それから一ヶ月ほど、学校に行って、休日は病院に行って、たまに「縁ノ淵海岸」まで足を伸ばす生活が続いた。ひたすら記事を書き続けていたが、頭の端に引っかかった希死念慮はなかなか振り払えなかった。約束通り「死にたい」と口に出すことはなかったが、容態のなかなか安定しない母が一時、死の淵をさまよっていたときは酷かった。死にたいという欲求は、身近な人間の窮地にこそ湧き上がるものらしい。一度本当に、夜の海の中へ、無心で足を進めていたことがあった。

 鈴鹿はそんな私を、ずっと支えてくれた。記事に頭を悩ませたときは練習しているというお菓子を食べさせてくれたし、「私はあなたのファンなんだよ、あなたが死んだら、私も死ぬから」。海に入ってしまったときは、そう言って、アマチュアですらない私のため、一緒に汚れた海へ身を投じてくれた。

 諦めの線上で、失意のただ中で、絶望のどん底で、鈴鹿はしきりに私を引っ張り上げてくれた。昼の学校で、夕暮れの帰り道で、夜の海辺で、彼女の声だけが灯火だった。彼女にはどれだけ感謝してもしきれない。

 そうして、ようやく完成した。文の粗さも、言葉の拙さも目立つけど「記事」らしくまとまった。どこか母親の文体を真似たようではあったけど、それでも胸を張って、私の記事だと言えるものだった。会社にも送って、あとはゲラが返送されるのを待つばかりだった。

 鈴鹿は泣いて喜んでくれた。その顔を見ていると私も泣けてきて、打ち上げをおこなっていた小さなファミレスで、人目も憚らず、二人して声を上げて泣いた。その後、泣き疲れて少し眠って、店員に起こされて、打ち上げの続きをして、日が暮れる前に店を出た。

 出た瞬間、電話がかかってきた。初めは旅行会社からだと思った。記事への賞賛か、あるいは批判か。でも、違った。父からだった。悪い予感がして、私は鈴鹿に目配せした。さっきまで塾の先生とついにキスをしたと照れながら話していた顔が曇っている。

「もしもし」

 心配そうな鈴鹿に手を取られながら応じる。ああ、と生返事をした父の続けた言葉は簡潔だった。

『母さんが――』

 

 私は病室まで走った。看護師に止められ、回診中の医師にも怒鳴られたけど、とにかく気が急いていた。車椅子の老人や、松葉杖をつく青年や、点滴を転がして歩く少女に怯えられながら、私は風を切って走る。

「お母さん!」

 絶え絶えの息でも、自分の声ははっきりとしていた。病室には医師の姿があった。看護師がその脇に控えている。母の体から、管やコードを取り除いているのだと分かった。

「ああ、これは。娘さんですか」

 私に気がついた医師が微笑みかけてきた。息を整えながら頷く。電話をしてきた父はまだ来ていなかった。

「長い間、お母様にはつらい思いをさせてきました。あなたの心労もひとしおだったと思います。……でも、もう大丈夫でしょう」

 医師は、では私たちはこれで失礼しますねと言って、病室を出て行った。

 母と二人、取り残される。

「母……さん」

 声が掠れて、喉の奥が詰まった。

「母さん」

 自分が今どういう表情をしているのか、よく分からなかった。自分の感情がどうであるかも、よく分からない。こんな奇跡があっていいのだろうか。

『母さんが――意識を取り戻したって』

 疑っていたわけではないが、嘘ではなかった。まともな食事を摂れていなかったから、腕は皮膚に皺が寄るほど細くなっているし、肌もボロボロで、体にはすえたような臭いが纏わり付いているが、母は本当に目を開けて、慈しむような顔で私を見ていた。

「……心配、かけたわね」

 母が不器用に笑ってみせる。それで、もうダメだった。こらえていたものが涙となって溢れ出した。胸の奥が詰まっている。目の前がぼやける。乱反射する景色のなか、一歩ずつベッドに近づいて、母に抱きついた。久しぶりの母の腕の中。鼓動を感じる。温みを感じる。安心感が私を包む。母は本当に、意識を取り戻したのだ!

