ロフレンとキャロル
ロフレンは高貴な精霊と天使のハーフとしてうまれた調香師です。いつだって強かであれ、誇らしく生きよとの教えを守り、今日まで生きてきたのです。
するどい眼光は刃のようだとも喩えられ、その仕事ぶりは幼い頃から誰しもが褒め称えるようなものでした。
彼女の調合する香りたちは、時に誰もを癒やし、時には惑わせ、強制的に眠りにおとしてしまうものまで。千差万別あるその香りを、ロフレンは自由自在に使い分けることができたのです。誰もが彼女の周囲では夢ごこちになってしまうのでした。そう、彼女は唯一にして『幸せ』の調香ができる存在でもありました。
けれども——それゆえにロフレンは俗世の空気に触れることが叶いませんでした。いつも頑丈でがっしりした見た目のガスマスクをしなければ、部屋の外に出ることすらできなかったのです。
はんぶん精霊、はんぶん天使のロフレンはどちらの世界に棲むこともできませんでした。どちらの世界にとっても彼女は異分子。天使の部分が、妖精の部分が、それぞれの世界では砂のように崩れてしまうからです。
彼女の創りあげるアロマキャンドルは一級品。ですから、彼女の工房には、いつも注文の手紙が殺到しておりました。
誇らしくあれ、天使の名にも精霊の名にも恥じぬ一流の仕事を。
ロフレンにとっては、世界のすべてはこのガスマスクよりもたいそう窮屈なものでしかなかったのです。
ロフレンのつくる香りはすばらしい。
誰もかれもが彼女のことを褒めちぎりました。
けれども彼女の肌はまだら模様で、数多の香りに触れた髪の毛はぼろぼろでいつも短く刈り込んでいました。翼も大きな猛禽類のようなカスレ模様の入ったものがひとつだけ、空なんて飛べやしません。まるで鋭い鎌のような視線には、訪れたものが震えあがりました。
その姿はそう、まるで悪魔のようではありませんか。美しい天使と、高貴な精霊、けれど誰もが思い描くような姿にはなれなかったロフレン。
皆が褒めるのは、私の生み出す香りだけ——。誰ひとりとして、彼女自身を見ようとはしてくれていないと、ロフレンは心をかたくかたく閉ざしたままでした。
依頼のアロマキャンドルをひとつ、ふうとはき出す煙と共に今日も外の世界へと送り出したときでした。
めずらしく、彼女の工房を訪れる者がおりました。
薔薇の花を一輪持った彼は小さな悪魔で、名をキャロルといいました。
「僕とおなじく、はんぶん天使の血を引くという貴女にひとめ会ってみたかったのです」
キャロルの翼は見事なまでに分かれた白と黒。天使と悪魔の子供として、どちらの世界にも馴染めずにこのニンゲンの世界へと捨てられてしまったのだと言いました。
キャロルはそれはそれは不器用な魔物でした。
良かれと思って動いたことが、全て裏目に出てしまうのです。
彼が踏み込んだだけで、あっという間にロフレンの工房はしっちゃかめっちゃか。ビーカーやキャンドルがひっくり返り、ありとあらゆる香りが混ざって、思わずロフレンはドアに大きな天窓にと、全ての入り口を開けたのです。
「ああ、ごめんなさい。ごめんなさい、僕はやっぱり皆を不幸にしてしまうんだ」
さめざめと泣くキャロルを見て、ロフレンは怒る気持ちをなくしてしまいました。工房はあらゆる色の煙で目が沁みるほどでしたから、彼女は数年ぶりに外の明るい光の下へと立ったのです。
彼女の姿を見てキャロルがハッと息を呑んだのを見て、ロフレンは思わずその片翼で顔をかくしました。
「かっこいい……」
「えっ?」
「ああ、レディ、こんな言葉は失礼かもしれませんが思わず……。だって、キミは、僕がこれまでに見たことがないほどに素敵な姿をしているのだもの」
キャロルは、それはそれは愛らしい姿をしておりました。
まさに彼の方こそ、天使の血を受けついだといってもおかしくないほど。
「けれど、アタシの姿は誰もが化け物だって」
「ふふふ、そいつは本当に見る目がないんだ。ほら見て、悪魔の血を引く僕が持っているバラが、キミのそばでは枯れないのは、本当に澄んだうつくしい心をキミが持っている証拠だよ」
