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 ガラガラガラガラガラ――ガヤガヤ、ザワザワ

「あ、こっちこっち。ずっと時間取れなくてごめんね。最近忙しくてさ。座ってよ。飲み物なににする? オススメはウイスキーだけど」

「コーラで」

「そっか、まだお酒は飲めないのか。十九?」

「ええ」

「いいねえ、若いねえ。私も少し前までは自分のこと若いと思ってたけど、あっという間におばさんだよ」

「……」

「ここは、そんなことないですよって言うところだよ」

「そ……」

「冗談だよ、冗談。真面目だなあ。あ、ありがとうございます。ほら、乾杯しよ……ってなに飲んでるの」

「え、乾杯するようなことあります? いつも友人にも文句言われてましたけど、お祝いでもないのになんでそんな……」

「なんでも何も、飲みの席ではとりあえず乾杯はしておくものなんだよ。女性が年齢の話をしたらとりあえず否定しておくくらいに当たり前のことでしょ。っていうか、友だちとも乾杯してないの? 嫌われるよ?」

「はあ……」

「ほら、いいからグラス持って。ほら、ほら。はい、かんぱーい」

 キンキン、カランカラン、ガチャガチャガチャガチャ

「串焼きとか枝豆とか先に頼んであるから、好きに食べていいよ。他にも欲しいものがあったら何でも頼みなさい。ここはおばさんが奢ってあげる」

「そんなことないですよ」

「飲み込みが早いね、上出来。まだお若いじゃないですか、って付け加えられたらもっといいね。これも冗談だから復唱しなくていいよ。改めて、穂崎千蔭くん、こんにちは。元〈月刊明鏡〉第一編集部所属、加藤京子です。名刺はこちらに。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「堅苦しい話はもう少し後にしようか。ひとまずお姉さんとお話ししよう」

「はあ……」

「そんな微妙な反応しないでよ。これでも記者の端くれだよ? そこそこ話し上手なんだから。そうだな、たとえば……」

 ガチャガチャガチャガチャ

 ガヤガヤガヤガヤ、ザワザワザワザワ

 バンバン、パンパン

 ケラケラケラケラ、ガチャガチャガチャガチャ、カラカラカラ

 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ

 キンキン、キンキン

 ケラケラケラケラ、パンパン

 パンパン、ガチャガチャガチャガチャ

 バンバン、ゲラゲラゲラゲラ、ケラケラケラケラ

 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ

 カラカラカラカラカラカラ

 カチャカチャカチャ

 ……カタン

「さて、無駄話はこの辺にして、本題に入ろうか。あ、おかわりいただけますか」

 カラカラ

「つまらなかった?」

「いえ、もっと堅苦しい人のイメージがあったので」

「記者なんてみんなこんなもんだよ。あ、ありがとうございます。はい、カンパーイ」

 キンキン、キンキン

「さあ、それで、聞きたいことってなにかな。……言いそびれてた。もしくだらない用事だったらここの支払いは持たせるからね。これは冗談じゃなく、本当にね」

 ガヤガヤガヤガヤ、ザワザワザワザワ

「……言いにくいことなのかな。それとも本当にくだらない用事だった?」

「これです」

 バサ

「ん、これは……〈月刊明鏡〉の最終号? まだ持っている人いたんだ。とっくに飽きられて捨てられたと思ってた」

「前にフリマアプリで見たら、新品にプレミアついて五倍くらいで売られてましたよ」

「へえ意外。でもそうか。絶版だし、再販はあり得ないからね。で、これがどうしたの?」

「その前に、この編集長のまえがき。冒頭の献辞〈報われなかった少女へ〉って誰に向けられたものですか?」

「……烏丸さんじゃないの」

「烏丸さんって、烏丸景容疑者ですよね。事件当時で三十三、この前書きで語られているときだとしても二十五ですよ。少女なんて年だとは思えない」

「そんなことないよ、三十三でもまだ若いじゃない」

「……加藤先生、冗談言ってないで教えてくれませんか。僕はこの烏丸景容疑者が庇ったという学生記者のことだと思っています」

 ガチャガチャ

「つまりその学生記者の名前が知りたいわけ?」

「はい」

「記者には守秘義務ってものがあるからね」

「でももう〈月刊明鏡〉はないですよね」

「その通り。それにその学生記者も成人している。だから教えてもいいんだけど……」

「けど? お金なら多少は」

「自分の勤め先の学生からたかるほど困ってないわよ。違う違う、穂崎くんについてのことだよ」

「僕ですか」

「うん、穂崎くんのこと少し調べさせてもらったけど、親が離婚しているようだね。苗字も変わってるでしょ。だから私は危惧しているの。あなたがそういう人間じゃないとは信じたいし、そういう偏見を悪いと思っているけど、いざとなるとねえ」

