邪神の依代の私と正義の国の若き王

新巻へもん

第1話 出会いはごみ溜めで

 この町はどうしようもない。

 住民のほとんどは貧富を問わずクズばかり。もちろん、そのクズの中には私も含まれている。

「どこに目をつけてやがる。このすっとこどっこい」

 私は暮色に包まれる街路でぶつかりそうになった恰幅のよいオヤジに罵声を浴びせた。


 やに下がった顔をするオヤジは露骨に嫌そうな表情をする。

 まあ、埃塗れの小汚い服を着ている垢の浮いたガキとぶつかりそうになれば、そんな顔になるのは当たり前だ。

 これから娼館でお楽しみというのであればなおさらだろう。


「このクソガキ。浮浪罪でとっ捕まっちまえ」

 太い腕を振り回すオヤジに向かって中指を突き立てた。

 フンと鼻を鳴らして向きを変えると、歓楽街に背を向ける。

 運が悪ければ私もあの場所で今頃客を取らされていたかもしれない。

 いや、もう生きてはいないか。


 私は感傷を振り払うと狭い路地に入って懐から革の小銭入れを取り出し、中身を手に空けると路地の奥に投げ捨てた。

 小銭を自分の革袋に詰め込みポケットにしまう。この町で剥き出しの金を晒すなどという行為は襲ってくれと誘うようなものだ。


 路地を出て、夢見亭に向かう。

 歓楽街に酔客が増えるこれからの時間は稼ぎ時ではあるが、自治領府の兵士の巡回も多くなる。

 何も危険を冒すことはない。


 私のような薄汚いのを見つけると、素寒貧かどうか兵士は尋ねてくる。

 その度に少額とはいえ小銭を巻き上げられた。

 そして、一文無しの状態で巡回に当たれば、捕まって浮浪罪で町の外に放り出されることになる。

 町に入るにも手数料を取られるので、事実上二度と町に戻ることはできない。


 狼か私と同様の境遇の流民に食われて、十五年という短い人生を終えることになるはずだ。

 十分とは言えないが金は稼いだのだから撤収一択である。欲張りすぎると碌なことがない。


 夢見亭は名前からイメージされるほど素晴らしい場所ではないが、私のような者でも出入りができる。

 まあ、ちゃんとした身なりの客が入る場所とはカーテンで区切られたで、ほぼ屋外のような場所だが、一応屋根はあり、かがり火もたかれていた。


 蠅だの蚊だのが飛んでいるが、気にしていたらここでは生きてはいけない。

 ただ、まあ、食事時ぐらいは煩わされたくはないのも事実。

 私はそっと目を閉じた。

 テラス席を二匹の銀色のトンボが飛び始める。ようこそニアの食事場へ。 


 私ニアには秘密の能力がある。昆虫を召喚できるというささやかな魔法を使えた。

 ただ、呪文を唱えるわけでもないので、正確には魔法なのかも分からない。

 トンボは次々と蠅や蚊を捕食し始める。その度に体の中がちょっとだけ熱くなった。


 残りの害虫もさっさと逃げ出して、あっという間にのんびりと食事を楽しめる環境となる。トンボは私の頭の上、立った時に手を伸ばしても届かない高さをスイスイと旋回し始めた。

 さて、私も食事をしよう。それほど美味いわけではないが、辛うじてクズ肉が入っているスープに匙を突っ込み口に運んだ。


 カーテンの向こう側から吟遊詩人の歌声が聞こえる。よく通るいい声をしていたが、残念ながら顔は見えなかった。

 創造と生物の成長を司るナーダ神の定番の物語が終わる。

 次いで始まった話は昨年の出来事を題材にしたものだった。魔物の巣窟であるダンジョンに久方ぶりに出現したバラスとかいう凄い化け物を倒した冒険者がいるらしい。

 この町アヴァロニアの西方にあるルフト同盟の更にその先にあるタンダール王国での話ということにちょっとだけ興味を引かれた。


 私のささやかな夢は、この掃きだめを出て行くことだ。

 事情があってルフト同盟は移住先にはならないので、選択肢は、タンダール王国か東方のマールーン国、北東のコンスタブル王国になる。

 マールーン国は内紛が絶えず、コンスタブル王国は戒律が厳しいが、噂ではタンダール王国はいいところらしい。

 まあ、自由都市アヴァロニアを出る馬車代と当面の生活費を溜めるには、まだまだ相当かかりそうだった。

 

 吟遊詩人が来ているせいか店内は盛況らしく、賑やかな声が聞こえる。

 普段はいないような身なりの客がテラス席にも多くいた。どこの世界もそうだろうが一見さんはいい席には案内されない。

 戦士風の四人連れの男達が人目を引いた。


 私には縁の無いような料理と酒を頼んでいる。

 別にその点はどうでもいい。私が興味を持ったのは四人と一緒にいる子供だった。

 すっぽりとローブを被せられているが、その上から縄で縛られており、その先端は一人の男の腰のベルトに結び付けられている。


 たまたま私の座っている位置からはフードの下の顔が良く見えた。

 こんな掃きだめには似合わない冷たい美貌をしている。

 虜囚の身の上というのに、その目には悲しみも怒りも浮かんでいなかった。ただ、じっと正面を向いている。


 私はその目に痺れてしまった。

 女の子と見紛う顔立ちの少年にこの先待ち構えているのは、きっと碌なもんじゃない。

 私はこの美しいものが汚され壊されてしまうのはいけないことだと思った。


 しかし、少年を助けようと思っても、私はただのコソ泥にすぎない。

 四人組は全員剣を帯びていたし、それなりに強そうに見える。そのうちの一人を相手にするのであっても、私が逆立ちしたって勝てる相手ではなかった。

 それでも、なんとか助ける算段をする。


 とりあえず四人組は、このアヴァロニアの住民じゃない。その点だけは安心材料だ。

 さすがに、この先もこの町で暮らしていかなければいけない私は、無駄に敵を作っては生きていけない。


 次いで、他の客の様子も観察した。冒険者やならず者たちだが、だいぶ酔っぱらっている。これならなんとかなるかも。

 まずはトンボを空高く飛ぶよう命じてから解放する。

 次いで私は店のカウンターのところに薄いエールを買いに行った。

 夢見亭では全て先払い方式である。


 自分の席に戻りながら、立って騒ぐ幾人かのお客さんの間をすり抜けた。

 エールを飲みタイミングを計る。

 狙いは四人組のうちの一人が長椅子に置いてある背負い袋だった。

 もう一杯お替りを取りにいくように装って、ふらふらと四人組の方へと進む。

 目標の背負い袋に近づくと、何かにつまずいたふりをして、それを派手にひっくり返した。

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