その、想いの伝え方

 部屋に入った智景は、机に向かうと、本を机の上に置いた。本の表紙を眺めながら、景湖との会話を思い出していた。


『もしよかったらでいいんだけど!』


 彼女の顔が思い浮かぶと、胸の鼓動が速くなるのを感じる。


(ほんとに読むべきなのかな……)


 本のタイトルは『タチアオイ』と書かれ、作者は『浅田ゆかり』と書かれていた。


「女性の作者さんなんだ」


 智景は、興味深そうに呟いた。


『この小説の作者さん、私の憧れの人なんだ!』


 景湖の嬉しそうな顔を、智景は思い出す。


「……はっ!別に嫉妬とかそういう訳じゃ!」


 智景は慌てて、誰に言うわけでもなく弁明する。そして、深呼吸をすると、本を開いた。その瞬間、柔らかい紙が擦れる音が部屋に響いた。


(えっと、この本は主人公が、自分の思い人に気持ちを伝えられずに片想いをしているシーンから始まるのか……)


 智景はその文章に、引き込まれていった。主人公である少女は、学生時代から憧れていた先輩に、自分の気持ちを伝えられずにいた。そして、ある日偶然、先輩が告白されているところを目撃する。それを見てしまうことで、ますます自分の気持ちが言えなくなってしまう少女だったが、そこで先輩の卒業前に一度だけ会うチャンスが訪れる。その日こそは、絶対に気持ちを伝えると決意した少女は必死に伝える方法を考えていた……


 その気高く威厳に満ちた先輩の姿、そしてその美しい容姿とクールな性格に惹かれていく主人公。しかし、告白しようとしたそのとき、先輩には恋人がいることを知ってしまう……


 そこで、物語は急展開を迎える。


 なんとその先輩は「親友である友達と付き合うことにした」という衝撃の事実を知ることになるのだった……そして、次第に二人はお互いに惹かれ合い……そして結ばれることとなる!しかし、同時に少女の想いが叶わないことも判明してしまうのだが、それでも彼女は後悔しない、その結末が少女にとって最高の幸せだったと、そう言い切れるのだから。


(うぅ……いい話だなぁ)


 智景は涙ぐみながら途中まで読み終えた本を閉じた。そして、感動のあまりベッドに倒れ込む。


(景湖さんも、こういう親友とかいるのかな……)


 そう考えると、胸がチクッと痛む。


 なぜなら智景は今、物語の主人公と同じように、片想いをしているのだから……


***


 智景は、部屋で一人窓の外を眺めていた。


(この気持ちを伝えたら、どうなるんだろう……)


 そんなことを考える度に、胸が苦しくなる。勇気を出して告白すれば、きっと答えが返ってくると思うし、上手くいけば恋人同士になれるかもしれない。しかし、もしダメだったらと思うと不安になってしまうのだ。


(いっそのこと……このままの関係でもいいのかな?その方がお互い幸せなんじゃないかな?)


 彼女はそんなことを考えていたときだった。


「智景!」


 窓の向こうから、自分を呼ぶ声が聞こえた。窓を開けると、向かいの家の窓から唯菜が身を乗り出していた。


「どうしたの?」


 智景は、不思議そうに尋ねる。すると、彼女は恥ずかしそうに目を逸らした。


「なんか……その……智景と話したくなって」

「そ、そっか」


 智景も、同じ気持ちだった。しかし、それを悟られまいと平静を装う。


「そっち行っていい?」

「え!?ちょ……ちょっと待って!」


 智景は慌てて、本棚の本を隠そうとする。


「むぅ……行くからね」


 唯菜は、そう言うと、部屋の中に入って来た。


「待ってって言ったのに……」


 智景は、ため息をつく。


「だって……最近の智景、隠し事ばっかりだから……なんか気になるし……」


「そ、それは……」


 智景は、視線を泳がせた。やはり、隠し事をしているのがバレてしまっているらしい。


「ふーん。本こんなに買ってたんだ」


 唯菜は、本棚から小説を取り出す。


「あ、それ……その」


 智景は、慌てて誤魔化そうとするが、彼女の目を見ると嘘をつけなかった。


「作者の名前も出版社もバラバラ、ジャンルは一緒みたいだけど……」


 唯菜は、パラパラと本をめくり、内容を読んでいく。そして、すぐにその違和感に気づいた。


「これって適当に選んで買ったやつでしょ」


 唯菜は、呆れたようにそう言った。


「あ、いや……その……」


 智景は何も言えずに俯く。


「ぷっ……あははは!」


 唯菜が、突然笑い出した。智景は、驚いて顔を上げた。


「智景、隠し事下手すぎでしょ!今のも適当に言っただけなのに、全部引っかかっちゃってるじゃん!」


 唯菜は、お腹を抱えて笑っている。智景は、恥ずかしくなって顔を真っ赤にしていた。


「はぁ……笑った、こんなに笑うの久しぶりかも」


 唯菜は、涙を拭きながらそう言った。智景は、ムスッとしながら彼女を見つめる。そして、少し間を置いてから口を開いた。


「ごめんね、ゆいなん。嘘ついて……」


 智景は、申し訳なさそうに謝った。しかし、唯菜は首を横に振ると、優しく微笑んだ。


「いいよ、別に。それより、どんな人なの?」

「え?」


 智景は、突然のことに戸惑った。


「好きな人だよ」


 唯菜は、興味津々といった様子で、智景のことを見つめている。その瞳からは、強い興味と好奇心が感じられた。


(どうしよう……本当のこと言うべきかな)


