02 上束野々(18) 比羽奈見(24)

 梢の先。

 露出狂が出ているという話で、ここには誰も寄り付かない。でも、この梢の先の小さな廃校から。ピアノの音がする。


 人よりも、感覚が鋭敏だった。脳の要領も良かったので、こうやって小さなピアノの音も理解できるし、それが世界的プレイヤー比羽奈見のものだと判別できてしまう。

 同時に、女や男の意味のない奇異の目も、わかってしまう。そんなもの、分かりたくなかった。その中に綺麗なものは何一つなくて、どこまで行っても、人のただれたにおいがするだけ。


 そんな人生のなかで、あのピアノの音は。綺麗だった。わたしの脳に。ありとあらゆる感覚に。やさしく吹き抜けていく。風のようだった。


 でも、この梢は立ち入り禁止。露出狂が出るから。警官すらも寄り付かない。というか、あまりに人が来ないから警備の必要性がない。


 ピアノの音に引き寄せられるまま。

 梢のなかに、遂に立ち入った。

 静か。木のせせらぎ。風の音。それ以外には、何もない。

 歩いていく。暗いところのひとつもない、明るくて静かで綺麗な、木の道。少しすると、梢が木に変わっていく。


 学校のような、建物がある。とてもきれいで、しばらく見とれていた。


 2階の、音楽室のような場所。そこから、ピアノが聴こえてくる。木の道を、少し歩く。


 世界的プレイヤーの。比羽奈見。


 裸だった。


 ピアノを弾いている。


 こちらに気付いた。


「あら。めずらしい」


 ピアノを弾く指をとめて。2階の窓から。

 ふわっ、と。降りてくる。


「どうぞ」


 導かれるまま、学校のような建物のなかへ。


 宮殿。というより、普通の住まいの大きなものだった。リビングがあって、2階への階段があって、テーブルと。そして。ピアノ。


「露出が、ご趣味なんですか?」


 一言目にこれだと、ちょっと、おかしいか。でも、先に訊いておかないと。目のやりようがなかった。自分のからだは、他と比べて均整がとれていると思っていたけど。目の前の女の身体は、自分のからだがはずかしくなるほどに。美しかった。生まれてはじめて、欲情という感情を心に持ったかもしれない。あの乳房に、埋まってみたい。


「胸?」


 彼女が、わたしの視線に気付いたらしい。

 すっ、と。

 寄ってきて。

 目の前に。

 胸。たぶん左。

 軽く。押し当てられる。


「っぐ」


 そして軽く絞められる。


「露出狂か。露出狂ね」


 乳房がやわらかすぎて。顔にくっついて。呼吸ができない。


 このまま。


 しぬ。


 そう思う前に、胸が離れた。そのままおしつぶしてほしいという思いと、このままでは吸えないという切なさが、絶妙に入り雑じる。


「あなたも脱いで」


 わずかな期待で。胸が少し、はち切れた。

 言われるままに、服をはだけていく。大きな家のなかの、ちっぽけなわたし。

 もうすでに、かなり濡れていた。隠しようもない。栓をするように、中指を充てておく。


「わたしと抱き合えるとおもった?」


 彼女が。

 ゆっくり、寄ってきて。

 軽くいだかれる。今度は絞められない。

 胸。

 吸おうとして。留められる。


「私の話を、聞いてからね」


 彼女の、過去の。話だった。

 学校のピアノ。満たされない思い。静かな消失だけを求める人生。

 そして。

 風の。聖霊だろうか。声。そして。胸。


 すでに、話の途中で彼女の胸を吸っていた。やわらかく、そして。消えそうな儚さ。不思議と、味はしない。


「風の、聖霊?」


「風の聖霊か。いいこと言うわね」


「そうとしか、表現のしようが」


「うん。そうだね。そうかも」


 胸を、もう一度吸う。味はしない。


「彼のところに、行きたいの。彼とひとつになりたい」


「だから、はだかでピアノを?」


「露出狂扱いされてたなんて、知らなかった。たしかに人は来なかったし」


「外で?」


「うん。外で。ひとりで。彼が、勃起してくれるかなって」


 本当に露出狂だった。


「あなたも、私と同じね。何もかもを手に入れて、そして、静かな消滅を願っている」


「はい」


 彼女に。いだかれたい。彼女とひとつになりたい。きっと、彼女が。彼に対して、そう思ったように。


「でも、私に出逢ってしまったことが、あなたの小さな不運かもね」


 そう言って、彼女は笑った。

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