 話したいことはいくらでもあった。テストで一位を獲ったこと、私の好きな作家が数年ぶりに新刊を出したこと、最近はやっているスイーツがまずかったこと、そしてそれらを一緒に楽しめる友達ができたこと。

 でも、何より、真っ先に伝えたかったのは――

「私、記事を書いたよ! 「縁ノ淵海岸」ってところの記事でね……」

 事前にコピーしておいた原稿を手渡し、事情を説明した。母は何も言わず、どころか、表情一つ変えず最後まで聞いてくれた。

「――勝手に名前を使ってごめんなさい。でもこれで、私も記者になれるんだ」

 手元の紙束を見つめたまま母は動かない。

「お母さんみたいになれなくても、超えられなくても、もういいの。私は、今までの私に誇れる、すごい記者になるって決めたんだ!」

 そして、私にそう決心させてくれたただ一人の親友――鈴鹿の話をしようと意気込んだところに、平手打ちが飛んできた。

 身構えていなかったせいで盛大に床を転がった。へたり込んだまま目を遣るが、母はもう私なんて歯牙にもかけず、一心不乱に原稿を捲り始めていた。さっきまでの弱った姿はとうに消え、苛烈に真実を追い求める、在りし日のジャーナリストの姿がそこにはあった。

 ようやく、頬がじんじんとした痺れを伴って痛み始めた。母にだって初めて手を上げられた。でも、そんなこと気にならないくらい嬉しかった。憧れの母が、ようやく元気になったのだ。きっと、虫の居所が悪かったのだろう。きっと、記事を読み終わったら謝って、褒めてくれるだろう。いや、そもそも私は詐欺を働いたのだ。むしろこの程度で済んで幸運だったのかもしれない。そう思って、母が読み終えるのを静かに待った。

 十分ほど経っただろうか。二、三回読み直した母は、ほっそりとした頬を窓の方へ背けて、

「窓を、開けてくれる?」

 私は言われたとおりにした。気持ちのいい風が吹き込んでくる。

「いい風ね」

 膝の上で紙が捲れるのに任せて、母はゆったりと目を閉じた。安らかな顔だった。

 しばらく待っても母は口を開かなかった。自分から切り出した。

「ねえ、どう……だった?」

 母は逡巡し、大きく息を吐き出し、言った。

「これ、一人で書いたの?」

「うん。少しだけ、友達に手伝ってもらったけど……」

「そう」

 目を細めて笑った。

「あなた、ずっと記者になりたがっていたものね」

 そのときようやく、母がまだ名前を呼んでくれていないことに気がついた。また深呼吸して、母はこう言った。

「とってもいい記事よ。中学生が書いたとは思えない。頑張ったわね」

 天に昇るほど嬉しかった。絶望ごと、私を掬い上げてくれるような言葉だった。喜ぶ私を母はしばらく微笑みながら見ていたが、長くは続かなかった。今度は溜息をつくと表情を曇らせた。

「ねえ、なんで記者になろうとしちゃうかな……」

「え」

 母の声には苛立ちと、悲しみと、失望が混在していた。重い溜息が吐き出される。

「……いつか、こんな日がくると思ってた。だから止めていたのよ。娘に超えられるなんて恥だからね」

 母はふらつきながら立ち上がった。「止めていた」? 確かにそうだ。言われてみればそうだった。母はずっと、私に記者になれとは言わなかったし、なり方も教えてくれなかった。そればかりか、自分の記事を読ませないようにしたり、記者の素質を難しく語ったり、パソコンから遠ざけたり、まるで協力的ではなかった。

 期待されているのだと思っていた。愛情の裏返しだと思っていた。でも違ったようだ。母の行動は正しく、私を記者にしないためのものだった。理由は今聞いた。娘に超えられるなんて恥だから……

