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母が病に臥せるまで、私は記者になりたかった。
母はジャーナリストだった。中学一年生のころコンクールで入賞した捨て猫の写真が、動物愛護の記事を書きたいという三文記者の目にとまって、地方誌に掲載されたのが志すきっかけだったらしい。
ただ、あまりいい思い出ではないようで、その記事の評判は最悪だった。理由はいくつかあったが、そのうちの一つは写真に撮られた猫の状態があまりにも悲惨であると想像でき、かつ、その悲惨さを隠すようなアングルで撮られていることだった。実際にすべてが見えているよりも、想像の余地が残っていた方が、人はより悪意を感じるものだ。彼らはその悪意を敏感に嗅ぎ取れるくらいには善人で、批判を自重できないくらいには悪人だった。
不幸中の幸いで、指弾の大半は記者に向けられた。当時の動物愛護法を真っ向から否定する記事は大勢の神経を逆撫で、いくつかの慈善団体を敵に回し、最終的に彼を退職にまで追い込んだ。母はその悲報を聞き、記者になると決めた。高校に上がると雑誌社でのアルバイトも初め、卒業後はフリーに転身。いくつか代表的な記事を書き、その立場を確立していった。当時大学生だった父と出会ったのもその頃で、籍を入れてからも、妊娠、出産を経験した後も、病に臥せるまで、それまでと変わらず精力的に働き続けた。
業績めざましい母は、テレビに出演することもあった。私はその録画映像を見て、幼心に憧れた。
「正しいことを正しいまま行動して、胸を張れる人間だけが記者になれます」
記者の適性について尋ねられた母の返答に、心臓をわしづかみにされた。メジャーリーガーのホームランを見た少年のように、ディズニープリンセスの結婚式を見た少女のように、私も母のその鋭いまでの眼光に、自分の将来を夢見させられた。
それからの行動は早かった。まだ小学四年生だったにもかかわらず、私は記者になるための努力と研鑽を始めた。クラスで問題が起きれば関係者に話を聞いて文章に仕立て上げて解決を図り、小学生の理解の及ぶべくもない難解な朝刊を毎日欠かさずめくり、あらゆる知識も必要だと図書館の本を何冊も読んで、読書感想文コンクールにも応募した。
母の記事もすべて読んだ。恥ずかしいからと止められていたが、今時は図書館でも書店でもネットでも読むことができる。母は家で仕事をすることも多かったため、書きかけの原稿や没原稿を盗み見ることも難しくなかった。一年も経つ頃には、一番のファンといっても過言ではないほど、記者としての母に詳しくなっていた。そして、詳しく知っていくほどに、記者への憧れは強くなった。
だが、理想と現実の間には埋めがたい溝がある。
小学六年生にもなると、自分の才能の底が見えてきた。全員がプロの野球選手になれないように、幸せな結婚ができないように、どれだけ努力したところで夢のまま終わることだってある。
クラスの問題は確かに解決した。でもそれは、私がクラス新聞に書いた記事ではなく時間のおかげだったし、難しい本や新聞も、確かに知識を得ることはできるが、頭でっかちの雑学マニアにはなるだけだ。狸や狐がイヌ科だと知っていたところで記者にはなれない! 母の記事だって、私を記者にしてくれるわけじゃなかった。
