第3話 ネズミの巣の顔役

 ネズミの巣は、私のような行き場のない者が共同で生活をしている。

 顔役のキャプテン・ウォードが統治していた。

 私の陰の保護者であり、真の名ニアと、女性であることをネズミの巣で唯一知っている。

 また、ウォードは私のスリの技術の師匠でもあった。

 彼が居なければ、とっくの昔に私は無残な死を迎えていたに違いない。

 

 私のねぐらは最上層から一つ下がったところにあるが、そこへ、連れてきた少年を直接案内するわけにはいかなかった。

 まずはウォードに挨拶をしに行かなければならない。

 少年についてくるように手招きをすると、円形の縁に沿って歩き出した。


「僕の名前はキャズだ。これから、あんたをここのボスに紹介する」

 少年はネズミの巣の偉観に目を奪われながらも返事をする。

「レッドと呼んでくれ」

「よし。レッド。君は何者で、どうして囚われの身になっていた?」


「私の父は裕福なんだ。旅行中に気がついたら、あいつらに捕まっていた。理由は知らない」

「レッドの親父さんのところに無事に返したら、それなりに報酬は弾んでもらえるんだろうね?」


 レッドは冷たい笑みを浮かべる。

「それなりの内容によるかな。父が裕福なのは事実だが、私は愛人の子だ。大金を積んでまで取り戻したいほどの価値があるわけじゃない。まあ、骨折り賃程度は払うだろう。金貨を十枚ぐらいなら」


 思わず口笛が漏れた。

 もしレッドを送り返すことができたら、ここへ連れてきた私の取り分は三割だ。金貨三枚あれば二、三か月は遊んで暮らせる。もちろん、このネズミの巣ではなく、日の当たる場所でだ。アヴァロニアから出ていく馬車代を払っても当面の生活費に事欠かないですむ。


 そんな皮算用をすると同時に、私はレッドと自称する少年の脳内で行われた冷静な計算についても感じ取った。見目が良い少年を奴隷としてその筋に売り払っても、恐らく代金はせいぜい金貨五枚ぐらいだろう。正規ルートならもっと高いが、脛に傷がある私たちでは足元を見られてしまう。まあ、買う方も危険があるのだから、それほど阿漕な値付けではない。


 金貨十枚という金額は、手っ取り早く闇ルートで奴隷に売り払うことよりも、手間をかけてでもレッドを親元に返すことを選択させるに十分だった。

 もともと怜悧で計算高そうな印象を受けていたが、それを裏付けする発言を聞いて、私は心の中で頷く。


 当然ながら、私が純粋な善意というか単なる衝動で助けたということは、レッドには伝わっていない。報酬目当てでこのような行動に出たのだと思われているようだった。

 まあ、私自身がなんでこんなことをしでかしたのかよく分かっていない。レッドは背筋がぞくりとするほど魅力的ではあったが、一目ぼれしたというわけでもなさそうだ。


 私は三年もの間、少年として過ごしてきた。今では自分が本当に女であったのか忘れそうになる。だから恋愛感情ではないと思うが、ずっと男でいた反動がきたのかもしれない。

 そんなことを考えている間に、キャプテン・ウォードが寝そべるハンモックのところに到着した。


「キャプテン。間抜けな旅人から、かっさらってきましたよ」

 私は手短に夢見亭での顛末を話す。

 ウォードは頬髯を歪ませてニヤリと笑った。

「夢見亭のオヤジには後で詫び料を払っておかなきゃな」


 レッドに向き直ると事務的に実家の場所などを聞き出す。

「それで、おめえさんをうちで預かっているという話をする際に信用してもらう材料は何かあるか? よく考えるんだぜ。使いのもんが帰ってこなかったりすると、ちっとは待遇が悪くなるからよ」


 レッドは少しの間考えると、三つほど本人しか知りようのないエピソードを話した。

 ウォードは感心する。

「若えのに落ち着いたもんだ。よし、レッド。おめえさんは俺の客人だ。俺か、キャズの目の届く範囲にいる限りは身の安全は保障する。勝手な行動はしねえことだ。ここにはあんまり行儀のよくねえのもいるからな。細かい注意事項はキャズから聞きな」


 ウォードが私に向かって頷くので、守り刀でレッドの両手の戒めを切った。

「キャプテン。それじゃあ、ギルのところに連れていってきます」

「ああ。大事な客人の手だ。傷が残らないようにしねえとな。代わりに耳が腐るかもしれねえが、そいつは我慢してくれよ」

 ガハハと笑いながら黒いリュートを投げ渡してきた。


 すぐ近くの階段を使って第二層におりた。先ほど来た方向に少し戻るようにして歩くとすぐにギルが座り込んでいる場所につく。

 すぐ近くの管からはちょろちょろと水が出ていた。その下の桶で受けた水は別の管に消えている。


「さあ、レッド、ここの水で手を洗うんだ」

 私の指示にレッドは胡散臭そうな視線を水に向けた。私は疑念を解いてやる。

「心配しなくていい。アヴァロニアの公共水道から直接ちょろまかしている綺麗な水だよ。ほら」


 私は桶に蓋をして、管の下に顔を出して水を飲んでみせた。

 走った後の喉が潤う。

 私が場所を開けるとレッドは大人しく手を洗い始めた。少し顔をしかめているのは傷に水がしみるのだろう。


「この蓋は?」

 レッドは乾いた血や汚れなどを洗い流しつつ質問した。

「ああ。この先は下の層に繋がっているんだ。そこの住人に僕の唾液や君の血混じりの水を流すわけにはいかないだろ」


 むき出しの地面に溜まった水は緩い傾斜にそって穴の方へと流れている。先端が縁に到達すると下層へと滴り落ちた。

 レッドが手を洗い終えると蓋を元にもどして、ギルのところへ行く。

 ハンモックに座って居眠りをしているギルに向かって黒いリュートをかき鳴らした。調律が狂っている酷い音が流れ出す。

 ギルは体をぶるっと震わせて目を覚ますと、顔をしかめて文句を言った。

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