「でも……私は別に、お母さんを超えてなんか……」

「なにそれ。嫌みも上手くなったわね」

 母は窓枠に手をかけて、私の記事を外へばら撒いた。風に攫われ、あっという間に見えなくなる。

「こんなの、やめてよ」

 母は泣いているように見えた。私はもう泣いていた。

「ちがう。私は、ただお母さんに……」

「そうね。憧れているんだもんね。でも今は違う。いよいよ私以上になった」

 母は窓枠に腰掛けた。ブランコにでも乗るように足をぶらぶらと揺らす。

「お母さん! 危ないよ!」

「どこで間違ったんだろう。子どもなんて産まなければ良かったのかな。でも、それだといい記事は書けなかったし、世間の信用もあったし……」

「お母さん!」

 母はわたしの声なんて聞こえていないようで、ぶつぶつと何か言っていたが、吹っ切れたように長く息を吐き出すと、

「まあ、もういいか。どうでも」

 唇を持ち上げて、不器用に笑った。

「バイバイ」

 そのまま後ろへ倒れ込む。弾かれたように駆けだし、窓から身を乗り出した。手を伸ばす。入院着に触れる。でも、それだけだった。母が落ちていく。声もなく、為す術もなく、ゴシャッと固い音がして、コンクリートに赤色が散った。涙で視界がかすんでいたのは幸いだった。

 身を戻すと、扉の前に誰か立っていた。涙を拭って見ると、父だった。

「もう、遅いよ」

 母が落ちるところも目撃したのだろう。呆然と立ち尽くしていた父は、ハッとしたように窓へ駆け寄った。数秒後、父は叫び声を上げ、床に倒れた。涙と鼻水と吐瀉物でその顔はぐしゃぐしゃになっていた。

 それから、騒ぎに気がついた医師や看護師や関係者が、続々と部屋に現れた。警察も呼ばれて、私は事情聴取を受けた。


 母はこうして、決して解けない呪いだけを残して死んでいった。



 母はすごい記者だった。同時に悪い記者だった。私は、母のような記者になりたかった。同時に母のような記者にはなりたくなかった。

 それが、鈴鹿にだけ話した記者を諦めた理由。母の本性。

 使用を禁止されていたパソコンを、母が倒れる一ヶ月ほど前に初めて開いた。確か、小学校を卒業する直前だった。それまでなら絶対に、やらなかった。そのときは自分の才能の底に気がつき、半ば自暴自棄になっていた。

 パソコンにはロックがかかっていたが、何通りか試すとすんなり通った。私の誕生日だった。

 デスクトップには仕事のメールと、途中まで打ち込まれた原稿が開かれていた。憧れの母の秘密に触れている背徳感で、一種の高揚状態にあった。次々とファイルを開いては、検めていく。文書ファイルはこれまでの記事を合わせたら百個以上あって、写真フォルダは千枚以上あった。途中からは、覗きに楽しさを感じていて、ブラウザの閲覧履歴やSNSにまで手を出した。

 そして、見つけてしまった。

 母は複数のSNSアカウントを有していて、そのいくつかは仕事で使っているものだったが、残りはすべて、いわゆる裏アカといわれるものだった。――決して表には出せない負の感情を吐き出すためのアカウント。

 母はそれを使って、同業者や出版社の愚痴や文句や、もっとひどいときは悪評を広めていた。閲覧履歴に残っていた掲示板サイトでも頻繁に書き込みをおこなっていたらしく、こちらはアカウントも必要ない完全匿名性だからか、SNSよりももっと過激なことが書かれていた。

 私は一気に熱を失って、パソコンを閉じた。覗いていたことがバレないよう、細心の注意を払って元に戻し、自室に戻った。ベッドに身を投げ出すと、涙が自然と流れてきた。

 悲しかった、つらかった。才能のあるはずの母が、こんなくだらないことをしているのが。怖かった、恐ろしかった。このまま記者を目指していたら、いつか私もこうなってしまうのではないか。

