危ない学部

増田朋美

危ない学部

「この学校が私立の小学校であることを、お父さんにはもう少しわかってもらわないとね。こんな絵を描くような生徒がいたら、家の学校はどんな目にあうか。お父さん、それをちゃんと、武史くんにもう少し言い聞かせてください。」

担任教師にそう言われてジャックさんは、

「そうですか。日本の学校は、生徒のためじゃなくて、学校のメンツのために、呼び出すんですか。」

と、思わず言ってしまった。

「当たり前じゃないですか。この絵はまるで明日の神話です。こんな気持ち悪い絵を一年生の生徒が書いたなんていったら、家の学校は、明日の神話のような絵を書かせる教育をしているのかと、笑われてしまうことになります。それだけは、どうしても避けたいんですよ。何よりも、家の学校は私立学校で、なにかあったとき、保証してくれるような、システムはないんですから!」

と、担任教師はえらく感情的に言った。

「そうではなくて、武史が明日の神話のような絵を描くことを心配してはくださらないのですか?たとえば、児童精神科に連れていくように、アドバイスするとか。」

ジャックさんは、イギリスにはよくある教育システムを言った。

「そんなことはしませんよ。お父さん、はやく日本の教育システムにも慣れてもらわないとね。」 

担任教師は冷たくそういうのだった。

しかし、なんでまたこうも頻繁に学校から呼び出されるのだろうかとジャックさんは思うのであった。しかもそれは、武史くんのことを心配して呼び出すのではなく、武史くんが岡本太郎のような絵を平気で描くので、学校として恥ずかしいという意味で呼び出されるのである。

「くれぐれも、こんな変な絵を書かないように、注意をしてください。写生をするなら、ちゃんとそのものを描くようにさせてください。こんなふうに、描かれてはこまります。」

担任教師は、一枚の絵を見せた。それは、学校にある滑り台を写生したものだったが、滑り台の絵はちゃんと書いてあるものの、周りは派手な原色を使った渦巻きを何度も重ね塗りして描いている。本人の話によれば、すべり台は危険な遊具なので、こういう、危ない雰囲気を出したかったとにこやかにして言っていたというが、確かにその色使いも気持ち悪く、岡本太郎の絵のようであった。ちなみにすべり台が危険な遊具とかんじたのは、同級生がそこから転落して、負傷したことからそう描きたくなったと、武史くんは担任教師に話したというのである。

「しかし、すべり台から転落した子がいるというのは、学校の安全管理に問題があったのではありませんか?」

ジャックさんはすぐに担任教師に言った。

「いえ、あれは生徒が悪ふざけをして落ちたのです。私のせいではありません。」

担任教師はそう言った。どうも変だなあとジャックさんは思った。

「そうですか。滑り台が危険だと生徒さんに教えるのではなく、うちの武史が変な絵を描くことを問題視するのがおかしいと思うのですが、それは平気なんでしょうか?」

「思ったことを何でも口にされては困ります!」

と、担任教師は、ジャックさんに言った。こういう人が感情的になると、こっちが悪いのかと思ってしまうが、ジャックさんはそうはならなかった。そこは、日本人ではなかったからかもしれない。

「僕は別に学校を批判しているわけでは有りません。ただ、問題視するところが違うと言っているのです。」

ジャックさんはそう言ったのであるが、担任教師は、

「もうかえってください。」

とだけいった。ジャックさんは分かりましたといい、学校をあとにした。

同じ頃、製鉄所、と言っても部屋を貸出している福祉施設なのであるが、そこでは、また新規で利用希望者が来訪していた。利用したい人が増えるのは良いのかもしれないけれど、それは逆に言えば居場所がないとか、不適切な教育を受けている若者が続出していることにもつながるため、あまり喜ばしいことではなかった。今度の利用希望者は、若い女性で、まだ大学に入ったばかりだと言うのだが、大学に居づらくなってしまい、行く事ができなくなってしまったという。

「へえ、大学で不登校というのは珍しい。お前さんはどこの学校なの?」

ジョチさんと一緒に応答していた杉ちゃんがそういうと、

「はい、西浦大学です。」

と、女性は小さい声でいった。

「西浦大学ね。学部は?」

杉ちゃんがきくと、

「美術学部で、日本画を学んでいました。」

と、彼女は答えた。 

「西浦大学。あの、つい最近、そこの学生が、覚醒剤を使用したということで逮捕されたというあの大学ですね。そうですか、それは確かに困るでしょう。あなたには何も罪はないのでしょうが、学校内に警察が入ったり、報道陣が入ったりで、とても授業どころではなかったでしょうね。」

