バイバイ、ロザリー
ショータイム。滑稽なステップと、おどけた仕草。
おっちょこちょいを演じて泥まみれになりながら、まぶしげに天幕からぶら下がる蛍光灯を素知らぬ顔で見あげれば、どっと辺りから笑い声がまきおこる。
パレードはこのサーカスの
それはもう、うんと小さいころに借金のカタとしてこのサーカスに売られてきたのだと、パレードはサーカスの座長から聞いておりました。借金の返済のために、毎晩毎月、彼は身を粉にして働いておりました。
いつかいつか、サーカスを抜けて世界を自由に旅してみたい——それがパレードのひそかな夢でもあったのです。
痩せっぽっちで、背はさほど高くはありません。両親から受け継いだのでしょう、スモーキーピンクのめずらしい髪の色とそばかすで、まるで女のようだとばかにされることもありました。
けれどもパレードは心やさしいニンゲンでした。しゃべることはあまり上手ではありませんでしたが、サーカスの猛獣たちや見世物小屋の仲間たちからは、特に慕われ可愛がられていたのです。
パレードという名前も、そんな仲間たちがつけてくれたものでした。ですから、パレードは少しも寂しいとは思いませんでしたし、皆がくれた自身の名前はまるで宝物のようだと大切に思っていたのです。
見世物小屋の仲間たちの食事を運ぶのも、パレードの仕事でした。その食器を片付けながら、彼はふとサーカスの向こうの世界に想いをはせました。
華やかな表舞台、天幕のむこうの町とはいったいどんな場所なのでしょうか。
けれどもキィキィと鳴る車輪の音や漆黒の檻がガチャンと閉まる音が、そんな淡い妄想を夢見るパレードの心を、いつもすっと現実に引き戻すのでした。
そんなサーカスに、新しい仲間がやってきました。
ロザリーという女の
『その手は異界のものをとり寄せる』という文句のとおり、彼女は何もない場所からありとあらゆる不思議なものをとり出して見せました。
その妖しげな微笑みといったら……まるで薔薇の女王のようです。
彼女がひとつ動くたびに、花が咲きほこったかのような甘い香りが立ち込めます。お客さまはもちろん、サーカスの男連中も、パレードの先輩
パレードも、そんなロザリーをとても美しいと思っておりました。
けれども、自分は小さくやせっぽっち、おまけにくりくりのスモーキーピンクの髪にどんぐりまなこで、どう考えてもロザリーの隣にならぶにふさわしくない姿なのです。
「ろ、ロザリー、食事をおいておくよ」
「ええ、ありがとうパレード。だけど私、食事はいらないの」
「だ、だめだよ……。ろ、ロザリーはそんなに、とても細いんだから、ちゃんと食べないと」
勇気を出してそう云ったものの、ロザリーは妖しくにっこりと微笑むだけです。
「せめて、パンだけでも……」
なおも受けとろうとしないロザリーに、そうだとパレードは自分のベッドの物入れから、一つの瓶をとってきました。
それは、別の街で公演をしていたときにその街のお偉いさんからもらったバラのジャムでした。パレードは大切に大切に、とくべつな日だけそれを食べようと、ずっととっておいたのです。
はじめは気乗りしない様子のロザリーでしたが、なんとバラのジャムのかわいらしくて、とても良いにおいだこと!