キャロルは、自身が手にした花が枯れてゆかないことを心から喜んでいるようでした。
その姿を見て、ロフレンはなんとも言えないこそばゆい気持ちになりました。嬉しいという感情を、彼女はこれまで知ることがなかったからです。
「アナタこそ。アタシは全然不幸になってなんかない、外の世界も明るい陽の下も、思ったより随分と綺麗な場所なんだね」
ロフレンは生まれてはじめてできた、この不思議な不思議なともだちの事をとても気に入りました。キャロルも、自身のことを値踏みしないように接するロフレンのことを、とても好ましいと思うようになっていったのです。
「ロフレン、キミはとっても素敵で……それにすごくかっこいいんだ! 僕はキミのようになりたいなぁ!」
キャロルはよくころころとまるで鈴が鳴るように笑い、飛び、跳ね回ってはロフレンを笑わせました。彼の軽口やくだらない冗談すら、ロフレンにとっては新鮮で、どれもこれもが素敵なものに感じられました。
***
けれども、天使や精霊たちはふたりの交流を良くは思ってはおりませんでした。
ロフレンの生み出す香りは天上や精霊の宮殿にまで捧げられる一級品、そこに半分悪魔の小僧が入り浸るなどと……と、策をこうじたのです。
美しい姿の天使や精霊たちは、ロフレンの棲み家を訪れ、キャロルを毒殺するようにと命じました。
「あの半端者を殺せば、キミに美しい白銀の対の翼を用意しよう」
「悪魔を滅すれば、お前の名声はもっと高らかなものになるでしょう」
「でもその醜い姿のままで外に出るなんてなんて恥ずかしい」
「せめてあの悪魔を殺してから、恥ずかしくない姿へ変えてもらいなさい」
そしてまた別の天使はキャロルに対して、ロフレンに近づくなと警告をしたのです。
「半身が天使の彼女を食べれば、天使になれるとでも言われたのだろう? この悪魔め」
キャロルの頬に触れる天使たちの姿を見て、ロフレンは悲しい気持ちになりました。彼女たちは美しく、輝く星の光を纏った翼を持つもの。そしてキャロルは翼の色こそ違いましたが、見た目は天使たちとそっくりだったのです。
自分のような醜い姿のまがいものが、彼のそばで笑って良いはずなどないと、再びロフレンはその棲み家の扉を固く固く閉ざしてしまいました。
自分にも、天使や精霊たちのような綺麗な翼や、美しい肌や髪があれば、堂々とキャロルのそばにいられたのでしょうか。
けれどもロフレンには、どうしてもキャロルを殺すなんてできませんでした。美しい姿や、天界への憧れよりも、はじめてできた友を失なうことのほうがすごく恐ろしいことに思えたからです。
「ねぇ、ロフレン、どうしたの? 天使や精霊たちにいじめられたのかい?」
「そうじゃない。でも、アタシは半端者で外に出るべきじゃなかった。ただ家にいて幸せの香りを届けていればよかったのに」
そんなことない! とはじめてキャロルは悪魔らしく声を荒げては、烈火のごとく怒りました。
「キミはとても素敵なんだ、誰がなんと言おうと。天使や精霊たちのいう美しさや完璧だなんて気にしなくていい、半端者だなんて誰が決めたんだ!? それを僕に気づかせてくれたのは、ロフレン——キミなんだよ」
——ねぇロフレン、出てきておくれよ。
ドアの向こうではキャロルが弱々しく背中を預けて自分を待っている気配がします。けれどもロフレンは布団にくるまったまま、どうしても彼のところへゆくことができません。
幸せの香りが滞っている——そう焦った天使や精霊たちは、一斉に武器を持ってロフレンの棲み家へと押し寄せてきました。
きっとあの悪魔がロフレンを誑かしたに違いない。あの根暗の半端者は、悪魔の甘言にまんまとのってしまったのだろう。
「小さく弱い悪魔よ、イタズラ程度の害しかないと今まで生かしておいたが、幸せを届ける邪魔をするのなら容赦はしない」
「なにが幸せだ! ロフレン自身が倖いを感じられない幸せなんて、それこそ偽物だ。誰かから搾りとった幸せを運ぶのが天使の仕事なら、僕は天使になんかなれなくていい」
悪魔をころせ! ロフレンを攫ってとじこめてしまえ!