無邪気に無鉄砲に、私は小学生のうちに記者になれると思っていた。母と同じ紙幅をもらって、母のようにすごい記者になれるのだと。新進気鋭の小学生記者。そんな肩書きがもらえると疑わなかった。気概だけではどうにもならないことを思い知らされた。追い打ちをかけるように、去年の冬、母が病に倒れ、とうとう私は自分の夢に蓋をした。才能がなかったのだと言い聞かせて、自分で自分を腐した。
それでも、諦めきれなかった。進学した中学で、文章が上手いと教師に褒められるたび、知識人だと同級生にもてはやされるたび、弔い損ねた夢の欠片が、私の心に血を流させた。
だから私は夜の海に立っているのだ。闇に沈んだ波、ぞっとするほどの静寂、すすり泣きの潮風。
そして――赤褐色に変色した不法投棄の山。
雑草のように砂浜の上を一面覆う釘、息を吹き返す見込みもない生活家電、吹き付ける潮で錆びつき朽ち果てた三輪車、そしてどこから種子が飛ばされどう芽吹いたのか分からない枯れた蔓がそれらに絡みついて鎌首をもたげている。病床の母に巻き付く管を思い出させた。
私はそれらがより悲惨に見える位置を探して、デジタルカメラで何枚か試し撮りをしてみた。焚かれたフラッシュによって、色調は濃く、投棄物の一つ一つがはっきりと画面に映し出された。
ここについたとき、地元の男から自殺を疑われたことを思い出した。無理もないことだ。ここにはそういう噂がいくつも取り憑いている。
そして、間違いでもないのだ。
私はきっと、この海と心中するためにここに立っている。
一通のメールが始まりだった。
母が入院してしばらく経ち、父が家に帰らなくなり、私も夢を見限ったころ、部屋に置き去りにされたパソコンにメールが届いた。以前までだったら何もしなかっただろう。小さいころから、パソコンには触らないようきつく言われていたし、そんな気力も残っていなかったから。
でもこのときの私は、ある調べ物のために、既に約束を破っており、勝手にメールを開く罪悪感も、億劫さも薄くなっていた。
送り主は地方にある中小の旅行会社。仕事の依頼だ。内容はこうだった。
県境の高速道路近くに、「
この煽りを一番に受けたのは、他でもない旅行会社だった。もともと他に大した観光地もない土地だ。水難事故の一件以来、業績はずっと右肩下がりで、このままでは遅かれ早かれ、「縁ノ淵海岸」と同じ結末を迎えることが予想された。
そこで母に白羽の矢が立てられた。「縁ノ淵海岸」の惨事を、行政や市民の力で復興させたいという先方の望みに叶うのが、ジャーナリストだったのだ。判断は間違っていなかったと思う。伝えることによって改善は見込めるだろうし、少なくともこれ以上は悪くなりようもないのだから、使えるものは何でも使うべきだ。
何より、母の記事には力があった。私はファンだから知っている。八十歳になっても海外旅行を楽しむ老人の話や、出産後に不倫された女の話が、旅行雑誌や女性誌に掲載されるたび、人生が変わったという感想は数多く寄せられた。私だって、教育雑誌に載せられた母の言葉に胸を打たれた一人だ。そこには確かに力があった。
だから、間違っているとすればタイミングだった。彼らは調べが足りなかったのだ。自分たちの望んだジャーナリストが病に臥せていることを知らなかった。
私は新規メールを開いて、新しく文章を打ち出した。断りのメールを入れるつもりだった。心苦しいが、この世にはどうにもならないことがいくつもある。タカがトンビを産んでしまうことも、才能が病に浸食されることも、タイミングのせいで一つの旅行会社が潰れることも。
しかしそのとき、ふと悪い心が起こった。
もしここで私が母を騙ったら、彼らは騙されるのではないか?
