第4話 呪歌とハンモック

 ギルの本名はギルクリスト。へぼ吟遊詩人だが、呪歌が歌える。

 呪歌というのは歌うことによって効果を発揮する魔法の一種だ。

 魔法士が使う一般的なものに比べれば、発動に時間がかかるし、効力は低めなうえに、習得には天賦の才が必要とあり、あまり、目にする機会はない。


 それでも一つだけ特長があった。

 通常は神官にしか行使できない傷を治す魔法に似た『癒しの歌』が使えることである。

 小指の長さほどの細い蝋燭が燃える時間歌い続けて、掌をざっくりと切った傷が消える程度のささやかなものだが、奇跡は奇跡だった。

 あらゆる神々から見放されたネズミの巣の住民にとっては、貴重な治療手段である。

 

 呪歌の使い手のギルは結構な歳の爺さんだ。

 若い頃は色々と派手にやらかしていたらしいが、今では年老いてほとんど寝て過ごしている。普通に声をかけても目を覚まさない。

 起こすには音階のズレている楽器の音を聞かせる必要があった。


 いくつか歯の抜けた口を開けてギルは苦情を言う。

「その楽器は本当に酷い音色だね。ああ、嫌だ、嫌だ」

 私はそれに取り合わない。

「ギル。彼の掌を治してくれないか?」


 レッドの顔を見たギルはフヒヒと笑う。

「おや、ずいぶんと綺麗な顔の子だ。キャズ、お前さんのいい人かね?」

「余計な台詞はいらないよ。これはキャプテン・ウォードの命令だ」

「はいはい。本当に人使いが荒いボスだよ」


 ギルはぶつくさと言いながら、壁にかかっている自分のリュートを手にした。

 私はレッドをギルの方へ押しやる。

「それじゃあ、歌が終わるまでじっとしているんだぜ。それじゃ、頑張れよ」

 レッドは表情こそ変えないが、目の中に疑念の色が浮かんだ。


 私は壁沿いを走って三十歩ほど離れる。

 ちょうどギルがリュートをつま弾いて歌いだしたところだった。

 私は耳を塞ぐ。

 その直前に聞こえてきたギルの声は心をざわざわとさせた。


 ギルは年の割には豊かな声量を誇っている。

 吟遊詩人としては一般的にはいいことだろう。ただし、ギルは酷い音痴だった。

 聞いているだけで頭痛がしてくる。

 呪歌は音痴かどうかに関わらず、効果は発揮した。

 その条件は歌が聞こえること。そして、影響を与える対象を限定できない。


 私にも小さな傷はあるが、ギルの声を聞いてまで治そうとは思わなかった。

 ギルが口を開け閉めする様を眺める。

 耳が腐りそうになる酷い歌を我慢してでも、治したい傷や病気を持つ者が顔をしかめ苦しそうにしながらギルを取り囲んでいた。


 レッドの様子を窺うとこちらからは顔は見えないが、置いてきたそのままにじっと立っている。凄い忍耐力だった。

 しゃがみ込んで暇つぶしに夢想をする。

 妄想の中で、私は凶悪なモンスターに奉げられた人身御供だった。もう何年も着ていないピラピラのついた可愛いドレスを身に着けている。

 そこへ颯爽と白馬に乗ってレッドがやってくると、モンスターを退治して私の鎖を解くと横抱きにし、熱い求愛の言葉を述べるのだった。


 現実に戻り足元を見ると多足の毒虫が這っている。

 この落差は酷い。

 私は叫び声をあげることなく、ブーツで踏みつぶした。

 まあ、こんなごみ溜めに住む私がお姫様を夢想するなんて笑いごとだ。


 しょうもない空想だったが暇つぶしにはなった。

 ギルの口がもう歌っていないのを確認すると両手を耳から放す。

 強く押し当て過ぎていたせいか、耳周辺がじんじんとした。

 レッドの元へと駆け戻る。


 冷静な男は相変わらず表情を変えずに佇んでいた。

「傷は治ったかい?」

 両手を私の方へ向けてみせる。すっかり塞がっていた。

「キャズ、ありがとう」

 

 誰が言った言葉なのか最初は分からなかった。

 ようやくレッドが発したことを理解して驚く。

 首のところから服の中に指を突っ込んで鎖骨のあたりの湿疹を掻いた。クソ痒い。

「礼だったら僕じゃなくて、ギルに言えよ。まあ、もう寝ちゃっているけど」


 歌い終わったギルはもう頭を垂れて眠っている。

 呪歌を歌い終わるといつもそうだ。

 ギルの手からリュートを取り上げると壁の所定の位置に吊るす。

 代わりに音階の狂った黒いリュートを手にした。


 キャプテン・ウォードに返すために歩き出した私にレッドはついてくる。

「歌だけじゃなくて、騒ぎを起こして助けてくれたこと、この場所に連れて来てくれたこと諸々すべてへのお礼のつもりだよ」

 私は鼻でせせら笑った。


「レッドは育ちがいいんだろうね。恩に対して礼を言う。ご立派なことさ。ここじゃ、誰もそんなことはしないよ。言葉じゃ腹は膨れないからね」

「そうか……」

「それにあんたも分かってるだろ。謝金のために受け入れられたんだって」


 ウォードのハンモックが近づいてきたので口をつぐむ。

「ボス。治療は終わりました。これお返しします」

「それじゃ、そいつが出荷されるまではお前が面倒を見るんだぞ」

「了解っす」


 まあ、悪い仕事じゃない。

 見張りという名目で、ネズミの巣でぐだぐだできる。必死になってスリをする必要もないし、巡回の兵士に金をせびられることもない。

 食事は三食レッドのご相伴ができるとか控えめに言っても最高だ。


 私の部屋にレッドを案内すると、予備のハンモックを吊るす。

「それは?」

「床で寝ようものなら、ドブネズミに生きたまま齧られるから、この上で寝るのさ。齧られたらまたギルの歌を聞く羽目になる。まあ、他にすることがないときも、ここにいた方が快適だね」


 まずは汚れたローブを脱がせ、慣れないレッドがハンモックに収まるのを手伝ってやった。

 私も自分用のハンモックに上がると注意事項を話してやる。

 外と私の空間を隔てるカーテンを指さした。

「あの向こうに出るときは常に僕と一緒にね。さもないと後悔するよ。ちなみに便所は隅にあるから部屋を出る必要はない」


 ハンモックの上で楽な姿勢を探していたレッドは私の方を見る。

「常にキャズと一緒に居ろというのはどういうことだ?」

「僕の視界から消えたら、君は早い者勝ちの獲物ということさ。報酬の一部が欲しい連中の取り合いに巻き込まれる。手加減できないのもいるからね。髪の毛や耳など体の一部を引きちぎられるのは嫌だろう?」

 少し脅したつもりだったが、表情を変えずに、レッドは分かったとだけ返事をした。

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