第28話

 突然現れた黒い喪服のドレス姿の幽霊ファントマに、あたりは騒然となりました。


「魔物や精霊の勝負に、元ニンゲンの幽霊ファントマが入るだって? こりゃあおかしなことだ!」

「命知らずだぞ、浄化されておしまいさ」


 皆が口々に叫ぶ様子にエリースは「あら、皆さまはご覧になったこともないのにニンゲンの娯楽を否定なさるのね。とてももったいないことだわ」と艶めかしく笑いました。

 舞台にあがるためのメイクをほどこしたエリースは、まるでヴァンパイアの姫かのような迫力です。その笑みに、ホールにいた全員が圧倒され黙りこくってしまいました。


 エリースは上品に一礼をし、声高らかに歌いはじめました。

 天上と地上、すべてを洗い流した後の再生の物語です。小さな芽吹きがやがて生命へと息づいてゆく喜びの歌を、エリースは様々な声色をつかって歌いわけてゆきます。


 はじめうっとりと聴いていたホテルの皆は、エリースのステップにあわせ歓声をあげ、手拍子や演奏をはじめました。


「エレンもおいでなさいな」

「えっ!?」


 スッとエレンの手を引いて、エリースが踊るとまたもやホールのあちこちから歓声が上がります。

 もう誰も、エリースのことをただの奇怪な幽霊ファントマだとは思っていませんでした。

 そう、神獣も精霊も魔物も。惑わす美しい歌声は孤高のもので、ただただ誰かを狂おしくさせるもの。劇場で多くの観客に囲まれ、皆の感動や笑顔、涙を生みだしてきたエリースの方が、他人を巻きこむ巧さは段違いだったのです。


 してやられたと思ったのでしょう。セイレーンの姉妹は怒った表情でキィキィと声をあげて邪魔をしようとしました。

 破滅の歌、リゲイアの耳をつんざくような声に、皆は思わずうずくまって耳を塞いでしまいました。ホールに飾られた花瓶の花や、大皿の料理がみるみるうちに真っ黒な灰へと変わってゆきます。


「あっ」


 エリースはセイレーンの翼にはたかれて、思わず転んでしまいます。そして自身の胸に飾っていた黒いバラが、はらはらと灰へと変わっていくのを目にしました。

(どうしよう、これじゃもう歌っては皆が……)

 エリースは灰になって砕けてしまったバラを手にしたまま、その場から動けなくなってしまいました。


「みにくい亡者よ、すでに時の終わりし者よ。この場を台無しにして私たちを馬鹿にしたつもり? 歌というのはもっと高尚で、ニンゲンや亡霊が扱えるような単純なものではないのよ」


 セイレーンの言葉に、エリースは「そうじゃない」と顔を上げました。ここにはいないはずのヨルの「大丈夫だって」というつまらなそうな声が、心の中に響いてきました。


「わたしの生きる時は確かに終わってしまったわ。焼けてガラスの刺さった姿のみにくい亡霊だってことも認める。けれど、わたしはあなたたちのようなわめき声よりも、家族の幸せを祈って歌うの。誰かのために、自分の喜びのために歌えない歌こそ、歌とは言えないわ」


 立ち上がったエリースの前には、エレンとユルが「そうだよ」と力強く頷いて手を差しだしていました。


「彼女は僕の命の恩人だ。いくら時が進むことはない存在でも、確かに僕を生かしてくれたたったひとりの人だ。その彼女にひどい言葉をかけるというのなら、僕はおばあさまの約束を破って灰になってしまったとしても、あなたたちの中から誰かを選ぶということは絶対にしない」

「お客さまといえど、我がホテルの家族であるスタッフを傷つける行為には、全くもって同意しかねます。そして彼女は、このぼくにヒトとして生きる様々な知恵をさずけてくれました。たとえ幽霊ファントマだとしても、ぼくたちにとってはこのホテルで共に過ごす大切な仲間です」

「エレン……ユル……」


 エリースが周囲を見渡すと、ホテルの仲間たちが気づかわしげにこちらを見ていました。そして、ほかのお客さまたちの不安げな視線も。


(まかせて、わたしは幽霊ファントマのエリースよ。大劇場に棲みついていた、オペラ歌手なのだから……!!)


 エリースは突然煌びやかな笑顔で立ち上がると、終演の数小節を歌い上げました。セイレーンの翼と手を繋ぐように駆け、まるでホール全体が魔法にかかったような雰囲気へと変わりました。

 そして両手を広げて微笑む彼女の周りで、苦しみ出すものなどひとりもいなかったのです。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る