第三話 恋 〈いずれにしても、ひとはいつでも多少の過ちをおかすのだ。 ――カミュ『異邦人』〉

 欠望の溜息を飲み込む。目の前に座る曽根山そねやま先輩は、うつむき加減に謝り続けている。

「……役に立てなくてごめんなさい。僕がもっと確認していれば……」

 僕はなるべく自然な笑顔に見えるよう心がけて、唇を意識的に持ち上げた。

「いえ、仕方ありませんよ。曽根山先輩だってこんなの突然の話だったでしょうし」

 自分では大袈裟なくらい笑っているつもりだが、周りには微笑程度にしか見えていないだろう。昔から無表情でいると、怒っていると勘違いされやすかった。笑っていても、無表情だと思われることも多かった。

 曽根山先輩もそう思ったのか、あるいはこの人の生来的な性格の問題なのか、やはり弱々しく肩を縮こめて、

「また後日、時間を取ってもらえるよう僕からもお願いしておくよ」

 と言ってくれた。だが僕は首を振った。

「いや、もう大丈夫です。自分でいくので」

「そ、そう?」

「はい」

「……なんで〈月刊明鏡〉について調べてるかは聞かない方がいい?」

「はい」

「そ、そう……」

「はい」

「……じゃ、じゃあもう行くね。本当、何もできなくてごめん」

 曽根山先輩は明らかな愛想笑いで、へどもど学生ホールを出て行った。背中が見えなくなってから、さっき飲み込んだ欠望をふっと吐き出し、吐き出してから、先輩に勘違いさせたことに気がついた。

 気がついてから、少し傷ついた。やはり怒っているように見られたのだろう。

 別に、他意はなかった。先輩の厚意を断ったのは手を煩わせるのが申し訳ないから、詮索を断ったのは喧伝するような話ではないから。ただそれだけのことだった。

 メモ帳をリュックサックにしまい、代わりに雑誌を取り出す。さっき曽根山先輩も言っていた〈月刊明鏡〉、その一月号だ。今から四年前に刊行されたもので、この号を最後に廃刊となっている。

 開き癖のついていたページを開き、読み心地の悪い見出しを読んだ。


 ――戦慄の姉弟/師弟愛、なぜ彼女たちは犯罪者になったのか


〈月刊明鏡〉はもともと事件記事を嫌う傾向にあった。読者が先に穏当だったのか、誌面が先に穏当だったのかは知らないが、バックナンバーを見ても、事件記事が取り上げられていたのは数えるほどしかなかった。

 しかし今広げている一月号と、この一月前に刊行されている十二月号は、通称〈ハーメルンの笛吹き男〉事件を二ヶ月にわたって、その結末まで大きく取り上げており、当時は非常な話題になっていた。

 十二月号はある与党議員の妻を自殺に追いやった(あるいは事件の真相を言い当てた)、「呪い(予言)の書」として。

 一月号は、今度は自誌をも廃刊に追い込んだ伝説の一冊として。

 さらに一月号には月刊誌にしては異例の、献辞と前書きがおかれていた。


〈報われなかった少女へ〉

 このようなことを書くと、犯罪者を庇っているように聞こえるかもしれません。

 それでもこの場をお借りしたのは、烏丸景容疑者(以下、烏丸)と共に働いてきた者として、また彼女の上司として、烏丸がどのような人物で、なぜ今回の事件を起こすに至ったのか、親愛なる読者の皆様方には正確に見定めていただきたいという私情からです。

 以下の文には、私の個人的意見が多分に含まれています故、烏丸の被害者である神田真央様の名誉を穢すような、あるいはそうでなくとも、前述の通り犯罪者を庇うような言葉が出てくる場合もございます。

 こればっかりは読者様のご寛恕を請うしかないのですが、憤懣に堪えなくなった際は、どうぞ遠慮なくどこへなりともお申し付けください。いかような処分も謹んで受ける所存でございます。

   

 烏丸と出会ったのはある女性の紹介でした。才川千歳、といえば思い当たる人もいるかもしれません。八年前に事件に巻き込まれて亡くなった、フリージャーナリストです。彼女を一言で表すなら、正義の人。間違ったことを嫌い、正しいことを信奉し、しかしそんな自身の性格を恥じてか、よく皮肉やブラックユーモアを口にする、偽悪的で心根の優しい人でした。

 そんな彼女とはよく酒を飲み交わす仲だったのですが、その席にある日、同い年の女性を連れてきました。誰何すると、その女性が名乗るより早く、「友達」と才川はやけに嬉しそうに答えました。

「記者に向いてる子だよ。すごく」

 それが烏丸と交流を持つきっかけでした。

 烏丸は才川とはタイプの違う、よく言えば大人びた、厳しく言えば冷めた記者でし   た。斜に構えたようなところがあり、負けず嫌いで、達観した、後輩としてはあまりかわいくない部類でした。

 とはいえ、さすがに才川が紹介するだけのことはあって、烏丸には当時から光るものがありました。正しさを嗅ぎ分ける聡さと、正しさを主張できる強さです。

 烏丸は大勢のヤクザに囲まれても、倍以上背丈のある容疑者の男から殴られても、まるで物怖じすることなく淡々と記事を書いていきました。そうして着実にフリージャーナリストとしての地盤を固めていったのです。

 いつしか才川と烏丸と三人で飲み歩くのが恒例となっており、今までの記者人生を振り返っても、こんなに心安らぐ時間というのは他になかったように思います。

 それが壊れたのは、言うまでもなく、あのクソ男による、クソ事件のせいでした(分からない方は「才川千歳」の名前で調べてください)。あの事件さえなかったら、烏丸は今回の事件を起こさなかったのではないかと考えてしまいます。才川を殺した犯人を罵るくせ、女子高生を手にかけた烏丸は擁護する浅ましさは承知しています。

