第8話 最高の沐浴

 丁寧だが断固とした態度で城壁の外に運び出された私は、天幕の一つに入れられる。

 私を横抱きにして運んできた女騎士は、きびきびと説明をした。

「まず、この甕にはお湯が入っています」

 指さす甕は私を三人ぐらい漬け込んでおけそうなほど大きい。


「こちらにあるのは香油いりの石鹸、泡立てるための海綿はここに、この馬毛のブラシも使ってください。洗い過ぎて皮膚がヒリヒリするようになってもご心配いりません。先ほど治療した神官が控えておりますので、こちらのベルを振ってください。入浴が終わったときも、ベルを鳴らせば、この後のご案内をいたします。体を洗うのにお手伝いが必要ですか?」


 私は頭を横に振った。

「いえ、結構です」

 この体を他人に見られるのもきついし、まさかとは思うがこの立派な騎士に下働きのような真似はさせられない。


「そうですか。必要になればいつでもお声がけください。私は外で見張っていますのでご安心を。入ってこようとするものは阻止しますから」

「レッドでも?」

 困らせるつもりで聞くと即答した。

「陛下でもです。私は単に体を清めるだけでなく、キャズ殿が心安らぐひと時となることを望んでいます」


 女戦士が額に手を添えて敬意を示し出て行こうとするので呼び止める。

「僕の名は……まあ、キャズってことにまだしておいた方がいいのかな。名前を聞いてもいいかい?」

「シルフィーユです。では、ごゆっくり」


 出ていくかと思ったが、にこりと笑った。

「そうだ。お伝えするのを忘れてました。天幕の設営は念入りに行っていますので、専用の器具なしには天幕を張っている綱を固定している杭は外れません。幕自体も頑丈なので普通の刃物は通しませんのでご安心を。それと全方位に私の部下が警護しています」


 それから背を見せて、出ていった。

 くそー。こっそり逃げ出そうとしても無駄だと念を押していったわけか。

 私は、私のために用意されたものを眺める。

 わざわざ、沐浴用の道具をコンスタブル王国から運んできたってわけね。


 この三年間、夢にまでみたものがそこにあった。

 全身にべったりと張り付いた垢、痒くてたまらない頭皮が私に主張をしてくる。

 ネズミの巣を出て他の町に行ったら、全身をきれいに洗うつもりだった。

 もう我慢できない。


 私は服を脱ぎ捨てる。

 隙間のあいた木の板の上に立ち甕から手桶にお湯をすくうと湯加減をみた。ちょっと熱めだがそれがいい。

 頭からお湯を浴びる。


 絡み合ってくっついた髪の毛に指が通らなかった。

 石鹸を泡立てるとそれを使って頭を洗う。お湯をかけて流した。

 それを繰り返すうちに地肌に指が到達する。

 顔も洗った。


 それから石鹸とブラシを使って上から下へと垢を落していく。

 垢をまとめたらもう一人私が作れそうなほど落ちた。もう一人は言い過ぎか。赤ん坊ぐらいかも。

 我ながら汚すぎて泣きたくなる。


 次いで、甕の横の栓をひねって、ちょうど私サイズの浅い湯船にお湯を移した。

 頭のところには木の枕があって、横臥できるようになっている。

 少しぬるくなったお湯に全身を浸からせた。

 天国のような心地よさに思わずウトウトする。


 はっと目を覚まして身構えた。

 この三年間安眠できたことはない。その疲れが出たのだろうけど、油断し過ぎだ。

 布一枚身に帯びておらず、守るものといえばナイフが一本しかない。

 まあ、こんな酷い体なら誰も変な気は起こさないか。

 私はほろ苦い笑みを浮かべた。


 私の体には無数の湿疹、虫刺されの跡、疥癬ができている。

 手桶に貯めた水に映してみた感じでは、顔も同様だった。

 そこそこ整った顔だったはずだが、それらのものがすべてを台無しにしている。

 思わずため息がもれた。

 最初から無いものはあきらめがつくが、失ってしまったためなのか余計に惜しまれる。


 まあ、これで邪な視線を向けてくるものが減っていいかもしれない。

 レッドがどういうつもりなのか分からないが、少年という偽装が剥げた以上は、今まで以上に気を付けなくてはならなかった。

 湯船から出て、もう一度、頭から何度もお湯を浴びる。

 ああ、さっぱり。


 衣装掛けにあったガウンの袖に手を通す。生地が起毛してあって体に残る水分を速やかに吸い取ってくれた。

 布で髪を拭き櫛を入れる。短くしていた髪はまとまらないがそれは仕方ない。

 ついでだから爪の手入れもしちゃおう。鋏で切ってやすりで形を整えた。

 ベルを鳴らすと、人の好さそうな中年の女性がやってくる。先ほど呪文を唱えて手の治療をしてくれた神官だった。


「すっかり汚れを落とされたようですね。それでは仕上げとまいりましょう」

 私の顔に手を添えると短く呪文を唱える。

 手鏡を渡されて見るように促された。

 すごい。酷かった湿疹が綺麗に消えている。

 次いで、頭皮も同様に処置され、首筋の虫刺され跡も綺麗に消した。

 

「ガウンを脱がしますね」

 断る間もなく脱がされる。

 次から次へと治癒魔法で皮膚を治していった。中には普通は同性でも見られるのがためらわれる部分もあったが、治療に専念する女性の態度に文句はつけられない。

 平常心でがまんがまん。

 最後に全身の解毒と浄化の魔法までかけてもらった。


 浄化の魔法を唱え終わった神官は首を傾げる。

「これは……」

「どうかしましたか」

「いえ。これですべて終了です。お疲れさまでした」


 神官は両手を叩く。

 天幕の入口から誰かが入ってくるので慌ててローブを衣装掛けからひっつかみ前に当てた。

 入ってきてのはシルフィーユさんだった。手に真新しい衣装などを持っている。


 繊維の隙間にダニや虱のいない清潔な衣装を身に着けた。

 全体的には小姓といった感じである。一応まだ男装をさせられるらしい。

 守り刀を手にしようとすると思わぬ素早さで神官に奪われた。

「革の間に潜むダニもいるわ。折角きれいにしたのよ。また噛まれたくはないでしょ?」


 危ない、危ない。折角の新しい衣装に移住されるところだったかもしれない。

「ありがとうございます」

 でもなあ、これで身を守るものが無くなっちゃったんだけど。

 シルフィーユさんが会話に入ってくる。

「では、陛下のところへご案内しましょう。こちらへ」

 さてさて、これだけ手間暇をかけて綺麗にしたのは、にえとして祭壇に奉げらるためでなければいいのだけれど。

 そう思いながら、とりあえず、大人しくついていくことにした。

 

 

 

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