第25話

「そうかい。だからきみは歌えなくなってしまったというのだね」

「そう……誰もがわたしの歌声を恐れ、そして聴いたものは皆死んでしまったわ。のろいの歌だと誰もが言った。一番大切な人を信じられなかった罰と、後悔でわたしは世界に縛りつけられたんだわ。そしてわたしの焼けた身体は昔のような歌声なんて出せなくなっていたの」


「ふうん」とヨルはその大きな眼でエリースをじっと見つめました。


「隠したってムダだっていうのは、支配人オーナーと変わらないのね」

「まあね、ぼくはにいさんと違っておせっかいはやかないけれども」


 全ての世界に通じるヨルには、エリースの人生についても「知ろうと思えば」すぐにお見通しなのです。


「わたしはうぬぼれていたのかもしれないわ、自分が一番だって。けれどどんなに着飾っても、晴れやかな舞台に立ったとしても、自分の願いごとのためだけに歌っていては何も手に入れられなかった。わたしの歌なんて、大切なものに比べたらなんてことなかったんだわ」

「それはたとえ魔物や神だって同じさ。ぼくから言わせてもらえば、あのセイレーンの歌声なんてそりゃあ傲慢ごうまんで欲まみれで、わめいてばかりで、まったくもって聴けたもんじゃないよ」


 ヨルのうんざりした表情に、思わずエリースは「ふふっ」と笑いました。


「伝説の歌声を、そうやってばっさり切り捨てる方を見たのははじめて」

「あいにくと、ぼくにはのろいや魔術のたぐいが一切効かなくてね」


 そこまで言って、ヨルは「そうだ」と呟きました。


「きみは本当は歌いたいんじゃないのかい? けれど過去がおそろしくて、誰かを傷つけたくなくて……歌わないんじゃないの?」

「それもあるけれど……そんなたいそうなものじゃないわ。わたしの焼けてしまった喉は、昔のようにはもう声を出すことができなくて。それに、支配人オーナーがわたしを劇場から連れ出してくれたときに約束したの『もう誰も傷つけない』って」

「じゃあ、今ここで歌ってみてはどうだろうか? さっきも言っただろう、ぼくにはのろいの歌声なんてこれっぽっちも効きやしないんだから」

「で、でも……」

「安心をおし。聴いているのは地下から何百年も出ることがないヘビ一ぴき。ぼくには芸術の心得もないから、たとえきみがどんな声であろうと気にも留めないよ。きみを褒め称えもしないだろうけれど、がっかりすることだってないんだから」


 エリースは少し驚いたような顔をして、そしてすぐまた泣きそうな表情で微笑みました。そう、彼女は期待されても自分の歌声にそんな価値はもうないと、皆に「こんなものか」と残念そうな顔をされたくないと、心の底では思っていたのです。


「神様の前では、のろいだってプライドだって、本当にちっぽけなのね」

「そんなこともないさ。それにぼくは神さまなんかじゃないし、本当にほしいものが永遠に手に入らないって意味では、きみや他の誰かと同類なんだよ」

「まぁっ」


 いつの間にか、自分の感情のままに表情をころころと変えていることに、エリース自身はまったく気づいていませんでした。

 この幽霊ファントマは、過酷な勝負と成功の世界で生きているうちに、本心のままでいることができなくなってしまったのだろうなとヨルは思いました。いつも強くて、美しくて、誰もが頼るお姉さんのエリース。けれど、なんだかそれはヨルにとっては、すごくもったいないことのように思えたのです。


 少しだけ心の軽くなったエリースは、さえずるようにささやくように、遠い昔の歌を口づさみました。声はさっきとはうって変わってちゃんと出ていましたが、悲しみが押し寄せてきたのでしょうか、「やっぱりダメだわ」と急に押し黙ってうつむいてしまったのです。


「ふむ、それならばきみにいいものをあげるよ。明日またこの時間にこの場所へおいで、エリース」


 そう言い残し、ヨルはずっずっと重たい音を残して暗闇に消えてしまったのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る