第2話 ハンザ
2 ハンザ
マルフ村に住み着いて25年。66歳のルフトハンザ・グランウルフは、いつものように村の北側に広がる森を巡回していた。ある程度奥まで踏み入り、危険な魔物が村を襲わないよう間引きするのだ。
それはこの25年間、ほぼ毎日行っている日課であった。しかし、その日は森で聞こえる筈のない音を耳にした。
「おぎゃぁぁあ、ほぎゃぁぁあああー!」
火のついたような赤ん坊の泣き声。ハンザは警戒しながら音のする方へ進む。魔物が泣き声を真似ている可能性もある。しばらく進んですぐに音の発生源を見つけた。それは本物の赤ん坊だった。樹にもたれて意識を失った女性に抱かれている。
「こんな森に赤ん坊? と、これはいかん!」
すぐに女性が大怪我を負っている事に気付いた。赤ん坊の容姿は気になるが、女性の救命が先だ。不得手な治癒魔法を施し、破れた服の隙間を覗いて出血が止まった事を確認する。意識はまだないが、胸がゆっくりと上下している。
驚くべき事に、赤ん坊はハンザの邪魔をしないようピタリと泣き止んでいた。
「出血は止まったが危険だな。坊主、お前の母さんを村に連れて行くぞ? 助けられるか分からんが、出来るだけの事はする」
ハンザは女性を抱き上げた。意識がないのに、女性の腕はしっかりと赤ん坊を抱いている。そこでハンザはまじまじと赤ん坊を見た。
新雪のように真っ白な髪は魔族の特徴である。しかし、瞳は金色で頭部に角もない。この子が魔族なら、瞳は銀色で角がある筈。
母親と思われる女性はどうみても人間。つまりこの子は……人間と魔族の混血か。
この赤ん坊の将来を思うと胸が痛んだ。人間と魔族はお互いを忌み嫌っている。そして混血は、そのどちらにも居場所がないと言われているのだ。
生まれて来た子には罪はないと言うのに。
この子の為にも、せめてこの母親の命を救わなければ。村に戻ればポーションがある。昔の仲間がハンザを心配して定期的に送ってくれているものだ。元大聖女が作るポーションだからきっと役に立つだろう。
ハンザは女性をなるべく揺らさないよう、赤ん坊を落とさないよう気を付けながら、出来る限り足を速めた。
村の外れに建つ小さな家。ハンザがこの村に住み着いてからずっと使っている家である。そこに一つしかないベッドに女性を寝かせた。ポーションを飲ませるのは難儀したが、おかげで青白かった頬に赤みが差している。なんとか間に合ったようだ。
椅子の上に布を分厚く敷いて、そこに赤ん坊を寝かせている。森で大きな泣き声を聞いて以来、この子は全く声を出していない。
しかし、この年まで独身のハンザだって知っている。赤ん坊は腹を空かせたら泣く。そして母親はとても乳を与えられるような状態ではない。
幸いな事に、村には2人ほど乳飲み子が居て、その母親に頼めば乳母を引き受けてくれるだろう……この子の髪が魔族のように真っ白じゃなければ。
(確かこの辺に入れておいたと思うんだが――)
ハンザは物置の道具箱を漁っていた。そこには、鉈や鋸、鎌といった日常で使う道具と一緒に、様々な魔法具が無造作に突っ込まれていた。状態異常軽減のネックレス、腕力が少し向上する腕輪、俊敏さを僅かに上げるアンクレット……そして「偽装の腕輪」も。
先々代の「勇者」だったルフトハンザ・グランウルフは、任務を遂行する上で役に立つ魔法具を国から下賜されたり、遺跡やダンジョンで自ら発見したりしていた。優れた魔法具の殆どは勇者引退と同時に国に納めたが、効果がイマイチだったり、よく分からなかったりするものは手元に残っていた。
偽装の腕輪――髪色を変えるだけというあまり役に立ちそうにない魔法具だったが、あの赤ん坊にとってはお宝と言えるのではないか。ただ、装着者の魔力をかなり使うから赤ん坊に着けて効果を発揮するか分からない。
ハンザは埃を被った腕輪を丁寧に布で拭き、赤ん坊の腕に通した。大人なら手首に丁度嵌る大きさだが、赤ん坊には大き過ぎる。だがそこは魔法具、丁度良い大きさに縮んだ。くすんだ銀色のブレスレットに見える。赤ん坊が着けているのは違和感が大きいが。
腕輪を着け終わったとき、パチリと目を開けた赤ん坊と目が合った。泣かれるか、と身構える。ハンザは自慢ではないが強面である。決して子供受けのよい顔ではない。
だが赤ん坊は泣かなかった。身を捩って周囲を確認しようとしている。母親を探しているのだろうか?
