翌日。紅葉がわたしの保冷剤を変えているときインターフォンが鳴った。紅葉は出ている保冷剤を全て押し入れに投げ入れると扉を閉め、自身の臭いを確認してから玄関へ出て行った。

 すぐに戻ってきた紅葉は背後に制服を着た少女を連れていた。中学生くらいだろうか。長い髪や背丈は桐江に似ていたが、気の強そうな瞳は桐江以上だった。幼く見える面立ちはその目を余計に強調していた。立ち居振る舞いには奥ゆかしさがあり、畳の紋縁を踏まないよう歩いているのは特に好感が持てたが、検分するような視線をあちこちに巡らせているのは不審だった。

 紅葉も困惑した顔で少女に座布団を勧めると、

「すぐお茶を持ってくるから少し待っていてもらえる?」

 と居間を出て行った。少女は「お気遣いなく」と口先で答えながら、掃き出し窓に近づき、今度は庭を見つめ始めた。その視線はやはり何かを探るように図々しかった。彼女が何を見つめているのか、死んだわたしにすらそれは見えなかった。庭には土で湿ったシャベルや乾いて久しいじょうろがそのまま置かれているだけだ。

 紅葉が盆にティーカップを二つのせて戻ってきた。少女はようやく座布団に坐った。

「飲み物は紅茶でよかった? ジュースをきらしてるの。ごめんなさいね」

「いえ、ありがとうございます」

 少女はカップを受け取り一口飲むと、今度はそのカップを見つめた。特に変哲のない既製品だ。そんなもののどこに興味を惹かれているのかまるで分からなかった。

 それは紅葉も同じようで訝しげに少女を見つめていた。視線に気づいた少女は取り繕うように笑って、カップを置いた。

「素敵なおうちですね。お庭もよく手入れされていて……あそこに咲いているのはヒャクニチソウとローズマリーですね。花言葉はそれぞれ『幸福』と『変わらぬ愛』でしたか。庭を見ればその家が分かると言いますが、それこそ幸福で、愛に恵まれた家庭だったんでしょうね」

 大人のような話し方をする中学生だ。こんな状況でもなければ小躍りするくらいに嬉しい言葉も平然と言ってくれる。わたしは少女に面と向かって会えないことを少しだけ残念に思った。

「母の趣味なの。最近は手入れできていないから、きっともうすぐ枯れてしまうでしょうね」

「そうでしたか。お母様はどちらに?」

「ちょっと、今は不在で……」

 真っ直ぐ向けられた少女の視線をかわすようにカップを手に取り、紅葉は口元を隠すようにした。

「それより、用件は?」

 少女は一層背筋を伸ばし頭を下げた。

「突然の訪問失礼いたしました。改めまして、私、桐江さんの友人で、玉野美鈴と言います。今日お伺いましたのは紅葉さんにお話があったからなのですが……」

 そこで気づいたように言葉を切ると、

「昨日、蒼さんの家にお邪魔したのですが、この家と間取りも調度品もすべて全く同じなんですね」

 家を眺め回していた理由をようやく理解した。

 数年前に行ったリフォームの際に、こちらの家が蒼の家に合わせたからだ。調度品も紅葉の独断で同じものになってしまった。わたしは家の購入の一件以来、紅葉のそういう性格は分かっていたから特に止めることもなく、蒼はむしろ面白がってまったく同じ家を作るために協力すらした。