 そのときはここで考えるのをやめ、自分の夢に蓋をした。

 だが本当は、こう考えるべきだったのだ。このまま記者を目指していたら、母の矛先はいつか自分に向くのではないか、と。

 間違いではなかった。

 母は、私を否定し、ついには手を上げ、それだけでは飽き足らず、人殺しの汚名まで着せようと目論んだ。最期の最期、私を娘としてではなく、敵対する記者として見て、恨みながら死んでいった。

 事情聴取では主に、私が母を突き落とした可能性を潰すための質問が繰り返された。警察も本気でそう考えていたわけではないだろう。だが、窓を開けたのは私で、母の死体の周囲には私の原稿が散らばっていたのだ。加えて、入院着から私の指紋と皮膚片が検出されたとなれば、疑わしく思うのも不思議ではない。

 当然、逮捕はされなかった。短くはない時間聴取に付き合わされ、詐欺まがいのことをしていたのも露見し、「縁ノ淵海岸」の記事は立ち消えになったが、母を殺したわけではないと立証された。

 でも本当にそうか? 私に一切の責任はなかったのか?

 その疑問はすぐに、周囲が教えてくれた。母殺しの容疑で取り調べを受けたのだ。口さがない看護師が周囲に言いふらし、そのうちの何人かがまた言いふらし、ねずみ算式に噂は広がり、伝言ゲームは連想ゲームへと変わり、ありもしない風評で私は貶められた。近所の人には後ろ指をさされ、学校では嫌がらせを受け、連日記者もつめかけてきた。カミソリのような舌と、ギロチンのような口唇で、私を心ゆくまで辱めた。母によって貶められた人たちもきっとこんな気持ちだったのだろう。

 でも、彼らはまだ優しかった。私が有責であることを示しただけだったから。

 父は違った。私にもう一つ、死を重ねた。あれだけ浮気を繰り返していたくせ、母の死を本気で悲しみ、怒り、憎み、やがて衰弱して後を追うように自殺した。遺書には『妻を殺した娘が憎い』と走り書きされていた。第一発見者は私で、その件でもまた、周囲から同じような目に遭わされた。

 これほど死が近くにあって、正常でいられるはずがなかった。徐々に体を壊していき、精神はおかしくなっていった。妄想、幻聴、幻覚、幻触、睡眠障害。これらがない日は一日もなく、これらがある日は自殺のことばかり考えていた。

 それでも鈴鹿だけはずっと私の味方でいてくれた。どれだけ標的にされていようとも、肉親の死を二つもぶら下げた私の近くにいて、一緒に泥を被ってくれた。

「あなたは何も悪いことなんてしない」

 記事が書けずに苦しんでいたあの日のように、生きる屍となった私に優しい言葉をかけ続け、四六時中行動を共にし、世話を焼いてくれた。

「あなたとお母さんは違うよ」

 でも、そんな励ましすら疑わしく思っていた。私と母は同じではないか。

 私はずっと、母のことが好きで、嫌いで、

 尊敬していて、軽蔑していて、

 慕っていて、恐れていて。

 そして、生きていてほしくて、死んでほしかった。

 母の死に、私は悲しんでいる。でも同時にほっとしていた。これで病院に通う必要はなくなった。私が記者になっても母と比較されることもなくなった。なにより母が死んだのは私の才能を妬んだからだ。これは、弔い合戦に勝ったといえるのではないか?

 そう考えては、薄ら寒い恐怖に襲われる。これでは、同業者を扱き下ろしていた母と同じではないかと。同業者(ライバル)を好敵手(ライバル)と認められず、妬み貶め、暗い喜びに浸る母と、母の死に悲しみ以外の感情を抱いている私との間に、境界線なんてなかった。「正しいことを正しいまま行動して、胸を張れる人間だけが記者になれる」。あれが真実だとしたら、私も、母も、ふさわしくなかった。

 私はもう、私すら信じられなくなっていた。眠っていた希死念慮は、今までの反動か、大きく跳ね返ってきた。もし鈴鹿が近くにいなかったら、私は確実に死んでいただろう。彼女はファンだというだけの理由で、惜しげもない愛情を注いでくれた。

