第6話 ドブネズミの反乱
多少は親しくなったとはいえ、私はレッドがどこの誰なのか知らない。
恐らく名前も本名ではないだろう。
コンスタブル王国の貴族か裕福な商人の子供ではないかと思っているが、想像の域を出ていなかった。
キャプテン・ウォードならもう少し情報を知っているかもしれないが、私に明かしてくれるはずもない。
何が尊き者の名誉だよ。
レッドが必ず恩返しすると言っていたが、実現の可能性は限りなく低そうだった。
まあ、はなから期待はしていない。
それは想定内なので構わないが、困ったのは報酬のうちの私の取り分をキャプテン・ウォードが渡してくれないことだった。
ネズミの巣への入口のある建物の近くにある秘密の部屋で、金を渡すように話を持ち掛けると明確に拒否される。
「ウォード。どういうこと? それは僕の取り分でしょ?」
「キャズ。ワシはあんたを預かるように命じられている。少しでも安全を図るために無い知恵も絞ったし、色々と気をかけてきた。確かにネズミの巣での生活があんたに過酷なのは分かる。しかし、ある意味で一番危険が無い。あんた、もう忘れたわけじゃなかろう?」
私の実家メイワルト家はルフト同盟にあった。
そこでは大商人が合議制で国を動かしている。私の父は末席とはいえ、その会議に席を得ていた。
あの日、館が襲撃を受けるまでは。
館に侵入した者たちは口々に叫んでいた。
「十歳を少し過ぎた娘を探せ。名前はニア。髪の毛は赤みがかったブロンドだ」
父は震える私を見知らぬ男に預けて落ちのびさせる。そして、はるばる自由都市アヴァロニアに送り届けた。
私は道中、髪の毛を切られ、男のような格好をさられせ、それ以来一度も水浴びをすることはおろか顔を洗ったこともない。
熱っぽい目をした男は私をキャプテン・ウォードに預けると毒を飲んで死ぬ。
最後の言葉は『これで秘密は守られる』だった。
確かにネズミの巣は人を隠すには完璧な場所だと思う。
誰もこんなところを探すはずもなかった。
三年前に消息を絶ち行方不明になったニア・メイワルトがこんな過酷な環境で生き延びていると誰が思うだろうか。住民には悪いがここは人が住む環境じゃない。
「キャズ。ここから出てどこへ行こうというのだ?」
「どこでもいいじゃない。ここ以外のどこかだったらどこでもいい。もう、うんざりなんだ」
「そして、素顔を晒して誰かの疑念をかきたてるのか?」
「ねえ。僕ってなんなのさ? それほどの重要人物かい? ただのガキだよ。三年も経ったのにまだ探すなんてそれほどの価値は……」
「ありますよ。あなたの家を襲った連中にとってはね」
「だから、僕は何者なんだ? そして、いつまでこの生活を続ければいい?」
キャプテン・ウォードは困った顔をする。
「それはワシも知らんのです。だから、あんたの秘密を明かす心配もない。ワシは過去の恩義がある人にあんたを匿って庇護するように頼まれただけだ。そりゃ、あんたには辛いだろう。しかし、あんたの敵は強大な力を持っているんだ。見つからないように隠れているのが一番だよ」
「でも、ここにはノールがいるんだよ。知ってるんだろ? 僕のケツにいつも熱い視線を送ってるのは。それだけじゃない。あいつ、すごい野心家だよ。ウォードだって気を付けないといつ寝首かかれるか分からないぜ」
「忠告どうも。それはそれとして、金貨は一度には渡せないですな」
交渉は決裂した。
私の取り分は渡すが、一回あたり銅貨1枚が限度だと条件を付けられる。夢見亭でまともな食事が一食分出てくる金額でしかない。
使わずに貯めておこうにもウォードと違って金庫なんてものを持っているわけでもない私に安全に保管しておける場所などなかった。
光明が見えたというのに全く役に立たない。
ウォードは、女であることが露見するのを恐れて日々過ごすのがどれだけ大変かという私の恐怖を全く分かっていなかった。
今まで私が無事なのはウォードが目を光らせているということもあるが、襲う価値がないからに過ぎない。
一時の快楽のために規律を破るのはノールだけじゃないのだ。
栄養状態が悪いせいで発育が悪く、だぼっとした服を着ているせいで今はごまかせているが、もうすぐ私も十六になる。
遅れに遅れまくっている月のものが来るようになれば、女ということが即バレするだろう。
ネズミの巣にいる正確な人数は分からない。まあ、少なくとも自力で動けるのが百人はいるはずだ。
男と偽って生きてきたから、あの連中の猥談を聞いたこともある。
私の正体がバレたら、どんな目に合うかは容易に想像できた。
女に飢えた連中に手荒に扱われた挙句、間違いなく死ぬだろう。
そんなわけにはいかない。
私は三年前の事件の真相を探り、犯人に復讐するのだから。
取り分が一括で手に入らない以上、私は以前の生活に戻るしかなかった。
蓄えがあると思うと以前より勤勉に稼ぎに行かなくなったのは、誰にも責められないはずだ。
一旦見えた希望の光が消えたショックは大きい。
何か町全体が妙にざわめいていたある日、久しぶりに路上でのスリに出て、ネズミの巣に戻ってきた私は、気が付くとノールとその同調者に前後を囲まれていた。
ノールの片手にはキャプテン・ウォードの生首がぶら下がっている。もう血は垂れていなかった。だから警告したのに。
「今日からは私がキャプテン・ノールだ」
気取った仕草でノールは髪の毛をかきあげる。
「これからは私の指示に従ってもらうよ。ここではそういうルールだからね」
「ああ。稼ぎを一旦全部渡せってことだろ」
その返事を半ば予想しながら投げやりに言った。
「いや、これからは稼ぎは全部、キャズ、君のものだ。私が欲しいのはね。キャズ、君だよ。可愛い子ちゃん」
ノールは嫌らしい笑みを浮かべている。
くそったれ。
どうも人生最悪の日がやってきたようだった。
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