第6話 いわんこっちゃないヴェロニカさん


「おはようございます、ダレンさん」

「おはよう、カエルになっていない様でよかったよ」

 とからかってやればヴェロニカさんは顔をぽっと赤くした。いかんいかん、俺はこいつの動向を探るために泳がせているんだ。煽ってどうする。

「シャワーの温度調節、うまくできなかったですかね?」

 俺が逃げ道を作ってやればヴェロニカさんは「そうなんです」と頷く。俺はシャワーの温度調整の方法を再度教えながらチラッと彼女の横顔を見た。25歳だと言い張っているがおそらくそれは嘘で20歳前後だろう。まだ幼い頬には小さなニキビができている。まだ開店前だからか化粧をしていないようで余計幼く見えた。最初は彼女の明らかに北公国出身だろうという振る舞いも手練れゆえにわざとだと思っていた。考えてみれば給仕の仕事はかなり要領よくこなしていたし、記憶力も抜群に良い。一度、肉料理を出した時のナイフ捌きを見るにナイフの扱いもある程度は心得があるようだったからウブな女を演じていると思っていたが、昨夜の彼女の反応を見るに、多分……単純に色仕掛けが死ぬほど下手なだけだと見るのが正解だろう。むしろ、彼女は男性に対しての耐性がない様にみえた。

 俺とスチュの最初の予想では、すでに北公国は何かの情報を掴んでいて大きな攻撃をする準備のために中央軍事施設前になる店にスパイを送り込んできたと予想していたが……、正直色仕掛けもできない女スパイを送り込んでくるあたり、北公国は人材不足なのか? としか思えなかった。

「えっと、もう一度押してみて」

 シャワーのスイッチに触れる彼女の手にわざと事故を装って触れてみる。

「ひゃっ」

 俺の予想通り、彼女は喉の奥から声を出すと手を引っ込めた。耳が真っ赤になり、わなわなと唇が震えている。

「おっと、ごめんよ」

 さて、これはどうしたもんか。スチュに報告するのは当然として俺の方も彼女がどういう目的で人選されてきているのかを考え直さないといけないかもしれない。

 雑魚スパイだと思って気を抜くのが一番危険だからな。気を引き締めておこう。顔を真っ赤にしたヴェロニカさんと視線が重なった。寝起きだからか金色のまつ毛は少し下を向いていて窓からさす朝日を反射してキラキラ輝いている。

「どうかしました?」

「い、いえっ」

 意地悪で見つめ続けるとヴェロニカさんはさらに顔を赤くして顔を背けた。彼女の首筋に血管が浮かぶ。心拍数が上がっているんだろうか。別に俺は彼女に色仕掛けをしているわけでもないがこの反応……。

「さて、朝の準備をしないと。ヴェロニカさんも早く準備を」

「はいっ!」



 モーニングを食べに来る軍人は少ない。というのも、夜勤明けの連中は優雅にモーニングを食べるよりもすぐにベッドに雪崩れ込みたい人が多いし、中央軍事施設に近すぎてここで朝食を取りたいと思う人はなかなか少ないのだ。

 というのを理解しているのか、スチュが変装して来店していた。

 いつもの金髪は黒い髪に変わっており、人を馬鹿にした様な表情はキリッと好青年に。目を限界まで細めて笑う癖が出ない様に気をつけて、指先までしなやかな「音楽隊の青年」になりすましている。

「コーヒーを、甘めで」

「はいよ、付け合わせは」

「ナッツのスコーン」

 ナッツのスコーンか。ぎゅうぎゅうに詰まったナッツ。俺たちの間では「行き詰まった」という合図だ。ヴェロニカの情報提供先の調査に行き詰まったというのが彼が報告したかったことだろう。

「ダレンさん聞いておくれよ」

 スチュは一方的に愚痴るように話し出す。空いているテーブル席ではヴェロニカさんがクッキーの梱包に勤しんでいた。

「うちの彼女ったらさ、毎日ちゃんとベッドで眠ってしまってま〜ったく起きる気配がないんだ。俺としてはほら、女の子の生態? とか気になるだろう? こっそり覗いたけどガチで寝ててさぁ」

