第10話

 それからあっという間に2日と半日が経ちました。

 ユルはまず、みんなに仕事を休んでしまったことをあやまってまわりましたが、みんなはただユルを心配していただけで誰も咎めるものはおりませんでした。

 ユルが地下の部屋にいる間、誰ひとりとしてユルを見つけることができず、きっと外に飛び出してしまったのだろうと思っていたのです。ホテルは営業しなければなりませんが、迷子になってやしないかと、手の空いているみんなで森の中を探し回ってくれていたのだと知り、ユルはますます皆とお別れするのは辛いだろうなと思うのでした。


 ですが、ユルが戻ってきても。同じようにその日飛び出していったマシューだけは、ずっと戻ってこないままでした。


 暖炉に使う薪だけは、不思議と始業前には使用人たちの通用口の前に山積みにされていて、けれどマシューの姿はどこにも見当たりません。

 ユルは毎日ひとりで小屋に戻り、マシューのいない部屋で休みました。いつもと違う、寒いひとりの部屋は心細くて、ユルはなぜだかわからないけれど何度も泣きそうになりました。

 ヨルはなにも変わらず、答えを急かすことすらせずに、ただ休憩時間の間いつもと同じように静かに話を聞いてくれておりました。

 ユルは今までお世話になったみんなとたくさん話しておこうと、よりいっしょうけんめい仕事の手伝いにせいを出しました。

 みんなと少しでも多くの時間を過ごしておこうとしたのです。


 その日の休憩時間に、ユルはヨルにこう告げました。


「ねぇヨル、誰も寒くて寂しい思いをしないように、ぼくを明日連れていってくれない?」

「もちろんだよ、ユル。それがきみの心からの願いなら」


 けれど、ユルは笑いながらも、なんだかずきりと腕が痛むような心地がしておりました。




◆◇◆◇◆◇




 ヨルの話が本当ならば、とうとう今日は宙クジラがこの真上を横断していく日です。星たちはひと足先に次の配置へと出発し、山々の色づいた葉たちは風に乗って旅立っていきました。テュッキュヒルビたちも、雪を呼ぶツノ鳴らしをはじめておりました。


 ホテルの屋上には篝火が焚かれ、お客さまの箒やマントが綺麗に仕立て上げられて用意されています。いよいよ宙クジラが泳いでくると、その姿を眺めるものはもちろん、その後ろのオーロラの波に乗ってそれぞれが行きたい街へと飛び立ってゆくこともできるのです。


 そうして、皆の目が爛々と輝き出し、いつもこの日は先に上がって休ませてもらうユルは、仲間たちみんなの頬へおやすみのキスをしていきました。


「どうしたのユル? なんだか珍しいわね」

「ユル、今日はこっちで一緒にフロント番でもしていくか?」


 みんなユルのことを心配してくれているのが分かって、ユルはまた泣きそうになりました。でも——。


「ありがとう。ぼく、みんなに逢えてよかった。みんなのこと、とってもあいしてるよ」


 仲間たちは不思議そうな顔をしておりましたが、無理に手を引くことはせずそれぞれに「もちろん、私たちだって愛してるわ」と優しく微笑んでくれるのでした。


「マシューの甲斐性なし、一体どこで何をやっているのやら」

「きっとユルを泣かせてしまったことに、心底後悔してるんだろう」

「ほんとう、ばかなんだから」

「ハヤク、戻ッテクルベシ」


 皆は口々にそう軽口をたたきます。きっと今日の忙しさを乗り越えれば、そのうち仲直りして元通りさ。永い命を持つ彼らは、ついそう思ってしまっていたのでした。




◆◇◆◇◆◇




 バタン、とドアを閉めて部屋に戻ると、ユルは誰もいない小屋を掃除して、マシューの好きなお肉を焼きました。それをテーブルに並べ終えると、今度はマシューのベッドにいっしょうけんめい練習したベッドメイキングを施します。

 元気づけてくれようとしたのでしょう、エリースが「お願いごとが叶うわよ」とくれた一夜だけ咲くという満月草の花を一輪、テーブルに生けました。


 ここには、たくさんの思い出がつまっています。

 マシューと過ごした毎日が、目の前にくるくると投影されていくような気さえしました。


「さよなら、マシュー」


 そう告げて、ユルは静かに小屋のドアを開けました。

 もうまもなくなのでしょう。宙クジラの震えるような鳴き声と、冷たい夜風が頬を撫でていきました。けれど——。


「どこにいくんだ、ユル?」


 そのドアの目の前には、マシューが立っていたのです。

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