第15話 本の悪魔の本屋さん

  どこかの国の、深い深い森の奥——。


 ニワトコの木の根元にある古びたひとつのドア。ベルを鳴らせば「ゲコリ」と鍵のカエルが返事をして、『OPEN』の灯火と共にそれが開くのです。


 ここは、悪魔・ブックマンのいとなむ本屋。

 世界中に類をみない、よそでは手に入らない本がよりどりみどり。

『灰の降りそそぐ水曜日』の前は、特に大忙しです。なんたって、怪物たちも翼が汚れるのを嫌って、とうの水曜日にはめったに外には出ないのですから。


「いらっしゃいませ。どんなものをお探しでしょう?」


 灰よけの呪文がこもった水タバコをゆっくりとふかしながら、ドアに背を向けたままブックマンは来客をむかえます。

 そう、彼の顔は。見るものによってはそれはそれは恐ろしく不愉快で、また別のものには顔を隠した何某か——に見えてしまうんだそうです。ですから、彼は滅多なことではふりかえらずに、ゆるりと煙で本たちを束ねては過ごしているのです。

 

「こんにちは、ブックマン。お客様が物珍しいものを……とご所望で」

「なんだい、ユルか」


 ブックマンはくるりと振り返ると、深く息を吐きながら店の中にある鳥籠やケースの鍵をひとつひとつ煙で開けてゆきます。


「『眠れる森の美女』は今日もおやすみ中?」

「いいや、今は『日と月とターリア』の月間らしい。触れないことをおすすめするね」

「あっ、じゃあ後で『ペンタメロン』たちを探さなくっちゃ。あれれ、また『ジキル』は『赤ずきん』と共食いを?」

「そうさ。今そっちの本の中ではハイドと狼が赤ずきんを巡って乱闘中さ」

「あきないね、まったく」


 糸紡ぎ虫と本綴じ妖精たちの巣箱を開け、そこに砂糖の粉をほんのり落としてから、ユルと呼ばれたニンゲンが振り向きます。

 あきれ顔のふたりをよそに、そこには獰猛な唸り声をあげて噛みつき合う本が二冊。煙を吹きかけようとするブックマンに「ちょっと待って」とユルは目くばせをし、鉄の手袋をはめた左手でそっと二冊を引き離しました。


「怪我した子は治してあげなくっちゃ」



 巣箱の中から文字の小蜂が飛び出して、ああでもないこうでもないと羊皮紙に文字を刺し綴ります。破れたページを綴れば、糸紡ぎ虫や本綴じ妖精の出番、鈴の鳴るような声でちょいちょいっと本を治してしまうのです。

 書き損じ羽ペンがいたずらを仕掛けてくるので、それを指先でくすぐってユルは遊んであげました。


「本自身も歴史で物語さ。弱肉強食、消えちまうやつは消えちまう。けれどユルはいつもそうして本を治そうとするもんだねぇ」

「痛いのはやだもの。寒くてお腹がすくと、どんな生き物も怪物だって悲しくなっちゃう」


 この店にある本はどれもこれもが"いわくつき"。

 深海の大柳の皮で作られた『ずっとびしょびしょ水音の本』や、どこまでも終わらない迷路で知恵比べを持ちかけてくる本、元の持ち主を吸い込んでしまいそのまま何百年経っている本だってあります。


 そう、悪魔のような——"悪魔にしか持ち得ないような"品揃え。

 だからお店の本は「いつだってそこにあるとは限らないし、永久に戻らないかもしれない。または在るのにてんで姿を見せないかもしれない」。


 とうめいな絵本、は今日も顔を出しません。

 動物にされた王様、はもう世界を何周したことでしょう。

 文字が飛び立つ本、のnはかれこれ九年ほど暖炉の上の蝋燭に恋焦がれては帰ってきません。

 カラスの物語、はそろそろ赤以外の実がほしいと頁をパラパラめくってはおねだりを。

 深淵の海図、からは今日もごうごうとした唸り声が聞こえてまいります。

 吸血鬼の本、は持ち主をまたもや襲いかけて返品、レンガを挟んでお仕置き中です。


「物語の中には別の物語。物語の中には別の可能性。物語の中には別の正義と別の悪意、さあ、幾度巡っても飽きないことでしょう」


 ブックマンはそれを所持しては、けれどもどれにも頓着をしておりません。

 彼もまた、「時は飛ぶものだ」と気にもとめないタチなのです。


「さぁてユル、こいつはどうだい?」

「みつくろってくれたんだね」


 するすると、煙に巻かれてユルの前に現れたのはごつごつとした装丁の本です。


「火鼠のひげで閉じた、ボルギル溶岩悪魔の生え替わり羽で表紙を固めたものさ。今日のお客様は炎の馬車なのだろう? まずもって灼けおちはしないさ」

「さすがの目利きだね」

「そりゃあどうも」


 絶対に灼けない本。それが今日の最低条件。

 森の丘の上のお化けホテルでホテルマンをするユルは、時折こうしてブックマンを訪ねているのです。


「もうすっかり大きくなって。はじめてお使いに来た時には、護りの赤いろを被ったかわいいかわいい赤ずきんだったのにね」

「よせやい。ずぶ濡れで大変だったのは今でも覚えてるけど」

「ああ、覚えているとも。あの時も——」


 とんとん、がちゃり。とドアが開きました。


「ユル、また本と遊んでるんじゃないか」

「あれれ、マシュー、どうしたの? もうそんな時間?」


 ふぅーとブックマンは息をはきました。

 お化けや怪物たちの寝静まる昼間。灰の水曜日の始まる夕暮れまでは、まだまだ時間もあるのですが。


「ほらほら、赤ずきんちゃん。オオカミが迎えに来たから帰らないと」

「ぼくは赤ずきんじゃないってば。道にも迷わないし、もう赤の外套は入らなくなっちゃったんだからね」


「おおかみとお月様」の本が、入ってきた狼人間の尻尾にやたら噛みつこうとするのをそっと抱き上げながら、ユルはそう微笑みお代を置いてゆきます。


 ユルがはじめておつかいにやってきた、まだ小さな小さなころ。

 みなしごのユルを拾ったという狼人間は、心配のあまりそっと後ろをついてきていたそうです。


「ほんとうに、随分と大きくなったものだなぁ」


 ブックマンは不変というものをあまり信用しません。

 だって物語ですもの、ハッピーエンドのその先が綴られているのだって、彼は知っているのですから。


 けれども——。


 彼の手には一冊の「とうめい絵本」がありました。


 それは遠く……いえいえまるで彼にとっては昨日のような日。恐る恐るお使いにやってきた赤ずきんちゃんが、本を慈しむ珍しいいきものが、そうであれと願った物語。


 そこにはおおかみと仲良く暮らすしたたかな赤ずきんが、誰にも見えないまま——それでも確かに生き生きと描かれているのでした。

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