調査を初めてから一週間ほど経ち、七月十五日。私はまた猪川と向かい合っていた。前回利用したカフェで、前回と同じ席に座り、同じものを頼んだ。

 だが今日の私たちの立場は反対だった。

「さて、待たせたね。猪川さん。小端さんの悩みをようやく解決できるよ」

「本当ですか」

 猪川は瞠目した。

「隅野と小端を別れさせて解決っていうのはナシですよ。それじゃあ根本の解決にはならないんですから」

「分かってるよ。私としては別れさせるのが一番いいと思うんだけど……」

「無理ですよ。恋愛は頭でするものじゃないんですから。打算や損得勘定だけで動けるなら恋愛で悩む人なんていませんよ。どれだけ頭のいい人でも――謎解きが得意な人でも、非合理な行動を取ってしまうものです」

 暗に私のことを言っているようだった。返答に困っていると、タイミング良くアイスコーヒーが運ばれてきた。前回、私に敵意をむき出しにしてきた店員とは別の店員だった。

 店員が下がるのを待ってから言った。

「……だから、二人を別れさせて解決なんてことは言わない。ちゃんと小端さんの憂いを払うよ。でも、結果的に別れることになるかもしれない」

 猪川は力強く頷いた。

「それでも構いません。とにかく、小端が少しでも楽になるなら」

 私は頷き返して続けた。

「今回の事件、実はそんなに難しいことじゃないんだよ。幽霊の存在否定から始めれば簡単に解決することだったんだ」

「存在否定? 小端に幽霊なんていないって言い聞かせるとでも言うんですか?」

「そうじゃないよ。信じている人にそんなこと言ったら、むしろ逆効果だろうね」

「じゃあ……」

「その前に、この一週間、小端さんがどう動いていたかの話をしようか」

 私はメモ帳を開いた。

「まず調査の一日目。猪川さんから話を聞いた翌日。ここだけで大体のことは分かったよ。まず二人の住んでいるアパートの住人に話を聞いた。ここでは二人の最近の関係について尋ねた。隅野くんが幽霊に取り憑かれていると思わせる証言が得られた。小端さんが隅野くんに利用されていると取れる発言も。どうも隅野くんは働いていないようだね。収入は小端さんのバイト代だけみたいだ。ここまでは猪川さんも言ってたからただの裏取り。

 新しい証言としては、除霊のためにお坊さんを呼んでいたこと。隅野くんと小端さんが常習的にいがみ合っていること。それに耐えられない小端さんが男性に迫ったこと。小端さんが家を留守にしている間、隅野くんがどこかに遊びに行くことがあること。このくらいかな」

 猪川は暗い顔で俯いた。

「小端、思った以上にひどい扱いなんですね」

 私は何も答えず続ける。

「……次に図書館に行った小端さんを追いかけて、何を調べているかの確認をした。スピリチュアル系の本を片っ端から読んでいたよ。除霊や降霊や霊障や、ポルターガイスト、狐憑き、心霊写真、霊視、予言……。そういう霊的なことは何でも知りたがっているみたいだった。

 ついでにトンネル事故についても調べてきた。当時の新聞はどこも一面で報じていたよ。結構大きい事故だったみたいだね。亡くなったのは現場で働いていた作業員で、子どもは当然のこと、女性もいなかったみたいだ。心霊現象は遺族が供養のために訪れていたときからあったみたい。これで一日目は終わり」

 コーヒーで唇を湿らせる。猪川は顔を強ばらせたままだった。

「二日目以降のことだけど……正直、時系列に話すほどのことでもなかったんだ。だから要点だけ纏めていくよ。

 一つ目。住人の証言についてだけど、これはいくつか裏が取れた。有識者を呼んでお祓いをしているのは本当だったし、小端さんがバイトに出かけている間に隅野くんが友人らしき人と出て行くのも一回だけ見た。二日目にね。多分、他の証言も本当なんじゃないかな。

 二つ目。小端さんはよく大量の買い物をしていた。水とか、パンとかおにぎりとかを、コンビニで凄い量を買い込むんだ。ちょうどレシートが落ちてたから見てみたけど、一万円前後を買ってた。水と食べ物だけでだよ。

 三つ目。小端さん、妊娠しているみたいだ。産婦人科にかかっていて、もう母子手帳も持っているみたいだった。お腹はまだ目立たないから、三、四ヶ月ってところかな。

 以上が今回の調査で分かったこと。小端さんは毎日、こんな生活を送っていたよ。図書館とバイトと買い出しと病院、この繰り返し」

 猪川は焦れったそうに、身を乗り出して聞いてきた。

「それで、どうしたら小端を助けられますか」

「そうだね。最後の確認のために、実際にそのトンネルに行ってみるよ。私の考えが正しければ、二人を救うための物証が得られるはず」

「物証……?」

 猪川は首をひねったまま動かなくなった。私は何も言わない。氷がカラリと音を立てる。

 やがて猪川は諦めたように息を吐いた。

「分かりました。あたしも行きます」

「ダメだよ、危ないから一人で行く」

「ダメですよ、一人なんて。先輩弱いんですから。あたしも行きます。ちゃんと護衛をつけます」

 そう言って、くだけた口調で電話をかけ始めた。

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