 ただ浅ましいついでに言わせていただければ、才川の死に一番ショックを受けていたのは烏丸でした。何日も何週間も仕事をしなくなり、ともすれば後追いでもしかねない不安定な精神状態が続いていたようです。見かねて〈月刊明鏡〉の編集部へと入社させましたが、久しぶりに会った烏丸はどこか鬼気迫る、剣呑な雰囲気をまとっていました。達観は諦観に変わり、何が正しいかを気にすることも、ほとんどなくなったようでした。才川の名前を口にすることもありませんでした。

 出社して、取材に行って、家に帰る。出社して、記事を作成して、家に帰る。そんな惰性的な日々に、彼女は錆びついていきました。それが五年ほど続きました。

 しかしある学生記者(本人が未成年のため名前は伏せさせていただきます)が入ってからは、何もかもあのときと同じとはいきませんが、烏丸にも笑顔が増え、才川の話を避けることもなくなりました。

 しばらくは順調でした。このまま烏丸が、才川に対する罪の意識から逃れられたらどれだけ良かったか。それを思うと残念でなりません。

 烏丸の殺した神田真央様は、学生記者と同じ高校に通っていました。そして学生記者をいじめていたとも聞いております。それを目の当たりにした烏丸は何を考えたでしょうか。それ以前からもずっと才川への罪の意識に苛まれていた彼女のことです。学生記者を救うことで、あの日救えなかった才川に報いようとしたのかもしれません。

 もちろん殺人はいかなる理由があろうとも許されることではありません。ですが世間で言われているような狂人的な理由で人を殺したわけではないことだけご理解ください。

 

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 理由はどうあれ殺人は殺人です。一切の弁護のしようはなく、罰は受けるべきだとも存じております。それでも烏丸が、この事件を起こすまでは善性に満ち、正しさを信奉した、友人想いの人物であったことだけご承知いただければ、これに勝る幸福はございません。

 また誠に勝手ながら、「月刊明鏡」はこの号を最後に廃刊とさせていただきます。この十三年間、長らくのご愛読、誠にありがとうございました。私はこれを機に筆をくつもりでおります。

 文筆業に携わってきて二十余年、多くの方々にお世話になりました。合わせて、この場で謝意を述べさせていただきます。

 最後までお目汚し失礼致しました。

                 (十二月十四日 「月刊明鏡」編集長・松添)


 この前書きは各所で、「編集長の自爆テロ」と揶揄されていたが、神田真央の悪行が事実であったことが発覚すると、その声は鳴りを潜めた。ちょうど同じ号で、〈ハーメルンの笛吹き男〉事件の犯人が警察官とその姉だと報道され、反応が分散されたのも理由の一つかもしれない。神田真央と警察と〈月刊明鏡〉とがそれぞれに叩かれ、それぞれに擁護されていた。ちなみに〈ハーメルンの笛吹き男〉事件の犯人である轟木理智と可憐は、烏丸景が捕まる前日に、拳銃自殺を果たしている。

 僕は〈月刊明鏡〉を閉じ、鞄にしまった。お預けを食らったような気分に溜息をつく。本日二度目。

 大学に入って二回目の春。去年も一年間、色々と手は尽くしてきたが、有益な情報は何一つ手に入らなかった。初めは少しでも可能性があるなら、なりふり構わず話を聞きに行った。それが僕の勘違いだったこともあった。サークルの勧誘だったことも、ナンパだったことも、冷やかしだったこともあった。それでも続けた。あるときは怪しまれ、あるときは誹られ、あるときは哀れまれ、あるときは嗤われた。そのたびに少しずつ傷つき、少しずつ諦めていった。熱意はすっかり冷め、焦りは惰性へ変わっていた。

 そんなとき加藤先生が異動してきた。そして先日の初回授業の自己紹介で、彼女は〈月刊明鏡〉の元記者であると言ったのだ。授業後、僕はすぐ加藤先生に話しかけた。

「〈月刊明鏡〉について聞きたいことがあるのですが、お時間いただけませんか」

 既に雑誌記者ではなく、経済新聞の記者になっていたそうだが、〈月刊明鏡〉という言葉に過敏に反応した加藤先生は、日付を指定し、その日までに話すべき事を纏めると言ってくれた。

 しかし約束の今日になってやってきたのは、加藤先生のゼミ生であるという曽根山瑛太先輩だった。経済学部の三年生らしい。

 加藤先生は緊急の会議が入り、その代わりを寄越したということだった。

「ごめんね穂崎ほざきくん。加藤先生からメモも預かってるし、ある程度の質問には答えられると思うから……」

 釈然としなかったが、僕として話が聞けるのなら何でも良かった。しかしいざ、曽根山先輩が開いたメモは白紙で、どうやら間違ったものを渡されたらしかった。先輩はすぐ加藤先生に連絡を取ってくれたが、電源が入っていないと機械音声が流れるだけだった。加藤先生の研究室にも行ってみたが、当然誰もいなかった。何度か繰り返し電話をかけたが、そのたびに機械音声が繰り返された。

 学生ホールに戻るころには、曽根山先輩はすっかり気落ちし、萎縮していた。

 ――……役に立てなくてごめんなさい。僕がもっと確認していれば……

 さっきのやり取りを思い返し、自分が怖がられたことを思い出し、また気分が沈んだ。

 スマートフォンが震えた。メッセージアプリの通知が入っている。友人が少ないから、誰から、なんの用件での連絡かはすぐに分かった。

 隅野から、今日の飲み会の連絡だ。

『今日の飲み、六時から! 駅前な。遅れるなよ』

 溜息がもれる。三回目。

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