「じゃあひと口だけ……」
そういってロザリーはぱくり、ぺろり、とまたたく間にパンを食べてしまったのです。
「美味しかったわ。なにか私からもお礼をしないと」
「い、いいや、ロザリー。お礼なんてとんでもない」
「そんなことないわ。あなた私になにを望むのかしら? なんでもあげるわよ」
いつの間にかどうしたことでしょう。ロザリーの顔がすごく近いことに気づいたパレードは、びっくりして「ひゃあ」となさけない声を出してしまいました。
「い、いんだ。だってぼくはきみに食事をとってほしくて。それだけで……」
「なぁに? それだけで私にこんな素敵なものをよこしてくれたと云うの?」
パレードがうなずくと、ロザリーは「なぁんだ」と少しつまらなそうな顔をしました。
「……あなた、お名前は?」
「ぼ、ぼくはパレード。
「よろしくね、パレード」
さしだされた手は、ふれたことのない——まるでこれが話に聞く絹のような手触りか、と思うほどに滑らかでした。
「また明日ね、パレード」
その日から、パレードはロザリーの支度部屋に食事を運ぶのが楽しみで仕方なくなりました。
ロザリーは随分と大人っぽくて賢くて、自分とは全然ちがう……けれど彼女と話すとぱっと心に花火がわっと咲いたような、そんな不思議な気持ちになるのです。
ロザリーも、他の団員たちとちがい、自分に触れようともしないこのパレードを、可愛らしい人ねと思うようになっておりました。
パレードは男たちと違って、金貨や宝石はもちません。その代わり小さな花や可愛らしいジャムやフルーツバターを、そっとロザリーの食事に添えるのです。
すずめの涙ほどのお給金でしょう、けれどもそれを彼女のためにと一生けんめいに用意する姿がとてもいじらしく、ロザリーの心を温かくするのでした。
けれども、このころサーカスでは不思議なことが起こっておりました。
訪れる街で、必ず誰かその街のニンゲンがサーカスの公演期間中に行方不明となってしまうのです。
そしてそれは団員たちも。ひとり、またひとりと団員が煙のように跡形もなくいなくなってしまうのです。
お客さまも、男連中も、誰もがいなくなる前にロザリーに言い寄っていた者たちばかり——まさかロザリーがマジックで消してしまったのでは? なんて陰口を云う輩もおりました。
パレードは、お客さまが大金や宝石を渡してロザリーに会いにくる夜は、ロザリーの支度部屋へは近寄らないようにしておりました。
食事はいらないと云われておりましたし、きっと彼らはロザリーを買いに来たのだろうと暗い気持ちに襲われる自分に気づいてしまったのです。
(ああロザリー。ぼくがもっと、きみの隣にならぶにふさわしい男であったなら……)
パレードは悲しみの表情を隠しては、もっと芸を磨こうと深夜のテントで練習を重ねました。
老若男女、誰もを笑わせるパレードの滑稽な芸は、いつの間にか深みが増したと皆から褒められるようになっておりました。もっと、もっと、もっと、そうすればぼくはいつかロザリーを連れて外の世界へ。
いつの間にか、パレードの目の下には、涙のメイクで隠さなければはっきりとわかってしまうほどの、大きなクマができておりました。
ある夜、練習でふらふらと寝床へ戻ろうとしたパレードは、不審な物音を聞きました。
(あれは……ロザリーの部屋だ!)
なにかあったのかもしれない。
そう思うといてもたっても居られなくなったパレードは、一目散にロザリーの部屋へと駆け込んだのです。
「ロザリー、どうし……」
パレードは言葉を失いました。
いいえ、本当は叫び声をあげたかったのです。けれども、まるで足と口が縫い付けられてしまったかのように、そこから動けず、声も出せなくなってしまっておりました。
ロザリーはベッドの上で、真っ赤な血に染まっていました。
いえ……それはロザリーの血ではなく、近くに転がっていたサーカスの団員のものでした。
「あ、あ、あああああ」
「パレード、見てしまったのね」
真っ赤な心臓を、まるで林檎をかじるように食べながらロザリーはそう云いました。そう、ロザリーは魔物で、自分に言い寄ってくるニンゲンたちをころして食べてしまっていたのです。
けれども、パレードはそのロザリーすら美しいと思ってしまいました。恐ろしいと思うよりも、どうしてロザリーがあんなに魅力的なのか、思い知ったような気持ちになりました。
「どうしようかしら……あなたの事は少々好ましくもあったけれど」
秘密を知ったニンゲンはころされてしまうのでしょうか?