と、ジョチさんはそう言ってあげた。彼女はそれを聞いて、

「わかってくださるんですか?」

と聞いた。

「わかるというか、まあしょうがないところですよ。日本のマスコミというのは、他の生徒さんのことは考えず、面白いネタばかり追っかけてきますからね。まるで一つの穴に群がる、スズメバチのようにやってきますよね。そういうことですから、怖い思いをして、あなたが学校にいけなくなってしまったというのも、仕方ないことですよ。」

「そうですか。わかってくださりありがとうございます。幸い、車もありますので、いつでもこちらへ来られますし、そういうわけなので、利用させてください。よろしくお願いします。」

女性は、とてもうれしそうに言った。

「それで、お前さんの名前はなんていうんだっけ?」

杉ちゃんがそうきくと、

「申し遅れました。私、梅津と申します。梅津奈美恵です。よろしくお願いします。」

と女性は、自分の名前を名乗った。

「わかりました。梅津奈美恵さんですね。こちらに来てくれるのは構いませんが、せっかく美術学校にいらっしゃったのですから、それを忘れてしまわないように過ごしてくださいね。」

ジョチさんはにこやかに笑った。

「はい。よろしくお願いします。」

梅津奈美恵さんが頭を下げると、同時に玄関の引き戸がガラッと開いて、

「こんにちは、杉ちゃんおじさん元気ですか?みんな元気?」

小さな子どもの声が聞こえてきた。杉ちゃんがすぐに、

「おう、今新入会員さんの案内をしているので、ちょっとまっててや。」

と言うと、武史くんは

「おじさんは?」

と、杉ちゃんに聞いた。

「おじさんは、見ればわかるだろ。ピアノを弾いているよ。」

杉ちゃんの言う通り、四畳半から、幻想ポロネーズが聞こえてきた。武史くんは、ありがとうと言って、すぐ四畳半に飛び込んで言った。

「とても元気な子供さんなんですね。」

梅津奈美恵さんが、ジョチさんに言った。

「ええ、まだ小学校一年生なんですけどね。なんでも、岡本太郎の様な絵を描いて、学校で問題児にされているようなんです。それで今日は、お父様が、学校から呼び出されて、その間に預かってくれということで、今日はここへ来たんですよ。」

ジョチさんはしたり顔で答えた。

「そうなんだ。私は、子供と絵が大好きだったんで、将来は、子供にまつわる仕事をしたいなと思っていたんですよ。」

奈美恵さんは、にこやかに言った。

「そうですか、それがなぜ、美術大学に行ったんですか?」

「ええ。保育士資格は通信講座でもとれますが、美術は美術大学に行かないと学べないということを聞かされましたので、それなら美術大学に行って、その後で保育士資格をとってもいいなと思ったんですよ。それで、西浦大学は、いろんな学部があって、一つの学部にとらわれず、他の学部と一緒に学ぶこともできるって聞いたから、西浦大学を選びました。」

奈美恵さんがそう答えると、ジョチさんは、

「そうですか。そういう気持ちを忘れないでほしいなあと思います。あなたは、一生懸命やってきたんですし、西浦大学は、決して悪い大学でも無いですしね。その気持を大事にしてください。」

と、彼女に助言した。

「でも、大学はどうなってしまうのでしょうか。毎日のようにマスコミが押し寄せてきて、私達はインタビューの連発で。聞かれることは、いつも同じなんですよ。あの、覚醒剤を使っていた学生とは、付き合いがあったのとか、その学生はどんな学生であったかとか。私達は何も知らないのに。先日は、学長と理事長が記者会見したそうですけれども、わたしたちは、どうなってしまうのか、不安でたまりません。大学が潰れたら、私達、学ぶところが何処にもなくなってしまうんですよ。」

「そうですねえ。西浦大学は、それくらいの学生を擁する、マンモス校ですからね。それが確かになくなったら、日本を代表する大学が潰れてしまうことになる。それではいけませんね。あなただけではありません。他の学生もそうですし、教授さんたちだって困るでしょう。」

ジョチさんは、彼女の心配事をそう受け止めた。

「ありがとうございます。私、あまりにも不安なんで、親に精神科に通えと言われました。そこで、不安障害と診断されてしまって。それもこれも、みんな大学のせいです。だから、どうしたらいいものか、わからなくなってしまって。」

