第2話 ホーム・スウィート・ホーム

「あ、ごめ~ん」

「このクソガキ。何しやがるんだ?」

「だから、ごめんって言ってんじゃん。わあ、一杯財布を持ち歩いてるんだね」

 私はわざと大きな声を出す。


 周囲の酔客の何人かの注意を引くことに成功したようだった。

 酔っぱらいたちの目がすがめられてる。

 一人が首をひねりながらポケットに手をつっこみ、椅子を蹴倒し立ち上がって激昂した。

「この野郎! そりゃ俺の財布じゃねえか。ふざけた真似しやがって」


 その声にさらに数人が反応して、騒然となり、当然の如く乱闘となった。

 私は手近なテーブルの下に避難する。

 争いが始まった際に、その当事者が隠れるのは男がすたるという連中と違って、私にはそんな意識はない。


 まあ、私がこの騒ぎの原因ではあるんだけどね。

 一杯目のエールを持って戻る途中に酔客から頂いた財布を、ひっくり返した背負い袋と一緒にぶちまけたのは私だからだ。結構な金額が入っていそうな重みがしたので非常にもったいない。

 ドガッ、ガシャンと派手な音が響き渡る。


 私は隠れていたテーブルの下から抜け出すと、四人組の座っていたテーブルの下へと四つん這いで移動した。誰かに脚を踏まれたが我慢する。

 首から紐でさげた守り刀を引き抜き少年の腰に回した綱に添えた。

 私がしていることに気がついているだろうに少年は身じろぎ一つしない。


 切れ味のいい小刀はすぐに綱を断ち切った。

 守り刀を鞘に戻すと、綱の端をテーブルの脚に結びつける。

 私は体をずらしてテーブルの下から少年を見上げた。

 冷たい視線が私を見据える。

 私は周囲の喧噪に紛れて声をかけた。


「あんた。助けてあげる、ついてきな」

 少年は私を値踏みするようにじっと見つめるだけで動かない。

 薬でも盛られているのか、と疑問に思うが、私もそれどころでは無かった。

 私は声に力を込める。

「ラストチャンスだ。あんたがどうしようと私はもう行く。必ず助かるとは言わないよ。来るか、来ないか、あんたの好きにしな」


 私は後ずさると向きを変えた。

 周囲の様子を窺う。

 まだ乱闘が続いていた。

「んなもん知らねえってんだろが」

「じゃあ、財布に足が生えて勝手に移動したってのか?」

「ふざけるんじゃねえ」

 阿鼻叫喚の渦を避けるようにぱっと駆け出す。


 後ろを振り返らずに貧民窟に向かって走った。

 逃げ足の早さには自信がある。

 テラス席から十歩も離れると、もう路地は闇に沈んだ。

 夢見亭はぎりぎりお堅い住民が住んでいるエリアに建っている。

 この路上は貧民街を仕切る顔役であるキャプテン・ウォードの勢力圏ではないが、定職のある堅気の連中は出入りしない領域だった。

 

 背後で派手にすっころぶ音がする。

「くそっ」

 小さな罵り声が響いた。

 なんだ、しゃべれるんじゃないか。

 私は急停止すると、数歩戻って少年を助け起こす。


 星明かりに透かしてみると、ローブは酷いことになっていた。

 ごみ、埃、食べカス、犬のフン。

 ちょうど良い。これから向かうところにふさわしい格好になったというものだ。

 少し血の臭いがする。

 転んだときに少年が両手を擦りむいたようだ。

 手首を縛られていて、揃えて前に手を出していたからだろう。


 神官でもない私に今すぐできることはないし治療は後だ。

 少年の腕をつかんで歩きだす。

 先ほどの悪態をついた様子からすると、口がきけないわけではないだろうに、一切無駄な質問をしてこない。

 ますます気に入った。


 しばらく歩くと足元にコツンと石が落ちる。

 私は向かって左側へ今月の合言葉を言った。

「今夜は月がきれいですね」

 まったくセンスがないと思う。

 貧民窟を仕切るキャプテン・ウォードがどんな顔をしながら作ったものだろうか、と想像した。


 数歩進むと暗がりから声がする。

「キャズ。同伴者がいるなんて珍しいな」

 昔師匠がつけてくれた私の偽名を使って見張りが呼びかけてきた。

「うるさいな。口を閉じとけよ」

 いつもの挨拶を言い捨てて、そのまま路地を進む。


 右、左、直進、右。

 似たような見かけの細い道を抜け、一つの建物に入った。

 古くて汚いが煉瓦造りのしっかりした建物である。

 入るとすぐに二階への階段があるが、それを無視して、その裏側に回った。

 暗いこともあって他の場所との区別がつかない床の一部を触る。すぐ横の壁に細い隙間ができた。


 少年を中に押し込む。

「下りるんだ」

 恐らく何も見えないだろう暗闇の中、少年が急な階段を足で探りながら下り始める気配がした。

 私も隙間に体を滑り込ませ、手探りで突起を押すと壁を元に戻す。


 急な階段を滑るように下りた。何度も通っているので真っ暗闇でも見えているのと同様の動きができる。

 トンと床に足がついた。

 すぐ近くに汚物の異臭に混じって、緊張する人が発する臭いが鼻をつく。

 クールそうだけど、少しは動揺しているのか。


 私は少年の体を手探りで避けると、奥の扉を横にスライドさせた。

 僅かな距離を進むと、いくつものランプに照らされた巨大な空間が目の前に現れる。

 前に進むとロープやハンモックが縦横無尽に渡された広いすり鉢状の穴が視界に広がった。

 直径で百歩弱、高さは通常の建物の八階分はあるだろう。

 私は振り返ると少年に向かって胸を張り両手を広げて告げた。

「ようこそ。我が家、ネズミの巣へ」

 

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