第21話

「なんてこったい……おばあさまの気まぐれはいつも突拍子もないんだから」


 エレンは少々困った顔で、夕方のミーティングで支配人オーナーや仲間たちを集めてこう言いました。


「『うつくしの鏡』を一番歌声の美しいセイレーンにあたえるだなんて……」

「ふむ、それでこのホテルへ宿泊される際に歌勝負をしたいとお客さまがおっしゃっているわけだね」


 物腰の穏やかな灰色の狼人間ヴェアヴォルフ、このホテルの支配人オーナーがふむと顎に手を当てて考えるような仕草をしておりました。

 どうやらエレンのおばあさまがボードゲームの勝負の際に、そんな口約束をしてしまったそうなのです。エレンの家に代々伝わっている『うつくしの鏡』、それはこの世でいちばん美しいものをうつす魔法の鏡でした。

 それならば、とセイレーンの5姉妹はもっとも美しい歌声の勝者はエレンをお婿さんに迎えたいとまで言い出したそうです。

 これには歌自慢のローレライや春風の精霊たちだって、黙ってはいませんでした。皆が皆、自身の歌が一番だとゆずりません。


「だから今日はやけに予約のコールが多かったのか……」

「しかし受けてしまった予約だからね。それはありがたくお受けすること、そして皆さま隔てなくきちんとおもてなししなさい。あとは……」


 オーナーの言葉に、皆の視線がふたたびエレンへと注がれました。


「こういうのが嫌だったから、僕はここへやってきたのにな」

「エレン……」


 髪の毛を抜けそうなほど引っ張りながら、つぶやくエレンにユルは心配そうに声をかけました。

 おばあさまの約束事は、純血のヴァンパイアであるエレンにとっては絶対のものです。怪物の約束は、たとえ口約束であっても恐ろしい誓約がついてしまうものなのでした。


「我レハ、歌ハウタエヌノダ」

「私は泣き叫ぶことしかできないし」「私も」

「おいらも歌は……しかもセイレーンが相手なんて到底無理な話じゃないですかね」

「おれも、遠吠えくらいだし」


 皆がめいめいに、エレンの手助けになれないかと案を出しますが、伝説の歌声をもつセイレーンが相手ではどうすることもできません。


「あら、皆さまおそろいでどうしたの?」


 そのとき、本日の給仕係でこの場にいなかったエリースがたまたま通りかかりました。


「そんな気むずかしい顔をして、何かあっ」

「エリース! そうだきみだ!」


 エレンがその表情をパッと輝かせてエリースに駆け寄りました。


「きみはその、昔歌姫だったんでしょ? お願いだ、僕を助けると思ってさ。歌の勝負に出てくれないかい?」


 しかしエリースの答えは、エレンの期待したものとは真逆のものでした。


「……ごめんなさい。それはできないわ」

「えっ、どうして」

「どうしても。どうしても嫌なの。エレン、何があったのかは知らないけれど、わたしに歌を歌うなんて無理よ」


 少しだけ、エリースの周りがぐらりと揺れ、熱くなったのをエレンは感じとりました。エリースが怒ると周囲が燃えてしまうと聞いたことのあるエレンは、咄嗟に一歩後ずさってしまいました。

 エリースはそれを哀しそうに見ると「じゃあ、わたしは仕事に戻るわね。ごきげんよう」と言い残して煙のようにいなくなってしまったのでした。



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