「ほら、お前の母さんはそこだ。安心しろ、死ぬような事はない。今は眠っているだけだ」
ハンザは赤ん坊を抱き上げて女性を見えるようにしてあげた。赤ん坊は母親の方に手を伸ばしたが、ハンザの言葉を理解したかのように手を引っ込めた。その様子を見ていたハンザはある事に気付いた。
「おっ! 髪の色が変わってるな! お前の母さんと同じ色だぞ!」
偽装の腕輪ってこんなに自然に髪色が変わったか……? しかもハンザが気付かないくらい素早く。そして、腕輪の効果が発揮されたという事は、この子の魔力が使われているという事だ。まだ生後2ヵ月くらいに見えるのに、魔力の放出が出来るなんて。混血だからだろうか?
いや、今は当面の問題が解決した事を喜ぼう。ハンザは赤ん坊の為に乳を分けてくれるよう、乳飲み子が居る家に向かうのだった。
翌朝、母親が目を覚ました。
「クリネアロ!」
突然の大きな声に、赤ん坊を抱いてあやしていたハンザがビクッとなった。慌てて母親の下に赤ん坊を連れて行く。
「ほら、息子はちゃんとここにいるぞ?」
「ああ……クリネアロ……」
ベッドの上で半身を起こした母親に赤ん坊をそっと渡すと、母親は目に涙を浮かべながら頬ずりした。赤ん坊は「きゃっ! きゃっ!」と嬉しそうに声を上げる。
ハンザはベッドの近くに椅子を引き寄せ、昨日森で見付けてからのことを話して聞かせた。
「私達を助けて下さって本当にありがとうございます」
「礼なら息子に言うといい。大声で泣き叫んでたから気付けた。ここに来てからは全然泣かないんだが……賢い子だな」
シャルロットと名乗った母親は、息子の髪を優しく撫でている。腕輪の効果で髪色が変わっている事も説明済みだ。
「それで……あんた達はこれからどうする?」
シャルロットはしばらく逡巡し、意を決したように話し始める。
「あなた様を先々代の勇者と見込んでお話いたします」
ハンザはシャルロットの言葉に驚く。自分が先々代の勇者だったことは告げていない。
「私の名は、シャルロット・テイドン・リューエル。リューエル王国の第三王女です」
やはりそうか。ハンサは納得がいった。ベッドの上だと言うのにピンと伸びた背筋、上品な言葉遣い、美しく整った顔立ち。ハンザ自身は会った事はないが、噂で1年半前に行方不明になった王女の話は聞いている。だからもしかしたら、と思っていたのだ。
そしてシャルロットは語ってくれた。
1年半前、婚約した王子の居る隣国へと向かう途中、魔族の襲撃に遭った。40人居た護衛の騎士達は全滅したらしい。シャルロットは殺されず、魔族領に連れて行かれた。
「魔族領では、人間の女性を、その……性奴隷にしているようなのです」
胸糞悪い話だった。見目麗しいシャルロットは高位の魔族に献上される事になり、別の場所へと移動する。最終的に行き着いた先は「魔王」の城だった。そこで魔王から凌辱を受け、クリアネロを身籠ったのだと語った。
妊娠したシャルロットは魔王から遠ざけられた。恐らく魔王の目の届かぬ場所で処刑する為に。ただ、生まれて来る子は魔王の血を引いている。魔族の血が濃ければそのまま生かし、王族として迎えられる可能性もあったようだ。
「クリネアロは、見ての通り髪の毛以外は人間そのものでした」
シャルロットにとっては憎き魔王の子であるが、魔王から離れてみると自分の子が堪らなく愛おしかったらしい。母子ともども甘んじて処刑されるなど到底耐えられなかった。
魔族の中にもシャルロットとその子供に同情的な者が居て、脱走を手助けしてくれた。クリネアロが人間の血を濃く引き継いでいる事がバレる前に、魔族領を脱出するべく逃げ出したのだった。
「私は王族ですから、本来なら国の為にも王都へ戻り、無事を報告するべきでしょう。しかし、クリネアロは婚外子であるばかりか混血です。秘密裡に殺される可能性が高いと思います」
「……まぁそうなるだろうなあ」
「ですから、この村に住まわせていただく訳にはまいりませんでしょうか!?」
王族であるシャルロットは、国を守る勇者についても学んでいた。それでハンザ――ルフトハンザ・グランウルフの事も知っていたのである。
「うーん……分かった、何とかしよう。まずは名前から。シャルロットは『シャル』、クリネアロは『アロ』でいいか?」
「はい」
「森で行き倒れてたあんた達を助けた俺が、行きがかり上そのまま面倒を見る。ここじゃ狭いから、もう少し広い家に引っ越せるよう村長と話をつけて来るわ」
そう言って、ハンザは家から出て行った。シャル――シャルロットの腕の中で、アロ――クリネアロが長い会話の間一言も発さず、じっと耳を傾けていたことには、ハンザもシャルも気付いていなかった。
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