Once upon a time with Nightmare
第14話 やさしい悪夢
バグベア、はニンゲンたちに悪夢を視せたり、時には食べてしまうと伝えられているおそろしい怪物です。
ですからここいらのお家では、お母さんたちが皆こぞって「言うことを聞かない子はバグベアに食べられてしまうよ」と子どもたちに言うのです。
宙クジラが季節をつれて大空を渡る日、サーウィン——もしくはユールの夜。
ヒトもおばけも、その境目が混じってしまう夜に、一匹のバグベアがふよふよと獲物を探してさまよっておりました。
その姿は人の子どもくらいの大きさをした、真っ黒な毛玉のようです。ですから彼は
「タイヘン満足シタ夜ダ」
正直なところ、バグベアはニンゲンの血の味よりも楽しい夢を食べてうばい、恐ろしい夢をかわりに視せる——その恐怖や嫌な感情を味わうほうが大好きでした。
今日はあちらこちらで楽しい感情や、恐ろしい感情が溢れている日。
お腹はいっぱいになったのですが、どうせならもうひとりくらい子どもを泣かせてやってもいいな……とバグベアは夜風に吹かれてあてもなく漂っていたのです。
すると、どこからでしょう。
とてもとてもかなしいきもちの匂いが、風にのってやってきました。
「コンナ夜更ケニダレナノダ……? ヨゥシ、モットモット泣カセテヤルゾ」
その悲しみの匂いは底しれない感じがして、バグベアは心を躍らせながらその方角へと漂っていきました。
そこは一軒のお家の屋根裏部屋でした。バグベアは、ニンゲンの建てたものの壁なんてあっという間にすり抜けてしまいます。
そこには少しばかり藁を集めた中で寝転がっているひとりの女の子がいました。
「ドンナモンダイ!」
とてつもなく恐ろしい黒い悪魔の姿の幻を視せて、彼はそうすごみました。しかし、女の子は目を見開くだけで、泣きも叫びもしませんでした。
「ドウシタ……ナゼ怖ガラナイ?」
悪魔の姿も、血の滴る鏡も、凍てつくような夜風の女王の声も。バグベアはいろんな幻にくるくると姿を変えましたが、一向に女の子の感情は変わりません。
それどころか、女の子は少し顔色の良くない頬をほころばせて、バグベアに微笑みかけたのです。
バグベアはもうこんがらがって、ない首を一生けんめいかしげようと試みました。
そして、どうしたものかと両手を差し出してきた女の子の近くまで漂ってみたのです。
するとどうでしょう。突然、女の子がぎゅっと抱きついてきたのです。
「ナ、何ヲスル……!!」
バグベアはさらにこんがらがってしまいました。
真っ黒で毛むくじゃら、恐ろしい姿をしたバグベアを抱きしめるものなど、今まで誰ひとりとしていなかったからです。
(すごいわ、わたしだけもらえないと思っていたぬいぐるみ。きっと神様がおよこしになったのだわ……)
抱きしめられた腕から流れ込んでくる女の子の感情に、バグベアは少々不服でした。
だって、自分は神様がよこしたものではないと知っていたからです。
だいいち、誇り高い怪物なのに、ぬいぐるみと思われるだなんてもっと不服でした。
「ヤイ、ニンゲンメ、オマエヲ丸呑ミニシテモイインダゾ」
その言葉にも、女の子は首をかしげただけです。
バグベアは、ひとつしかない大きな目を細めたり、少し見開いたりしてすごみましたが、女の子のお洋服の煤が入って痛くなるだけでした。
女の子はどうやら、口がきけないようなのです。
それに、自分が恐ろしい怪物のバグベアであることも、ここに閉じ込められていてまったくもって知らないようでした。
なんだ、それで叫べもしないのかい、とバグベアは途端につまらなくなってしまいました。
けれども、バグベアが去ろうとすると、女の子は突然涙をぽろりとこぼしたのです。
バグベアはもうこんがらがりすぎて、きもちがぐっちゃぐちゃになりました。
大好物なはずのニンゲンの涙が、まるで刺さるように自分をおそってくるように思えたからです。
(もう少し、もう少しでいいからここにいてほしいな)
「仕方ナイ。娘ヨ、ナラバ暇ツブシニオマエニ話ヲシテヤランデモナイ」
バグベアはあらゆる夢も、恐ろしいものも、奪ってきた楽しい夢だって知っていました。ですから、自分の蓄えてきた楽しい夢を女の子にひとつ、与えたのです。
女の子が笑うと、不思議なきもちになりました。
賢いバグベアはそれが何なのか、自分に知らない感情があるのは良くないと、それから毎晩女の子にひとつ夢を与えにやってくるようになりました。
(ブーブ、今日も来てくれたのね! 嬉しいわ)
女の子の顔や腕が、時折
ブーブだなんて変な名前だ。勝手に呼ぶな、と内心バグベアは不服でしたが、お花が咲いたような女の子の表情を見ていると、今日はまだ黙っておいてやろうと寛大な姿勢をとるようにしていました。
女の子がわけっこしてくれた腐りかけのりんごのほうが、ニンゲンよりも随分うまいなぁと学んでは、ふんふんとうなずこうともしてみます。
