第19話 せかいでいちばん美しかった鳥

 ハルピュイアはそれはそれは美しい生きものでした。

 黄金の鱗に宝石の角や爪をもち、鏡のうろこや絹のようにすべらかなひれ、その翼は極彩色のにじいろで、歌声は天国から響きわたるような美しさです。

 千の姿をあやつり、はるかぜとたわむれ、星々と会話し、白いゆきの中で舞うのが彼女は大好きでした。そしてなによりとても優しく、かしこいのです。

「そのちえで、ハルピュイアはだれもかれもを助けてくれる」そうありとあらゆる生きものや精霊たちがうわさをし、ハルピュイアを愛しておりました。




 あるとき、海のちかくで助けを呼ぶこえが聴こえました。


「向こうの島に行きたいです。けれどもわたしには、あなたのようなりっぱな鱗もひれもないのです」


 そう泣く大牛に、ハルピュイアは自分の鱗とひれをあたえました。


 向こうの島へわたる方法は、ほんとうは考えればいくらでもあったのですが、大牛は鱗とひれを強くのぞんでいるのがわかったハルピュイアには、それが一番よい方法に思えたのです。




 またあるとき、水辺からかなしい歌声が聴こえてきました。


「ああ、あのひとに逢いに行きたいのです。でも私にはあなたのような美しい脚がございません」


 人魚があまりにも恋焦がれ涙するので、ハルピュイアは自分の姿からニンゲンの脚を人魚にあたえました。

 地上に出た人魚は、それはそれは浮かれて、どこのだれなのかも知らないまま、ひたすらに恋焦がれたニンゲンを探しにいってしまいました。




 あるとき、いちわの無色の鳥が涙ながらにハルピュイアのもとをたずねてきました。


「ぼくにぴったりなおよめさんを探しています。けれども、ぼくにはあなたのような美しい色彩がないのです」


 実のところ、ハルピュイアは自身の翼が虹色になるよう、たくさんの毒を地上で食べてはその身にたくわえておりました。それはたいへん苦しい努力でしたから、優しいハルピュイアは羽根をむしってはその色彩だけを鳥にあたえました。


 鳥はうれしさのあまり舞い上がって、言葉のとおりそのまますっ飛んでいってしまいました。




 またあるとき、鉱石の虫たちがたずねてきてはこう云いました。


「どうしても、混じり気のない紅い血のような石を生みだすことができません。それさえあれば、我が一族は他をおさえもっと栄えるでしょうに。一族のことを思えば、わたしは死ぬにしねません」


 ハルピュイアは、十分に彼らの石も美しいのに……と思いましたが、あまりの思い悩みように、自身の左目のルビーを彼らにあたえました。


 虫たちは大喜びで、それをもちかえり、やがてルビーは地上のあちらこちらで彼らの一族により売買されることになりました。




「あなたさまのような、豊かな翼があれば」


 飢饉の村には、豊穣の風がむく自身の風切り羽根をあたえました。




「わがはいには、見通す道具がないのです。国を平和にしたくてたまらないのに」


 世界中を見渡したい平和主義の王さまには、鏡のうろこをあたえました。




「次の舞踏会で、世界一美しく歌えたら結婚してくれるとあのひとが約束してくれたの。けれどわたし、あなたのような美しい歌声ではないんだもの」


 愛をほしがる歌姫には、その美しい歌声をあたえました。




「村を救うために、自分に似合う世界で最も美しいツノをもってくるようにと、あの怪物に云われたのです。けれども、我々には怪物にみあうツノなんてつくれもしません」


 ほねつぎの一族にそううったえかけられ、ハルピュイアはダイアモンドの角を彼らにあたえました。




 やまいをなおす涙も、春風をよぶくちばしも、雪と舞うことのできる尾羽も、「わたしにはないものです」と相談してきた精霊たちに、ハルピュイアはこころよくあたえました。





 もう、ハルピュイアには、だれかにあげられるものが何ひとつ残っておりません。


 美しいハルピュイアのことを、時とともに皆が忘れました。


 大牛も、人魚も、虹色の鳥も、宝石の虫も、鍛冶屋や錬金術師の一族も、王国の民も、四季の精霊たちだって。彼らの子孫はハルピュイアをみにくい怪物、もしくは精霊の失敗作だと思っておりました。