でも、パレードはそれでもいいと思いました。ロザリーのことをパレードは本当は狂おしいほどに愛してしまっていたのです。
「愛しいロザリー。ぼ、ぼくは、ほんとうはきみのことをすごく愛してるんだ。だからきみが望むならそれでもいい。けれど一日だけ、皆にお別れを云う時間をくれないかい?」
「まあ、あなた私を愛しているというの? 本当に?」
「ほ、ほんとうだとも!」
その言葉を聞くなり、ロザリーははじめて可憐な——まるで少女のような笑みをこぼしました。パレードはそれですら、幸せだと感じました。こんなに素敵な彼女の笑顔を見られるのなら、自分のいのちすら惜しくないと思えたのです。
翌日の公演は、大盛況の中終わりました。
パレードはいつになく皆に気を配り、見世物小屋の皆や猛獣たちにお別れの挨拶をしにいきました。けれどパレードはさよならと云うことはしませんでした、ただ「ありがとう」と「あいしてるよ」を皆に伝えてまわったのです。
そして、約束の夜がやってきました。
「ロザリー、ロザリーいるかい?」
パレードがロザリーの支度部屋にいくと、ロザリーはベッドに腰掛けて俯いたままでした。その手の近くには短剣がぽとりと不自然に落ちております。
「ど、どうしたのロザリー? 約束通りぼくは逃げもかくれもしないよ」
顔を上げたロザリーを見て、パレードはびっくりしてしまいました。
ロザリーは泣いていたのです。
「愛しいロザリー、どうして泣いているの?」
「……わたし、あなたをころしたくはないわ」
ロザリーは、魅了したニンゲンを食べてしまう魔物でした。心臓を食べたあとのニンゲンの身体は、怪物となってどこまでもあてのない世界を彷徨うのです。
そう、ロザリーは気づいてしまったのです。
自分自身も、パレードを愛してしまっていたことに。
そしてパレードの心臓を食べてしまえば、今のパレードには永遠に会えなくなってしまうことに。
「秘密を知ったニンゲンを消さなければ、私は煙になって消えてしまうわ。けれど」
手足が透けはじめたロザリーをパレードは抱きしめました。
大丈夫だよ、とはっきりとその耳元で囁いたのです。
「ロザリー、きみのいない世界の方が、ぼくにはもう考えられないんだ」
「あなたって、こういう時だけかっこいいのね」
ロザリーは知っていました。いつもおどけている
人一倍努力家で、けれどもそれを隠していることも。
ふわふわのスモーキーピンクの髪を撫で、そっとその唇にキスをしました。
パレードは照れくさそうに笑いながら、そっとキスを返しました。
「ぼくはずっと一緒にいるよ。どんな姿になっても。だからどうかロザリー、ぼくの心臓を——」
ロザリーが気づき、とめる暇もなく。パレードは手にした短剣で、自分の胸を深く深く突き刺したのです。
「愛しているよ。バイバイ、ロザリー」
「そんな、そんなパレード。いやぁあああ」
彼のためなら、消えてしまってもよかったのに。
ロザリーのそんな魔物らしからぬ願いは、涙と共に夜の闇に溶けてしまっていったのでした。
***
どこかの国の、深い深い森の奥——。
そこにひっそりと佇む【HOTEL GHOST STAYS】はちょっと変わった……お化けたち専用の、けれども格式高いホテルです。
今夜は馴染みの店主をたずね、宿泊していた包帯男がひとりホテルのサロンへ訪れました。
「ずいぶんと久しぶりじゃないか、パレード。今日はなにを?」
「うーん我が子がね、ニンゲンの世界へいってしまって……。待つ間にしばらくぶりの包帯の巻き直しを……」
「ほいよっと」
古いぼろぼろの包帯を切っては解いてゆけば、その下からはスモーキーピンクの髪がふわりとこぼれ出ました。
「どうだい? 娘さん、うまくやれそうかい?」
「おや……ぼくはひと言も娘だなんて」
「あんなそっくりな髪の子、あんたの子以外に誰だって云うんだい」
「そっか……アシュリーはぼくにも似てるのか、う、うれしい、なぁ」
にやつくパレードの身なりを整えながら、やれやれと店主は首を振りました。
「もうすぐ娘さん、独り立ちなんだろ。自分が父親だって云わなくていいのかい?」
「うん、それはもう決めてること。あの子の運命はあの子が決めるんだから」
はいはい、と店主はサーっと自身の手から伸びる鎌で器用に包帯をカットし、パレードの片目以外の全てをくるくると包んでしまいました。
まぶたを少しおおう包帯は、巻き終わればパレードの面影をひとつも残さないのです。
「まったく……とんだ道化じゃないかい」
「まぁ、それが
命を捧げたパレード。心臓のない、包帯男。
彼が仕えているのは絶世の美女と謳われた魔物と、その娘。
口うるさいお目付役として、小さなころから娘に寄り添ってきた包帯男。
「それにね……ぼくはなんだか、今の立場も気に入っているんだよ」
彼は愛する者のそばにずっと居るという約束を、どんな姿になっても守り通したといいます。それが命の短いニンゲンの約束だったとしても。
たとえ、その代償に自らが愛した者に永久に忘れ去られてしまったとしても。
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