「家まで双子にしようって考えただけなんだけど、結構大変だったわ」

 紅葉は冗談めかして言ったが、美鈴は思慮深い目で黙り、自分の考えに没頭していた。

「それで用件は……」

 紅葉が促したところでようやく居住まいを正した。

「失礼しました。今日お伺いしたのは柏木先生についてのことです」

 紅葉の目に再び警戒の色が走った。

「美鈴ちゃんも塾生さん? 桐江ちゃんと仲が良いって言ってたね」

「ええ、柏木先生は謹慎中だと塾長から伺ったのですが……」

 美鈴は軽く首を振って、また家を見回した。

「今はいらっしゃらないんですね。どこに行かれたんですか」

 紅葉は軽く首を振った。

「分かりません。職場から呼び出されて行ったきり帰ってきていませんので。夫が謹慎になったことも職場に電話をかけてようやく知ったくらいです」

 美鈴は少しだけ眉を上げた。

「警察には?」

 再び首を振る。

「浩治さんも子どもじゃないし。あまり事を荒立てたくはなくて」

「なぜですか」

 美鈴の声のトーンが突然低くなった。

「なぜ事を荒立てたくないんですか」

 紅葉は目の前の少女を窺うように見たまま、カップを口に当てて静止していた。

「話は変わりますが、最近庭の手入れをしていないと言っていましたね。それはお母様もいなくなったからではないですか」

「家のことだから……」

「失礼しました。ただお母様が現状どうであろうと、ずっと庭の手入れをされていないのであればひとつおかしな事があるんです」

 美鈴は立ち上がり、掃き出し窓へ近づくと庭の一隅を指さして言った。

「あのシャベル、昨日今日に使った覚えはありますか」

 紅葉は瞠目し首を振った。シャベルは土で汚れていた。わたしを掘り起こした後、紅葉は間違いなく洗ったはずなのに。

「でもなぜ……」

「使われたのは最近のようです。土が湿っている。もしかしたら誰かがここに入り込んだのかもしれません」

 美鈴は窓を開け、庭に降りた。紅葉もその後に続く。

「ここには何が埋まっていますか?」

 美鈴はシャベルを手に持ち、何も植わっていない花壇に目を向けた。

「タイムカプセル……子どものころに母と蒼と三人で埋めた……」

「掘り返しても?」

 紅葉が頷いたのを見て、美鈴はシャベルを土に突き立てた。しばらく土を掘り返す音だけが響いていた。

 やがて美鈴はシャベルを取り落とし立ち上がると、ため息をついた。

「やっぱり……」

「どうかした?」

「……あまり見ない方が良いと思います」

 美鈴はそう言いながらタイムカプセルだけを取り出して、穴を埋め直し始めた。黒い袋がいくつかチラリと覗いていた。紅葉は怪訝な顔で近づいていった。

「なに、それ」

 美鈴は諦めた顔で、なんでもないように言った。

「これは小分けにされた死体です」

 紅葉は言われた意味を咀嚼するような間を置いてから、弾かれたように距離を取った。

「な、なんで、そんなものがうちの庭に……」

「誰が埋めたのかはおおよそ見当がついています」

 そういった美鈴はいつの間にかビニール手袋をつけていた。その手にタイムカプセル代わりに使ったクッキーの缶と、財布を持っている。

「その財布!」

 紅葉は大きく見開いた瞳をたじろがせた。

「これは浩治さんの……」

 美鈴は財布の中を確認した。

「どうやらそのようですね」

「そんな……」

 美鈴は泣き出した紅葉に同情的な視線を向け、しかし声だけは冷静だった。

「タイムカプセルに何を入れたか覚えていますか?」

 紅葉はかぶりを振った。美鈴は、そうですか、と呟きその場で開封した。

 中には何年も前にはやったアニメのシールや小学校の工作で作った置物、古くなって端々が褪色した写真が入っていた。

「これは……」

 美鈴は底から真空パックに入れられた一枚の紙を取り出した。ついに見つけられてしまった。わたしは思い出に後ろ髪を引かれ処分できなかったことを今更ながら後悔した。

 美鈴はその手紙を読み終えると、

「これ、読んでください」

 と紅葉に押しつけた。紅葉は涙を拭いながら恐る恐るその手紙を受け取り、読み終えるとまた泣き出した。

 美鈴は優しい声音で、

「さっき掘り返したとき、タイムカプセルと財布以外にもこんなものを見つけました」

 土で汚れたイヤリングを見せた。そのときわたしはようやく自分の耳からイヤリングがなくなっていることに気がついた。紅葉は悄然とうなだれた。

「お母様は今どこに?」

 紅葉は押し入れを指さした。美鈴は居間に戻ってくると押し入れを引き開け、わたしを確認すると、悲しげな目を紅葉に向けた。

「母さん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 紅葉は皺が寄るほど強く手紙を握りしめていた。その傍に寄っていって彼女の手を取ってやりたかった。震える背を抱いて慰めてやりたかった。だがそれはもう叶わない。わたしの願いはことごとく届かなかった。

 美鈴は押し入れを閉めて言った。

「まだ警察には通報しません。一日だけ猶予をください」

「なぜ……?」

 紅葉は細い声に、美鈴は紅葉よりもつらそうな目をして言った。

「あそこに死体を埋めた犯人を告発しなくてはならないからです。お母様を殺した件と関係があるので紅葉さんもお付き合いお願いします」

 紅葉は一度だけ頷き、うわごとのように繰り返した。

「母さん、ごめんね……」

 身を切るように哀切な響きに耐えられず、わたしは意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る