 なるほど、彼女というのはヴェロニカさんのことだろう。俺が眠っている間は諜報部の人間が外で彼女の監視をしていたのだ。

「おいおい、好きにさせてやれよ」

「浮気かと思って彼女が仕事の間にこっそり調べたんだよ」

「何をだよ」

 スチュはぎゅっと眉間に皺を寄せる。すごく真剣な表情で

「彼女の荷物だよ」

 と言った。これが暗号じゃなかったらただの最低な男だな、と言いたくなるのを我慢して俺はスコーンにクリームとジャムを添える。

「で、浮気の証拠でもできてきた?」

「いいや、なーんにも」

 なるほど、ヴェロニカさんがこちらで働いている間に諜報部が2階の彼女の部屋を調べたか何もでなかったということだ。何もでないなんてことあるか? いや、そもそも道具をみつかるところに置いておくなんて馬鹿なことをしないか。ここにはナイフなんて山ほどあるし、武器を使わなくても暗殺は素手でも簡単にできる。やはり、彼女は何かを監視するためだけに配属されたのか。

「そういえば、俺が前に付き合ってた女はさ、めっちゃウブでかわいかったよ」

「ウブ? ダレンさんってそういうのが趣味?」

「いやいや、たまたまだよ。女学校の出身らしくてさ、男に耐性がない感じで手を繋ぐのもおっかなびっくりでさぁ」

「へぇ」

 スチュの瞳がギラっと光る。俺はスコーンに仕上げのシナモンを振って彼の前に出した。

「ま、すぐに別れたんだけどな。ほらよ。さっさと食いな」

 スチュは好青年らしく食前のお祈りをしてからスコーンを食い始めた。俺はパンを切ったり野菜を水にさらしたり手を動かしながらヴェロニカさんの本当の目的を考えていた。

 前提として彼女は密入国である。密入国でしかも年を逆鯖読みをしていて、まがいなりにも俺に色仕掛けを迫ってきている。一方で、夜はしっかり眠ってるし武器や魔法通信機器なども隠し持っていなかった。

「ふんふんふーん♪」

 テーブル席で鼻歌を歌いながらクッキーを包んでいるヴェロニカさんの背中をみながら彼女の目的は一体なんなのか……俺には検討もつかなかった。彼女は一体なんのためにこの国に来たんだ……? まさか、亡命目的で普通にやってきただけとかいうオチはないよな…? いや、でもそれなら俺に色仕掛けなんかせずにテキトーな男と結婚して永住権を手に入れるだろう。

「空いてるかい?」

 ドアのベルが鳴って入ってきた屈強な軍2人はみたところ陸軍の下っ端だった。こんな時間に? と思ったが、任務明けか。金髪をかなり短く切り揃えた大男2人。スチュとの暗号のやりとりをしていたのに間の悪い奴らだ。

「ヴェロニカさん、ご案内を」

 ヴェロニカさんがクッキーを急いで片付けていると、男2人はニヤニヤと彼女の尻を目で追った。そして怪しく目配せをする。

「お客様お2人ご案内です。ご注文は?」

 ニヤニヤ顔の陸軍2人はメニュー表越しにヴェロニカさんを舐めるように眺める。いわんこっちゃない。サンドイッチなんていう軽くてヘルシーなものを看板にしているからこういう下賎な連中は基本的にこの店に来ないが、「可愛くてセクシーな子がいる」とこの数日で話題になったんだろう。刺激的な制服を着て給仕する、なんてのは猿山の中で汗臭い生活を送っている陸軍の下っ端男からしたら格好のエサなのだ。

「お名前は?」

「ヴェロニカと言います」

「へぇ〜、かわいいねぇ。ビーフサンド2つ」

「お飲み物は?」

「ミルク、蜂蜜たっぷりで」

 思春期のガキのような馬鹿なエロ回答に吹き出しそうになるのを我慢しながら俺はビーフサンドの準備を始める。目の前の席に座っているスチュも気がつけば真剣な表情に変わっていた。