「どうもこんにちは」


 泥のようなあぶらの中で、ゆっくり身を起こすと。何百年ぶりでしょう、ハルピュイアに声をかけるものがいたのです。


「もし、どなたでしょうか。わたしにはもう何もあげられるものがないのです」

「いいえ、ハルピュイア、けれどぼくはあなたにひとつお願いをしにまいりました」


 ハルピュイアはとてもかなしいきもちになりました。

 だって、こんな何ももたない自分が、何をしてあげられるというのでしょうか。


「もうしわけありません、けれどもご存じないのですか? わたしは怪鳥、ハルピュイアです。潰れた声と、飛べない翼と、みにくい姿しかもちません」

「ええ、ハルピュイア、知っています。けれども、あなたの姿とは何の関係もありません。その知恵と、ぼくの目を覚ましてくれた声を、どうかどうかかしていただきたいのです」


 もううすぼんやりとしか視えない目で、ハルピュイアは声の主を見上げました。

 にこりと微笑む、おおきなおおきな灰色おおかみがそこにはおりました。


「わたしを食べますか、おおかみよ。けれども、それでは知恵なんて手にはいりませんよ?」

「食べるなんて、とんでもない」


 そのおおかみは、あまりに強く恐れられ、世界の端にあごを貫かれて繋がれていたそうです。

 その封印を、ハルピュイアの苦しみうめく声が解いてしまったのです。その痛みが風にのり、縛りつけていた縄を腐らせてしまったのです。

 おおかみはどうにかしてハルピュイアを救いたいと、傷だらけのままこの地にやってきたのでした。


「よしてくださいな、こんなみにくいわたし、何の役にも立ちません」

「そんなこと言わないで。みにくいことが、何の理由になるでしょうか? あなたのしてきたおこないは——だれよりも高潔で美しい」


 泣きたいハルピュイアは、もう涙を流すことすらできませんでした。

 けれどもその鉛のように重くなっていた心臓が、まるで解き放たれたかのようにふたたび強く鼓動を打ちはじめたのです。



「あなたの翼をなおすために、できるかぎりのことをしましょう」


 だって、世界には。

 ハルピュイアが授けた知恵がたくさんあるのです。

 天から賜った魔法も、おおかみは知っておりました。


「だから、探して、探して、あがいてでも探しましょう。ぼくにはハルピュイア、あなたのお力が必要です。そして、あなたを助けたいのです」





 何十年……いや何百年、経ったでしょうか。


 どこかの国の、深い深い森の奥。

 ここには不思議なホテルが建っていました。


 お客様はお化けや精霊、悪魔や怪物たちばかり。

 由緒ある、格式高いホテルです。


 そのホテルの時計台のある大屋根には、時刻を知らせるそれはそれは美しい——まばゆい鉄の鎧の翼をもった鳥が棲んでいるのだそう。


 その叫び声はあらゆる苦しみを知り、そしてそれを癒す力をもつのだとか。



 ここはホテル・ゴーストステイズ。

 不思議な不思議な、優しい支配人オーナーのもとに集まった怪物たちが働く、素敵なホテルです。

 どうぞ見つけた際には、あなたさまも心置きなくご宿泊を。極上のおもてなしにてお迎えいたしますよ。


 えっ? ニンゲンだから泊まれない?

 ふふふ、そうですね。ならば一晩だけ、あなたもこちらの世界の住人になりすませる魔法をかけましょう。



 さあ、夜の帳が降りるころ。

 聴こえますか?

 一日の始まりを知らせる——美しき怪鳥の声が。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る