第12話 恐るべき呪い

 目覚めるとベッドの上には私しかいない。

 することをしたらもう用はないということか。そう思って確認するが、着衣は乱れていないし、体に違和感もなかった。

 予想外の事態に、ありもしない記憶を探ろうとする。


 すると、どこに消えたのかと思っていたレッドが顔を覗かせた。

「おや、お寝坊さんもやっとお目覚めか。とっくに日が昇ってるよ。まあ、昨日はいろいろあって疲れたんだろうね」

 ああ、朝日が昇るのなんて、長い間見たことがない。

 今日は寝過ごしてしまったが、明日からはその気になれば、体一杯に日の光を浴びて目覚めることもできる。

 そんな当たり前のことができるようになったのだなあ。


 おっと、感慨に耽っている場合じゃなかった。

 ゆったりとした夜着から執務用の平服に着替えたレッドはすっかり王様の威厳を帯びた態度で私を見下ろしている。

 雰囲気は変わっても、秀麗な眉目だけは相変わらずだった。

 そのご尊顔の乗った首を傾ける。


「私のことを睨んでどうした? ああ、先に起き出したのが気にいらないんだね。朝食を食べ損ねたと思っているなら心配ない。すぐに準備させよう」

 私の口から思わずくそでかい溜息が出た。

「そうじゃない。なんで昨夜は何もしなかった?」

「何もってゲームはしたじゃないか」

 レッドはにこやかに笑うが、すぐに表情を改める。


「いや、すまない。ここはそういう答えをすべき場面じゃないな。聞きたいのは、私が君に……君と愛を交わさなかった理由だろう?」

 もっとストレートな言い方もあるけど、まあ、わざわざ言い直すこともないか。

 頷いてみせると、レッドは困った顔になった。

「それはない」

 真面目な顔できっぱりさっぱりと言い切る。

「まあ、それはお前の自由だけど、そこまではっきり言われると僕もちょっとは傷つくぞ」

「怒ってるのかい?」

「怒ってなんかいない」

 まるでガキの喧嘩だ。


 そりゃ、わざわざ風呂に入れて、治癒魔法まで使って肌を綺麗にして、上等な飯食わせてもらえば、何かあるんじゃないかって思うだろ。

 まあ、それもありかな、ぐらいには考えていた乙女心を察しろこの野郎。

 レッドの顔が歪む。

「君は私の心を奮い立たせてくれた勝利の女神だ。私が君に対してそういうことをするのは恐れ多いというものだろう。ああ、そうだ、朝食がまだだったね。すぐに用意させよう」

 最後は答えをはぐらかされた。


 レッドが両手を打ち鳴らすと、程なく脚付きの台に載せて食事が運ばれてくる。

 給仕は無言でベッドの上に台を置いた。

 台を傾けないように少し離れた場所に腰掛けると、レッドは朝食を食べるように勧めてくる。

「さあ、冷めないうちに。私は先ほど報告を受けながら食べたので遠慮なく」


 台の上ではスクランブルした卵が中央で存在を主張していた。

 レッドは私の視線に気付いたのか、朗らかに言う。

「産みたての卵だよ。中にチーズが忍ばせてある」

 なんで陣中にも関わらず新鮮な卵が手に入るのか、色々言いたかったが、食い気に負けた。

 卵も美味いし、カリカリのベーコンは必要以上に脂っぽくないし、パンにはキイチゴのジャムと煮詰めたクリームが塗ってある。

 浅ましいが無言で食べた。


 その間、レッドは他愛もない話をしている。

 仕事をしながら食事をするほど忙しいのに、こんなところでおしゃべりしている余裕はあるのか?

 まあ、一人で食事するのも味気ないのでありがたくはあるのだけど。


 概ね食事が終わったところで、レッドが咳ばらいをする。

「ええと。ニア。君が昨夜食事中に依頼してきたことだが、悪いが協力はできない。私が調べたところ、君はまだ面倒な連中に狙われている。君のことだから、大人しく隠棲するつもりは無いんだろう? きっと三年前のことを調べようとするに違いない。ただ、そういう行動は敵のリアクションを呼びかねない。私は友達を無駄死にさせることはできないよ」


「僕を救ってくれたことは感謝している。だけど、それ以上は余計なお世話だ。自分の人生は自分で決める」

 固い声で告げるとレッドは首を横に振った。

「君一人の人生ならね。私としては承服しかねるが無理強いはできないだろう。だけど、君が敵の手に落ちるということは、世界の破滅につながりかねない」


 思いっきり笑い飛ばしてやろうと思ったが、レッドの顔は真剣そのもので、深い憂慮をたたえている。

「本当は君に話すべきじゃないと思う。だけど、私の提案を聞いてもらうためには、この場合、真実を話すしかない。そうでもしなければ、君は何とかして、私の手元から逃げ出して、自由を得ようとするだろうから」


「話がくどいな。さっさと聞かせてくれないか。僕の身にまつわる秘密を教えてくれるということは、僕の敵も分かるということだろう?」

「そうだな。では、聞いてくれ。君の体内には、遠い昔にヴォーダン神が打倒した邪神ダ・ジャバールの骨の一部が入っている。高位の聖職者なら信じる神様の魂を降臨させることができるのだが、君もそういう意味では同じ資格があるんだよ。邪神ダ・ジャバール限定だけどね。しかも、より確実にだ。だから、ダ・ジャバールの信徒は君を血眼になって探している。これで分かってくれたかい?」

 いや、信じろと言われてもねえ。そう簡単にはね。

 とはいうものの、レッドは真面目な顔を崩さない。


 本日二度目の深いため息が出た。

「コンスタブル王国って基本的にヴォーダン様を信仰しているんだよな。ほぼ、国教って感じで」

「まあ、そうだね」

「私がダ・ジャバールを降臨させることができる器ってバレたら火あぶりになるんじゃないのか?」


「そんなことは私がさせない」

 レッドは力強くそんなことを言う。

 また、無意識に勘違いされるようなことを言う男め。

「私に生ある限り、そんな無法は許さない。だが、むやみに秘密が露見する行動をとることはないだろう。だから、悪いが、君には僕の友人のキャズとして生きてもらう。すまない」

 レッドは頭を下げた。


 そりゃ、私に手を出さないわけだ。

 体内に邪神の一部を宿している女と情を交わしたなんてバレたら、下手すりゃ王位を追われてもおかしくない。

 昨夜の私の心配は的外れもいいところというわけだ。

 口から力ない笑いが漏れる。


 レッドは私の手を握った。

「今すぐは何もできない。だが、いずれ、君のその呪いは解いてみせる。だから、それまでは私を信じてくれ」

 私はレッドの手を振りほどいて押し返す。

「ばーか。僕なんかに触れるんじゃないよ。王様の地位が危なくなるぜ。君の言うとおり大人しくしているよ。だから、しばらく一人にさせてくれ」

 レッドはもう一度伸ばしかけた手を止めると、静かに部屋を出て行った。

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