第22話

 エリースは仕事が終わると、ひとり誰もいない地下の物置きへと向かいました。今日はもう誰とも会いたくない気分だったのです。

 幽霊ファントマである彼女は、壁を通り抜けることだって簡単にできます。ですから、誰も通っていない廊下を選んでは壁を抜けてどんどん地下へと進んでゆきました。

 すずらんの灯火がころころと点滅し、わずかな蝋燭を灯しただけの地下の廊下。その先にある物置きはひとりで考え事をするのにはうってつけの場所でした。


「へんだわ、物置きまでまっすぐ壁を抜けてきたはずなのに」


 幽霊ファントマとはいえ、いつもなら誰かが入れば勝手に蝋燭に火が灯るのですが、あたりは何ひとつの光もなく真っ暗なままです。


「照明が壊れてしまったのかしら、でも……」


 エリースはため息をついて、その場に座りこみました。そしてふうとため息をついては、少しなら歌えるかしらと口をひらこうとしてみました。

 けれど、息を吸うだけで苦しい気持ちになってしまって、上手く歌うことができません。


「ああもういやっ、歌なんてだいっきらいよ! みんなみんな、だいっきらい」


 普段なら絶対に言わないような乱暴な言葉で、思いきり足を投げ出してエリースは叫びました。


「おやおや、誰だい。こんなところに迷い込んでしまったおてんば娘は」


 誰かに聞かれていたことと、誰の気配もしなかったこの場所から返事がしたことにエリースは心底驚いて言葉が出ません。

 それにおてんば娘ですって? と思わず投げ出していた足を揃えて座り直しました。


「その様子だと、自分がどこに入ったのかも理解していない様子だ。やれやれ」


 地の底から響くような声が、少し呆れたようにそう囁きます。その声に合わせたように、辺りに蝋燭の火が一斉に灯り部屋の中を照らしました。


「あ、貴方はユルの話していた大蛇……」

「そうヨルと呼ばれているよ、おてんばなお嬢さん。きみは……ユルの先輩の幽霊ファントマだね」


 さっと淑女の礼をとろうとしたエリースに「今さらそんなのしなくていいから」とヨルは眠たそうな声を出します。


「たいへん失礼しました、貴方のいらっしゃるお部屋だとは気づかなくって」

「べつに。それにネズミやカエルなんかと違って、きみのことは取って食えやしないから安心をおしよ」

「寛大なお心遣い、感謝いたしますわ」


「もう、何それ」とヨルはため息をつきながら返事をしました。

「さっきみたいに好き勝手に喋ればいいのに、急にかしこまっちゃってこれはまたどうしたんだい? それともさ、きみってとびっきりの役者か何かかい?」


 ヨルとしてはなんでもない、ただの少しのいじわるだったのです。ユルと出会ってからのヨルは、この部屋にもし紛れこんだものがいても決して食べることはしないと決めていました。けれど、皆は自分を見ると勝手に恐れたりかしこまったりするので、少々飽き飽きしていたのです。

 けれどその鼻息が頬に当たったエリースは「なによ」と思いました。この完璧な所作もマナーも、自分が生きていた時を含めて一生懸命身につけてきたものなのです。ずっと地下にいるこの大ヘビに、突然ずけずけと言われるのはなんだか面白くありませんでした。


「ふぅん、いい目をするじゃない? きみ、本当はすごく勝気な子だねぇ。でなきゃゴーストになってまで、この世に留まるなんてしないものね。哀れなあわれな未練に縛りつけられたヒトであったものよ、何か言いたいことがあるのなら吐き出しておしまいよ」


 その言葉に、エリースはかちんときてしまったのです。

 今日は皆が無邪気に自分が歌えるかもしれないと見てきた日でもありました。特にエレンのあのなにも知らないかわいらしい顔といったら……! エリースは普段完璧な皆のお姉さんでいるのも仕事のうちと思っておりましたから、悲しくて不安定な気持ちが今日はどうしてもしまい込めなかったのです。


「なによ、なにも知らないのに哀れだとか吐き出せだなんて。そうやって誰の気持ちもわからずにずっと地下にいるから、ユルだってマシューに取り返されちゃうんだわ」

「へっ……?」


 エリースはまくし立ててしまって、しまったと思いました。

 ゆらりと動いた大ヘビの巨大な口が、すぐそこまで迫ってきていたのです。


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