「もう死にたいよ」

「そのときは私も一緒に死ぬよ」

「いいよ、もうそれで。鈴鹿、私と一緒に死んでよ」

「うん、いいよ。いつにしよっか。でも、今日は夜遅いから、今度にしよう? それに私、死ぬときは大勢に看取られながら死にたいの。学校でこれだけ嫌われてたらちょっとね。格好悪いでしょ」

「じゃあ、いつならいいの」

「そうだな。とりあえず学校のいじめを何とかできたらかな」

 彼女は私の扱いを本当によくわかっていた。少しずつ目標設定をして、死を遠ざけて、私を更生させてくれた。泣けなかった私の代わりに泣き、怒れなかった私のために怒り、いじめを止めてくれたのも彼女だった。

 鈴鹿には本当に、一生かけたって返しきれない恩がある。

「ねえ、もしあのとき、私が鈴鹿のいうことを聞かずに死んでたらどうしてた?」

 いじめに決着がつき、冬休みに入ったとき、そう聞いたことがあった。鈴鹿は笑って答えてくれた。

「そのときは後追いをするつもりだったよ。考えつく限りの復讐はして。でも、そんなことにならなくて良かった。二年生になってもよろしくね!」

 この笑顔にどれだけ救われたことか。守るためなら何だってしようと思えた。鈴鹿に恥じないような立派な人間になって、恩に報いようと誓った。もう二度と間違ったりしないと心に決めた。

 それなのに――

 私は、親友の一人も救えなかった。

 彼女の恋路は叶わなかった。崩したのは私だった。使命感に突き動かされて、勝手に首を突っ込んで、事態を引っかき回したせいで、最悪の末路に導いてしまった。鈴鹿の交際相手の塾講師兼叔父は捕まり、母親も捕まった。

 高校に上がってからも交流はあった。だがそこで、鈴鹿はいじめの標的になってしまった。親が犯罪者だからだ。今度こそと思った。今度こそ、彼女を救おうと。中学一年生のときしてくれたように、少しでも恩を返そうと。できなかった。せいぜい人身御供になるのが精一杯で、問題解決には至らなかった。鈴鹿は不登校になり、私も二年生の終わりから精神を病み、高校を卒業するころ、連絡が途絶えた。人との縁なんて、そんなものだ。どちらかが存続を望まなければ、簡単に切れてしまう。私たちは違う道を歩んでいるのだから。

 そして、思い出したときにはすべて遅い。どこかに引っ越してしまった鈴鹿を探す術はなかった。

 あれから数十年。ようやく居所を掴んだ。隣の市に越していた。しかし、現状を聞いて驚愕した。次に悲嘆に暮れた。次に絶望した。鈴鹿は現在入院中で、余命幾ばくもなかったのだ。

 私は今、彼女の病室の前に立っている。

 これまで訪ねる機会は何度だってあった。だが、どんな顔をして会えばいいのだろう。今さらになって、ベッドに横たわり衰弱する彼女とどんな顔をして……

 クリーム色のスライドドアにかけた指が、あまりにも重い。

 今日もこのまま帰ってしまおうか。弱気な自分がそう言って、強気な自分ですら入ろうとは言わなかった。溜息と共にきびすを返しかける、

 そのときだった――

美鈴みすず? そこにいるんでしょう?」

 扉の向こうから、弾んだ声が聞こえた。少年のような少女の、屈託のないあの笑顔が脳裏に浮かんだ。おそるおそるドアを開ける。潔癖症の四角い部屋に、白色の王様みたいなベッドが横たわり、その上に真っ白な入院着の鈴鹿――今は穂崎だったか――の姿があった。

「久しぶりだね、美鈴。お互い歳をとったね」

 そう言って、軽やかに笑っている。少年のようではなく、すっかり女性的な面立ちで、かつての親友――鈴鹿桐江きりえが……

「桐江……わ、私……」

 優しく微笑んだ桐江は、私をベッドの近くに座らせた。

「大丈夫。どうせ最期なんだ。ゆっくり話そうよ」

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