「……姉のこと、ですか」

「そう。神田真央さん。それ読んだなら、なんで殺されたのか知ってるでしょ。神田千蔭くん?」

「……姉はこの学生記者をいじめていて、それを憎んだ烏丸容疑者に……」

「烏丸さんは私の元先輩なの。容疑者は失礼じゃない?」

 ガヤガヤガヤガヤ、ザワザワザワザワ

「……なんて、嘘だよ。烏丸さんがやったことは間違いなく間違ってた……笑うところだよ。まあ、そんなわけで君のことを信用はしたいんだけど、なにせ目的が分からないからね。もしお姉さんを殺されたことを恨んで、八つ当たりのためあの子を探しているのなら教えるわけにはいかないし」

「そんなんじゃあありません。ただ……」

「ただ?」

「会って謝りたくて。姉がやっていたこと。きっとひどく傷つけたはずだから。……それが半分です」

「もう半分は?」

「自分のためです。当時から僕、姉がいじめていたこと知ってたんです。でも色々理由をつけて止めなかった。もしあのとき止めていれば、その人は苦しまなくて済んだし、姉は殺されなくて済んだし、烏丸容……烏丸景、さんも犯罪者にならなかった。だから――その人に許してほしいんだと思います」

「自分のことなのに曖昧だね」

「自分でも、会ってみないと本当のところは分からなくて……」

 ガヤガヤガヤガヤ、ザワザワザワザワ

「……タマノミスズ」

「え?」

「名前。宝玉の玉に野原の野に、美しい鈴で、玉野美鈴」

 カリカリカリカリ、ガチャガチャ

「やっぱり真面目だね。ちゃんとメモ帳持ってくるなんて。私はよく忘れて烏丸さんに叱られたな」

「別に、これくらいは……」

「気分がいいからもう少し教えてあげる。美鈴、今は家で仕事しているはず。精神状態が芳しくなくてね。確かライターか何か、そういう系じゃなかったかな。それから美鈴には友だちがいたはず。名前は桐子とか桐江とか、そんな感じ。こっちから追ってもいいかもね。それと、ごめん、玉野って言うのは新しい苗字だったはず。親が亡くなって変わったんだって。あ、それに関して少し調べたんだけど、これ、絶対誰にも言わないようにね。耳貸して」

 ガタン

「……」

「――」

「……!」

「真実ではないと思う。でも必ずしも嘘でもないと思うよ。……ああ、もういいの? そう、じゃあ帰りは気をつけてね。私はもう少し飲んでいくよ」

「はい、ありがとうございました」

「それとさ」

「なんですか」

「もし美鈴に会えたら、一緒に飲みにでも行ってあげてよ。それでいっぱい酒を飲ませてやって。変なことしろって意味じゃないよ。ただ、辛いときには酒に縋ってもいいと思って。美鈴、真面目な子だからさ」

「……覚えておきます」

 ザワザワザワザワ、ガヤガヤガヤガヤ――ガラガラガラ、ピシャン


    *


 家に帰ってすぐに眠った。今日は姉の葬儀は夢に出てこなかった。

 代わりに暗闇の中で、同じ言葉が反響し続けた。油のように、泥のように、こびりついては重みを増していく。


 ――美鈴は子どもの頃、親を殺したらしい。だから苗字が変わったんだって


 目を覚ますとびっしょりと汗をかいていた。

 ベッドの上、言葉の残響を振り払いながら、鈴先輩のことを考える。自分の立ち位置を確かめる。

 図書館に入り浸る、未だ名前も教えてくれない先輩。雑に結んだ髪を揺らし、体が全部隠れてしまうようなオーバーサイズの服を好んで着ている先輩。髪をきれいに結ぶとその印象がまるきり変わる、僕が好きな先輩。

 初めて会った日、彼女は自分を大学三年生だと言っていた。〈月刊明鏡〉のことを聞くと知らないと言った。でも嘘だった。先輩は社会人で、大学生ではなかった。では、〈月刊明鏡〉は? どうして名前を教えてくれないのだろう。いや、教えられないのだろうか。

 そして、本当かどうか分からないKとMの話。あれは何だったのだろう。だがMは美鈴のMではないか? そしてその友人は、桐子だか桐江だか言うらしい。つまり、Kではないのか? ふと、『川を渡る女』の問題を連想した。金と、性欲と、規範と、家族と、愛と。玉野美鈴という少女は誰を嫌うだろうか。

 親を殺した、美鈴という少女なら。

 家族と愛なら、鈴先輩と同じだ。そして、そのまま芋づる式に類似点を考える。芳しくない精神状態や、ミミズ腫れのリストカットや、在宅ワーカーや、真面目な性格や、

 そして、いじめや。

 僕の頭に、棺に収まる姉の顔がちらついた。生前の、無邪気に邪気を振るまく傍若無人な姿と、事件現場に残されていた死の直後が写された写真も思い出す。

 犯人は捕まった。〈月刊明鏡〉の記者だった。動機は姉のいじめから後輩を救うため。

 もしかすると、

 ――僕の好きな人は、僕が好きになってはいけない人だったのかもしれない。

 それが、僕の立ち位置だった。

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