 智景は少し迷った後、決心を固めたかのように小さく息を吸うと、口を開いた。


「えっとね、その人は……」


 智景は唯菜に今までのこと、そして自分が彼女に抱いている感情について説明した。


「なるほど、つまり智景はその歳の離れた……景湖さん?だっけ?その人に恋してると」

「うん、そうなんだけど……」


 智景は、恥ずかしそうに答える。唯菜は、その話を聞いて少し考える素振りを見せたあと、再び智景の方を見た。


「それならさ!告白してみたら?」

「……へ?」


 唯菜の予想外の発言に、彼女は間抜けな声を出した。そして、しばらく唖然としたあと我に帰ると慌てて首を振った。


「む……無理だよ!そんな!私こんなんだし、普通にしゃべるのも苦手で、絶対相手にされないと思うし……」


 智景は、自分に言い聞かせるように言い訳を並べる。


「そうかな?だってその小説みたいに、想いを伝えられなくて後悔したくないんでしょ?」


 唯菜は、真剣な表情で言った。


「そうだけど……でも」


 智景は、まだ迷っているようだった。そんな様子を見た唯菜は少し考えるような仕草をした後、ニヤリと笑みを浮かべた。


「それじゃあさ、私が手伝ってあげようか?」

「へ!?」


 突然の提案に、智景は驚いたような声を上げた。


(手伝うってどういうこと?)


 混乱する頭を整理しながら、必死に答えを考える。


「えっと、それはどういう……」


 智景は、恐る恐る唯菜に尋ねる。すると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「告白する練習相手、私がやってあげるってこと。そうすれば、自信がつくんじゃない?」


 唯菜は、そういうと智景に向かってウインクした。


(え?えぇぇぇ!?)


 予想外の提案に、彼女は困惑していた。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。


「そ……それは流石に申し訳ないというか……」


 智景は、慌てて断ろうとするが、それを遮るように言葉を被せてくる。


「いいからいいから!じゃあ、始めよっか!」


「え?あ……ちょ、ちょっと待ってよ」


 智景の返事を待たずに、唯菜はベッドの上に座る。そして、手招きをした。


「ほら、こっち来て」


 智景は、渋々といった様子で彼女の隣に座った。そして、気まずそうに目を逸らす。


「ダメだよ。ちゃんと目を合わせなきゃ」


 唯菜は、智景の顔を両手で掴むと、無理やり自分の方に向けた。


「うぅ……」


 智景の顔が真っ赤に染まる。恥ずかしくて死にそうだと思ったが、それでも勇気を出して目を見つめた。すると、彼女も目をそらすことなく見つめ返してくる。その瞳には強い意志が宿っていた。


(すごい……これが好きな人を見つめる目なんだ。ん?)


 唯菜は、突然ハッとすると、智景の顔を掴んでいた手を離した。そして、頰を赤らめて顔を背ける。


「あ……ごめん」


 二人は沈黙する。しばらく気まずい雰囲気が続いたが、やがて唯菜の方から口を開いた。


「ねぇ、なんか喋ろうよ」


 彼女は恥ずかしそうに俯いている。そんな彼女の様子を見た智景も顔を赤くしながら頷いた。しかし、何を話せばいいのかわからず戸惑うばかりだった。


「これは練習なんだから。好きって伝えればいいんだよ」


 唯菜は、恥ずかしそうに俯きながらもそう言った。智景も覚悟を決めると、小さく深呼吸をする。そして、彼女の方を見た。


「け……景湖さん……」

「違う。今は私の名前で」


 唯菜は、智景の言葉を遮って訂正する。そして、微笑みながら彼女の言葉を待った。


「ゆ、ゆいなん……私、あなたのことが……」


 智景は、必死に言葉を紡ぎ出す。しかし、緊張のせいかなかなか上手くいかないようだ。


(うぅ……頑張れ私!)


 彼女は自分を鼓舞すると、再び口を開いた。


「す、好きです!」


 そして、大きな声で叫ぶように言った。唯菜は、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しい笑顔になった。そして、智景の手を取ると、自分の胸に当てさせる。


「私も好き……ずっと前から」


 彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。その速さは、智景と同じくらい早かった。


(ゆいなんもドキドキしてる……)


 そう思った瞬間、胸の奥が熱くなるのを感じた。まるで彼女に自分の想いが伝わったような気がして嬉しかったのだ。唯菜は、そのままゆっくりと顔を近づけると、智景の眼鏡を外した。


(え……?)

「これは練習だよ……智景……」


 唯菜は、優しく微笑むと智景の頰に手を添えた。そして、そのまま顔を近づけると唇同士を重ねる。


(え……?私キスされてる?)


 智景は、突然のことに動揺したが、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ心地良さすら感じるほどだった。やがて、唇を離すと、唯菜は再び微笑む。


「どうだった?」


 彼女は恥ずかしそうに尋ねてきた。


「えっと……えっと……これは練習だから、だから……」


 智景は、顔を真っ赤にして俯いている。その様子を見た唯菜は再び笑みを浮かべた。


「なんだか久しぶりに眼鏡外した智景を見た気がする」

「そ、そうだっけ?」


 智景は、恥ずかしそうに目を逸らす。そんな彼女の様子を見た唯菜は、耳元へ口を近づけると囁いた。


「そういうのって反則なんだよ?」


 その声色は、どこか艶っぽく感じられた。智景は思わずドキッとする。


「どうする?もっかいする?」


 唯菜は、悪戯っぽい笑みを浮かべると、再び顔を近づけてきた。智景は慌てて後ろに下がると首を振る。


「い、いいよ!もういいから!」


 彼女は顔を真っ赤にしながら叫んだ。すると、その様子を見ていた唯菜が可笑しそうに笑い出す。


「ふふっ……あははっ……」


 それを見ていた智景も釣られて笑ってしまう。


 この瞬間だけ二人は出会った頃のように、無邪気に笑い合っていたのだった。

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