第29話

「本日は、【HOTEL GHOST STAYS】の歌劇をご覧いただき、皆さま大変感謝いたしますわ。どうかこの後はお席で、ごゆっくりお食事とご歓談をお楽しみくださいませ」


 そうエリースが胸に手を当てて一礼すると、ホテルの従業員たちもそれにならって全員が深い礼の姿勢をとりました。

 パチパチと拍手をしながら支配人オーナーがホールの中央へと歩いてきます。そうして指をぱちんと鳴らすと、あっという間に花や料理が蘇り、テーブルを彩りました。セイレーンの声に苦しんでいたものも、何が起きたかさっぱりといった具合に、元の顔色で席についています。


「いやいや、本日は5姉妹さま勢揃いということで、当ホテルの余興にご参加いただき誠にありがとうございました。たまには魔神の皆さまも、このような趣向の催しがあった方が楽しんでいただけるかと思いましてね」


 支配人オーナーの言葉に、賢いセイレーンはグッと黙り、そしてうなずきました。この灰色狼や魔神たちの機嫌をそこねて敵に回すのは、一番良くないとわかっていたからです。

 そして内心、後腐れのないように歌劇という形で場をおさめてしまったエリースの手腕を、とても悔しいけれど認めざるをえないなと思っていたのでした。


 さて、そうとなればお客さまは大喜び。

 春の精霊たちも花びらを天上からふらせ、ニンフたちはエリースを取り囲んで褒め称えました。お酒に料理にと、どんどん追加が入るのでスタッフは一気に大忙しです。あっちからこっちから呼ぶコールに、皆は散り散りになって働き出しました。




「オーナー、すみません……わたし」

「いやいや、いいんだよエリース。とてもいい顔で歌うようになったじゃないか、うっかり私も止めに入ることすら忘れて惚れ惚れしてしまったよ。お見事お見事」

「これは、お守りのバラのおかげなんです。でもどうしてかしら、バラが枯れてしまっても、誰もへんにならずに歌い続けることができたんです」


 首をかしげるエリースに、支配人オーナーは優しく微笑みかけました。どう考えてもやっぱり似ていないわね、とひっそりエリースはヨルのことを思い出していました。


「エリース、それはね、ただの黒いバラなんだよ」

「えっ!?」


 エリースは思わず大きな声を出して、慌てて口をふさぎました。


「だって……わたしの歌声はのろわれてるって皆が。オーナーも昔「もう誰も傷つけないように」ってわたしにおっしゃったじゃないですか」

「それはね、エリース。きみ自身のことでもあったのだよ。あの頃のきみは、悲しみと後悔と恨みをずっと声に出してさまよい続けていた、そのあまりの美しい歌声と狂おしい悲しみの念に、実を言うとニンゲンがのまれていただけなんだ。そして誰かが犠牲になることにも、歌を止められない自分にもきみは傷ついていた……だから歌うことをやめるよう、約束をしたんだよ。きみは、本来の自分を取り戻したんだ。『おまじない』なんて実は最初からなかった、きみが自信をもって楽しく歌えば大丈夫だと……彼は信じていたんだろう」

「たいへんっ」


 エリースは手にもちかけたティーポットを、思わず支配人オーナーの手に押しつけながら言いました。


「ああっ、どうしよう。いえ、どうしましょう支配人オーナー。わたしヨルにお礼を言いに行かなきゃだわ。あっでもお仕事が……」


 押しつけたティーポットを慌てて取り返そうとするエリースを、そっと支配人オーナーが手で制しました。するすると、レモンのスライスがポットの周りに漂いはじめ「ミルクティー専用!」と手元のポットが蓋を開けながら抗議しています。


「本日の一番の歌姫に、休暇を命じる。……といえば聞こえはいいけど、行ってやってくれるかい? きみも落ち着かないだろうし、弟はあれでもとてもこのホテルの皆のことを気にかけているようでね」


 軽やかにウィンクをする支配人に「はいっ」と元気よく返事をして(内心、エリースは「ああまたやってしまった、淑女の礼はどうしちゃったのかしら」などと思いながら)、エリースはくるりと向きを変えるとホールを後にしたのでした。


「あちゃー、傷ついたお姫さまを救うのは美しい王子だと思ってたんですけどねぇ。僕じゃ役不足でしたかねぇ」


 たんぽぽの妖精たちに「エレンだいすき」と綿毛をたくさんくっつけられながら、朗らかにそう呟いたエレンの言葉に皆はぷっと吹き出したのでした。

 その表情が、彼女のあらたな門出を心から祝っているのを、皆知っていたからです。

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