お話に出てくる「アップルパイ」というものを、女の子は食べてみたいと言いました。ですから、バグベアも一生けんめいアップルパイを探しては、その夢を女の子に視せてやりました。
女の子は藁をリボンのようにバグベアの毛むくじゃらに結びつけては、楽しそうにしていることもありました。そうして、冷たい身体でバグベアを抱きしめては、安心したように眠るのです。
(ブーブはふわふわで、あったかい匂いがするのよ。おひさまのようだわ)
「マッタク、ナントイウ娘ダ。我レハ、テディベアーデハナイノダゾ……」
女の子の夢に出てくる、かわいらしいテディベアと自分は、まったくもって似ても似つきません。
いつしか、バグベアは女の子の悪夢を、大好物の幸せな夢の代わりに食べるようになっておりました。
だって、悪夢を視ている間の女の子がとても苦しそうで、今にも死にそうに思えたのです。それは何だかバグベアにとってはおもしろくありませんでした。
「我レヨリモ、恐ロシイ夢ナドユルサヌノダ」
けれども、どれだけ食べても。
女の子の悪夢がいなくなることはありませんでした。
そうして、あっという間に数年の月日が流れてゆきました。
ある夜、バグベアがいつもの屋根裏部屋にいくと。そこにはどす黒い空気が充満していました。
「娘ヨ、何ガアッタノダ」
慌ててバグベアは女の子に近寄りますが、その身体は氷のように冷たく、息はもう消えそうなほどにかすかなものでした。
「なんだ、バグベアの獲物だったのかい。でももう、そいつは骨と皮ばかりですっかり虫の息さ、喰ってもうまくはないだろうよ」
真っ黒な空気の正体はしにがみだったのです。
包帯だらけの手で、しにがみは女の子の消えそうな魂を抜き取ろうとしておりました。
「ヤ、ヤメロ……!」
バグベアは必死にしにがみを押しのけようとしましたが、身体に思うように力が入りません。
幸せな夢を女の子に与え続けていたバグベアの身体は、もうすっかり小さくしぼんでしまっていたのです。
どうしよう、どうしよう。
バグベアはそこで、生まれてはじめて恐怖のきもちを味わいました。
腕のない自分は、いつも女の子がそうしてくれたように彼女を抱き寄せて守ることすらできません。
「どうしたんだいバグベア、きみらしくもない。この子はもう……」
そう言うしにがみを無視して、必死にバグベアは女の子の元へといきました。
(ブーブ? この毛むくじゃらはブーブなのね。嬉しい、嬉しいな)
バグベアは、その大きなひとつ目からいっぱいの涙を流しました。
女の子の顔は焼けて、目はもう潰れて見えなくなってしまっていたのです。
どうして、どうして。
ニンゲンを苦しめていいのは怪物たちだけだ。
どうして。
(パパもママも、お姉さまたちも。私が悪いこだから、だからお外に出せないんですって)
「チガウ、チガウ……」
(ブーブ。あなたと一緒にいる時間は、まるで夢のようだったわ。きっとあなたは、神様がおよこしになった幸せな夢だったのね)
「チガウ、チガウノダ」
(でも……悪い子なら。どうして怪物さんは、私を食べにこなかったのかしら。わたしは——)
そっと。女の子はバグベアを弱々しく抱きしめて。
けれども、もうその唇が動くことはありませんでした。
どこかの国の、深い深い森の奥——。
そこにひっそりと佇む【HOTEL GHOST STAYS】はちょっと変わった……お化けたち専用の、けれども格式高いホテルです。
そのフロントにはいつも、りんごの実ほどの大きさをした小さな毛むくじゃらのお化けがいます。
「ブーブ、442号室の首切り男爵さまが、首をあやまってトイレに落としてしまったそうなんだ。ぼく、ちょっと行ってくるね」
「ソレハタイヘンダ。我レハ、排水タンクヲコノルートデ止メテオクトシヨウ」
「ありがとう! たのんだよブーブ」
ブーブと呼ばれたお化け。小さなバグベアは、お部屋につながる水路をいったん止めながら、ふうと目を閉じました。
その目の下には、藁でできた蝶ネクタイ。いくら仲間たちが「もっと良いものを」と言っても、ブーブは決してそれをゆずることはしませんでした。
お化けたちが寝静まる朝方。
ブーブはひっそりと、このフロントにちょこんと乗ったまま漂ってくる悪夢をばくりと呑みこみます。
それを遠巻きに眺めるお客様が、ひそひそと話をしております。
「知ってる? あのバグベア」
「ウォールズ地方の悪夢、だろう? 一家を一夜にしてみなごろし、そして街の悪夢を全部喰っちまったっていう——伝説のばけものだって。本物、はじめてみたわ」
「だけどそれ以降は姿を消したって噂の?」
「でも……」
「何だろう……」
暇になったフロントで、少しウトウトと目をつむるその姿は。
伝説よりもずいぶんと小さく、優しげで。
まるでホテルでみなさまをお迎えする、マスコットのようにも視えるのです——。
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