そういう天使たちと、キャロルは三日三晩戦い続けました。
あの小さなキャロルのどこにそんな力があったのでしょう、彼はぼろぼろになりながらも、たった一人でロフレンのことを守りぬいたのです。
「ああ、キャロル、ごめんなさい。アタシは泣くばかりで何もできなかった」
「ううん。いいんだよ……キミはいつもひとりきりで戦っていたんだ、こんな時くらい、僕だって強いところを見せないと」
そうにこにこと笑うキャロルの背中からは、白い天使の翼がちぎれてなくなってしまっておりました。それに気づいたロフレンは「たいへんっ」と痛みの和らぐ香りを探しては、パイプから吸ってすぐに吹きかけました。
「アナタの大切な……綺麗な白い翼だったのに」
「ああ、いいんだよ別に」
へへっ、とキャロルはいたずらっ子のように笑いながら言いました。
愛らしい顔の半分は闇のような色に染まり、赤黒いツノがひとつ生えておりました。
「天使の翼を贄にして、ほんの少し呪いの力を借りたんだ。まさしく悪魔にしかできない所業ってね……それに」
——これでキミとお揃いじゃない? どう??
そう微笑むキャロルを、ロフレンは力いっぱい抱きしめたのでした。
***
どこかの国の、深い深い森の奥。
そこにひっそりと佇む【HOTEL GHOST STAYS】はちょっと変わった……けれど格式高いホテルです。
ここに宿泊できるお客さまは、モンスターに幽霊に悪魔に……と様々。
「へぇ〜っ。じゃあその昔は、天界の音楽や花の香りひとつで地上が幸せに満たされていたんだね。天使たちはどうしてそれを運ばなくなったんだろう?」
「おばあさまの話だと、幸せを生み出す精霊のお姫さまが、魔物に拐われてしまったんだってさ」
「世界は単純明快に上手くはいかないってことね。まぁそうじゃないと私たちみたいなのは生まれないわけだし」
「えっ、じゃあそのお姫さまは……」
その時、カエルのベルがゲコリと鳴き、お客さまの訪れを知らせました。
ホテルの従業員たちは噂話をやめ、本日のお客さまのお迎えに向かうのです。
ふわりと花々の香りがする中をぬけ、ホテルマンのユルは長身の女性から荷物を受け取ります。
「お待ちしておりました。お荷物をお部屋までお持ちしますね」
「あらアナタ……、ええありがとう。おまかせするわね」
チェックインを済ませた小柄な男性と連れ立って歩く姿を見て、バンパイアのエレンは小さなため息をつきました。
「ああいうキツめの美人もいいよね。なんか他を寄せ付けないって感じでさ、すっごくかっこいい」
「あらあらエレンったら」
「なんかでもさ、ありゃあの悪魔の旦那さまとお似合いで入る隙がないよね」
「わかル、優しそうだしカワイいお顔の旦那さマだった。バランス取れてるというカ」
「すごく格好いい方だったなぁ、ボクあんな女性憧れちゃう」
「魔術使えるみたいだし、怒らせたら怖そうだけどね」
「たしかにィ、つよソウ」
ほらほら、アナタたちも仕事に戻りなさい。
そんな
(怒らせたら怖い? 逆でしょー)
エレンはひとり、暗い廊下を歩きながら肩をすくめました。
真実を写す彼の瞳には、少々違う景色が視えていたのです。
(見た目で判断しちゃいけないってね。世界中の幸せの犠牲者を、たったひとりで守り通せる悪魔が、柔和なわけないじゃないか……でも)
伝承の中に聴くお姫さまは、裏の歴史の真実よりも随分と幸せそうに笑っていて。
(彼の勝利も祝福も、彼女のためだけにあるんだろうな……)
そっとおばあさまの言いつけ書にとめられていた天使の手配書を指先の焔で消すと、エレンは鼻歌を歌いながら自分の持ち場へと戻っていくのでした。
——その日、従業員の部屋に戻るとエレンの枕元には「不眠症用」と書いてある、薄紅色のアロマキャンドルがそっと置かれていたんだとか。
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