「そうですか。でも、病名がついたのなら、それでいいではありませんか。しばらく事態が落ち着くまで、休息していればいいと言うことですよ。そして、ほとぼりが冷めたら、大学に戻ればいいんじゃありませんか?」

「そうですね、、、。」

奈美恵さんがそう言うと、水穂さんが弾いているショパンのワルツが更に大きくなりだした。弾いているのはワルツ第七番嬰ハ短調。有名なワルツだけど、なんだか重たくて疲れてしまうワルツとも言える。

「なんか私の気持ちを象徴するようなワルツですね。不安とか、つらいこととか、それを表現してるみたい。なんか不思議ね。音楽って、自分の気持ちを代弁してくれることもできるんだ。」

と、奈美恵さんは言った。

「いえ、音楽だけじゃありません。なんでも芸術は皆そうです。美術でも、書道でも、文学でも。それを通して自分の言いたいことを伝えられる人は、周りに恵まれた幸せな人だと言うことですね。」

ジョチさんはにこやかに言った。

「ちょっと、聞かせて貰えないでしょうか?」

奈美恵さんはそう言って、四畳半の方へ向かった。ジョチさんも彼女を水穂さんに紹介するため、同じように四畳半に向かった。四畳半の襖を開けて、

「こんにちは。新しくこちらを利用させてもらうことになりました。名前は、梅津奈美恵です。今は、西浦大学の一年生です。よろしくお願いします。」

ピアノを弾いていた水穂さんに頭を下げた。水穂さんはピアノを引く手を止めて、

「よろしくお願いします。磯野水穂です。」

と、彼女に言った。

「僕は田沼武史。よろしくね。」

武史くんも、奈美恵さんに自己紹介した。奈美恵さんは水穂さんの顔を見て、一瞬その顔にびっくりしてしまったようであったが、

「よろしくお願いします。」

とだけ言った。水穂さんは、彼女に、本来の時間であれば大学に行っている時間であるのではということは一切言わなかった。それが、彼女には嬉しかったらしい。ふと足元を見ると、武史くんが、なにか絵を描いていた。鉛筆でなにか一生懸命なにか描いている。

「まあお上手ですね。なんか岡本太郎みたいじゃない。武史くんって言ったわね。とても上手よ。」

奈美恵さんはにこやかに言った。

「本当?」

武史くんはそういった。

「ええ。岡本太郎といえば、世界的に有名な芸術家よ。それにしても、何を描いているのかしら?」

奈美恵さんが聞くと、

「おじさんのピアノだよ。」

と、武史くんは答えた。確かにピアノを描いた様な絵であるが、その周りには、なんだか謎の物体のようなものが漂っている。多分それは音楽を絵で描写したのだろうか?

「そうなのねえ。武史くんはとても絵が上手ねえ。もしかしたら、私の大学の教授に見せれば、喜んでくれるかもしれませんわ。」

奈美恵さんが言うと、

「でも僕は、学校で先生はみんなそんな絵を描いちゃだめって言って怒るんだよ。今日だって、パパが学校に呼び出されて、多分またそれで叱られるんだと思うんだ。だから、僕は、もう学校なんて嫌になっちゃった。」

武史くんは嫌そうに言った。

「そうなのねえ。確かに、小学校の先生じゃあ、絵のことはわからないかもしれないわね。でもね、武史くん、私の大学の教授だったら、きっとあなたの絵を見て、喜ぶと思うわ。きっとあなたのことを天才だって褒めてくれるんじゃないかしら。それは私が保証する。私も、実はそういうところがあったの。子供の頃はなんでそんな絵ばっかり描くんだって、よく親や学校の先生に叱られたものだったわ。でも、大学に言って、やっと、絵の価値を認めてもらえるようになった。」

奈美恵さんはにこやかにそういったのだった。

「そうなの?じゃあ大学に行けば、僕の絵も、認めてもらえるようになるかな?」

武史くんがそう言うと、

「ええ。それは保証するわ。大学というのは個性を認めて貰える場所なのよ。今まで変な事をしている子が、大学へ行ってすごい業績を作ることだってあるわ。中にはそうねえ。ちょっと、発達障害かなと思われる子も居るわ。だけどそういう子が、すごい事することができるのも大学なのよ。」

奈美恵さんはそういった。

「そうなんですね。そういうことが言えるのだから、奈美恵さんもかなり恵まれた境遇に居るのに違いありません。ぜひ、その気持を忘れないで大学生活を続けてください。そういう事を持っていられるんだったら、きっと大学で成功します。」