許されることではないと分かっている。こんなの詐欺と同じだ。でも夢の破片で傷ついた心は、とうに限界だった。癒やすためなら手段は選ばなかった。
『かしこまりました。「縁ノ淵海岸」の情報と条件などの詳細を、メールで構いませんので、送付してください』
調べの足りない旅行会社は、私を出来の悪い娘だと気づかなかった。トントン拍子で話はまとまった。原稿の枚数、写真の枚数、〆切日と校了日。そして、破格の原稿料(彼らは相場を知らなかったのかもしれない)。
熱に浮かされた。金じゃない。それ以上に価値のあるものが――母を超えられるかもしれないという思いが、私を舞い上がらせた。身の程知らずの妄想だと、そのときには思えなかった。私は記者なのだと、夢がまた産声を上げた。
ただ書き始めて間もなく、現実に冷水を浴びせられた。次に焦った。次に絶望した。
私と母の差は、私が考えているよりも、もっとずっと深く、大きかった。
パソコンに向き合い、書いては消し、書いては消しを繰り返しすたび、心に陰りが生じた。母だったらこんな言葉は使わない。母だったらこんな構成にしない。母だったら……
無意識の比較は、ただでさえ動かない指をさらに重くした。〆切はじりじりと近づいてくる。進捗報告だって遅れている。努力をやめた今までのツケが背中に突きつけられていた。初めから負けの色濃い弔い合戦。でも今さらやめることなんてできやしない。
母だったら没にするであろう写真を焦りのまま何枚も撮って、私は最終の電車に飛び乗った。私以外客のいない車内は寂しげで、車窓に映る自分の顔はもっと寂しげだった。病床の母か、そうでなければ、身投げする寸前のような顔をした私を乗せて、電車は夜をゆく。夜明けにはまだ遠い。
「自分の興味のある仕事について、調べてきてください」
重たい体を引き摺って、泥の中をかき分けるようにしてたどり着いた学校で、先生にそんなことを言われた。
あれから家に帰ったころには明け方になっていて、仮眠を取ってすぐ学校に来た。休もうとも思ったが、もし無断欠席なんてして、父に連絡がいったら記事のことがバレるかもしれない。
「プリントを配ります。提出はしなくていいので、発表原稿のために活用してください」
途端に教室がざわついた。私も抗議したい気分だった。よりによってこのタイミングで仕事について調べるなんて。でもそれ以上に、クラスメイトの声に文句をつけたかった。寝不足の頭にはちょっとした拷問だ。目の奥から殴られているような頭痛がする。耐えていると、うっかり前から回ってきたプリントを落としてしまった。
「あ、ごめん……」
「ううん、大丈夫」
幸い、前の席の子は嫌な顔もせず、拾い集めるのを手伝ってくれた。そのまま後ろに回す。プリントには自分のなりたい職業や、身近な人にインタビューしたこと、ネットや本で調べたことを書く欄があった。
小学生のころにも似たようなことをやった。まさか中学でもやるとは思わなかった。もしかしたら高校でも同じことをやるのかもしれない。小学生のときは迷うことなく、「記者」と書いた記憶がある。でも今は……
「ねえ」
どこからか、密やかな声で呼びかけられた。私の頭痛に気を遣ったような声量はありがたかったが、誰が話しかけてきたのか咄嗟には分からなかった。重たいまぶたを持ち上げて、キョロキョロしていると、もう一度、
「ねえ、こっちだって。大丈夫?」
今度は無理やり頭を捕まれて、目を合わせられた。前の席の子だった。名前は確か
「どうしたの? 落としたことならさっき謝ったけど」
図らずも強い言い方になってしまった。自分の眉根が寄っているのも分かる。鈴鹿さんは心外そうな顔で、
「いや、元気なさそうだったからさ」
そう言って雑に手を引っ込めた。心配そうな顔で、
「寝不足? 珍しいね。真面目なのに」
「私のこと知ってるの?」
入学してまだ半年も経っていない。小学校の知り合いかとも思ったが、私は受験をして私立に来ている。可能性は低いだろう。それに、もし小学校が同じだったとして、こんな知り合いがいただろうか。
ろくに働かない頭で、何とか思い出そうとしていると、鈴鹿さんは拗ねたように小さく溜息をついた。
「私は……」
そのとき。言葉の先を遮るように、電話が鳴った。電子音が大きく響いて、私の脳を苦しめる。寝不足で鋭敏になった聴覚のせいかと思ったが、ざわついた教室が静まりかえったのを見るに、そもそも音が大きかったようだ。足音を鳴らして私に近づいて来る先生を見て、初めて、鳴ったのが自分のものだったと気がついた。
「授業中です。電源は切りなさいといつも言っているでしょう。没収します」
珍しく色をなしていたが、私はそれどころではなかった。確認した発信相手は父だった。没収の前に電話に出る許可をもらって、廊下に出た。
「もしもし、お父さん?」
『ああ』
電話越しにも父の声は久しかった。
『今学校だったか、悪い。でも時間がないから要点だけ言うぞ』
続けられた言葉に、さっきまで纏わり付いていた眠気も一瞬で醒めた。
『母さんの容態が悪化した。今は集中治療室に入っているらしい』
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