、ユルは目をキラキラとさせています。


「そうだ、焔の精霊の指輪だし……これなら手袋の上からでもつけられそう。ジョゼット夫人やエリースは左手の薬指に指輪をつけていたけれど……」

「あー、小指にしておけ」


 ん? と振り返ると、少しなんだか不服そうなマシューが夕飯の準備に取りかかっておりました。


「小指?」

「そ、願いごとが叶う指らしいぞ。あと約束とか」

「それって素敵だね。そうしようっと」


 小指に指輪をはめるとすぐに「今日の夕飯はなぁに?」と無邪気に寄ってくるユルをちらりと見ては、マシューは大きめのため息をついたのでした。

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