水穂さんは、そう彼女に言った。

「僕みたいに、不自由な出で大学に行ったとか、そういうことは無いのですから、それなら、頑張ってやりこなすこともできると思います。」

「ありがとうございます。そう言っていただけるなんて、本当に光栄です。あたしは、何をやっているんでしょう。確かに、大学で、今すごい事になってるけど、学べる場所であるのは今も昔も変わりませんしね。頑張って、美術を学ぶんだっていう気持ちを持たなくちゃ。これからもあたしは頑張りますよ。武史くんに会えてよかったわ。あたし、美術を学ぶ人間として、武史くんの良いお手本になる先輩にならなくちゃ行けないと思いました。武史くんありがとう。」

と、彼女、梅津奈美恵さんは言った。

「そうですか。西浦大学は、今現在、違法薬物問題で大変な事になっているんですけど、でも、由緒正しい大学であることは間違いありませんよ。きちんとしてる大学ですから、それに引け目を感じたり、落ち込んだりすることは無いですからね。それは、必要ないってことは覚えていてくださいね。」

水穂さんがそう言うと、奈美恵さんは、

「はい。わかりました。」

ときちんと言ったのだった。

「お姉ちゃん、これからも、頑張って勉強してね。僕も、一生懸命、絵を描く勉強するよ。僕も大学へ行ったら、きっと褒めてもらえる日が来るんだもんね。」

武史くんは奈美恵さんに向かってにこやかに笑った。

「そういうわけだから、岡本太郎さんのような絵を描くのは、またもう少しあとでね。」

水穂さんが言った。武史くんは、そうだねと小さい声で言った。

一方、ジャックさんは、学校の先生から言われた事を頭の中で何度も復唱しながら、製鉄所に向かっていた。まあ確かに、武史くんが描く絵は、たしかに岡本太郎のような絵であることは疑いなかった。そのせいで、学校の授業を妨害しているということもなんとなく理解できたけど、学校の先生の言う、武史くんのためではなくて、学校の先生が、学校のメンツのために武史くんに絵を描くことをやめさせるというのは、ちょっと納得ができないのだった。なんで学校の先生のために、武史くんに絵を描かせるのをやめさせなければいけないのか。それがどうしても理解できない。あーあ、どうしたらいいんだろう。なんてジャックさんは、ぼんやり考えながら、製鉄所の前で車を止めた。そして、製鉄所の玄関を叩いて、

「こんにちは。武史を迎えに参りました。」

と、言った。それに気がついたジョチさんが、

「ああ武史くんを迎えに来たんですね、意外に早かったじゃないですか。ということは、学校の先生のお説教は、さほど、うるさくなかったということですかね?」

そう言って、ジャックさんを製鉄所に招き入れた。

「ええ。まあお説教は短時間で終わりましたが、全く何を言っているのかさっぱりわかりません。学校の先生は、武史があの様な絵を描くので心配だと言うのではなくて、学校のイメージが悪くなるから、それで武史に絵を描くのをやめさせろというのです。」

ジャックさんは困った顔をしてジョチさんに言った。

「まあ、たしかにそうなんですけどね。日本はどうしても世間体とか、そういう事を優先してしまうので、そうなってしまうのでしょうが、イギリスではその様なことはまずなかったんでしょうね。日本の教育の不味さというのはそこにあるんでしょうが、まあ、郷に入っては合に従えです。それを受け入れるのも、大人の勤めということではないですかね?」

と、ジョチさんは言った。

「そうですねえ。日本はそういうところが、よくわからないところだけど、それもそうなのか、、、。」

ジャックさんは、考え込むような感じになって、

「それでは、そうしなければ行けないと言うことですかねえ、、、。」

と、考え込むような感じで言った。

「まあそれも大人になるということでもあるんですかねえ、、、。」

「答えは意外に簡単なのかもしれないですよ。」

と、ジョチさんは、にこやかに笑った。それと同時に武史くんが、水穂さんのピアノにあわせて歌っているのが聞こえて来た。歌っているのは、女性の声も聞こえる。歌の歌詞は、何を言っているのか分からなかったが、多分イタリア歌曲とかそういうものを歌っているのだろうなとジャックさんは思った。武史くんは、流行歌とか、そういうものを、好まないのだ。

「子供はいつまでもそのままでいてほしいけど、大人は変わらなくちゃいけないんですね。」

ジャックさんはそう小さい声で言った。



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危ない学部 増田朋美 @masubuchi4996

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