「ビーフサンド、ミルク蜂蜜入りを2つ」

「はいよ」

 トレーを持って、カウンター席のそばで待機をする彼女に蜂蜜入りのミルクを先に渡す。ヴェロニカさんはトレーにミルクのグラスをふたつのっけると、器用にテーブル席まで運んでいく。

「ミルク、蜂蜜入りでございます」

 彼女は一つのグラスを男の前に置き、トレイの上のもう一つを手に取った時だった。

「おっ、ありがとよっ」

 パシン、と先にミルクを受け取った男がヴェロニカさんの尻に手を当てた。当てた後、スッと滑らせる様に撫でて太ももの裏あたりで手を止めた。

「ひぃっ……」

 飛び上がったヴェロニカさんはバランスを崩し、床にへたり込んだ。お客にかけない様に手に持っていたミルクは自分の胸元にこぼして……。

「おいおい、ヴェロニカちゃん。勘弁してくれよぉ。ほら、拭いてあげよう」

 男たちは鼻の下を伸ばしたニヤニヤ顔でへたり込んだ彼女の胸元に手を伸ばす。ミルクでじっとりと濡れたシャツが胸にピッタリと張り付き、ポタポタとミルクが床に広がった。

「い、い……」

 男の無骨な手が彼女の胸に触れる前に俺が結構な力でそいつの手首を掴んだ。

「お客さん、汚れてしまいますので結構ですよ」

 さっきまでのニヤニヤ顔はどこへやら、男は俺を見ると一気に額に血管を浮かべる。平和になってから一般人を威圧する軍人が度々問題になっているがこういう輩のせいだろうな。彼の瞳はまるで「一般人が楯突くんじゃねぇ」と言わんばかりだった。

「おいおい、こっちは軍服よごれてんだ。どう責任とってくれるんだぁ? そこのネェちゃんが優しくしてくれるんなら許してやってもいいがぁ? あぁ?」

 俺の顔面ギリギリで凄む軍人、こういう大声で威圧する男は弱い。天敵に狙われない様に体を大きく見せる小動物と同じ原理だ。

「陸軍のおふたり。一般の、それも若い女の子の尻に触れて驚かせ転ばせる。あなた方のせいで起きた事故だ。それの代償に女性の体を無償で差し出す様に強要」

「あぁ? こっちはお前たちのために戦ってた陸軍 第1部隊所属だぞぉ? あぁ?」

「第1部隊といえば、隊長のブロンズさんはお元気かな。ここの常連でね。あぁ、今日も配達でお会いするよ。うちの従業員がお世話になったと報告させてもらわないと。えっと、ノルディ隊員とカリーノ隊員」

 俺がブロンズの名を出した途端に男たちの顔は青ざめていく。

「さてと、軍服を汚した件だけれどさっそく連絡を……」

「すみませんでした〜!!」

 ミルク代を置いて駆け出した2人の背中に俺は「2度と来るなよ〜」と追い討ちをする。

「大丈夫?」

「ふぁ、ふぁい……す、すびまぜん」

 ヴェロニカさんは鼻水をずずっと啜って、立ち上がりシャワー室の方へ向かって歩いて行った。

「なるほどねぇ」

 スチュはクスッと笑うと「確かに、演技ではなさそうだ」と机をコツコツと叩いた。

「まったく、仕立て屋にまた行かないと。お客さんすまないね。ちょっと空けるよ。着替えを用意してやらんと」

 俺は自分の変えの制服を引っ掴むとシャワー室へ向かった。シャワー室の奥からはシャワーの音とかすかに彼女の嗚咽が混じって聞こえた。泣いて……いるのか? これも俺がここに来るのを予感して? いや、スパイとして不甲斐ない自分に泣いているのか。

「ヴェロニカさん、やっぱりそのサイズだとお客にもよくないから俺の制服を置いとくよ。まぁ少しぶかぶかだけど我慢して」

 ちょっと大きめに声をかけると中から「ありがとうございます」と返事が返ってくる。タオルの下に制服を置いてシャワー室のドアを閉めた。

「そうだ、大事なものを渡し忘れていたんだ」

 とスチュが取り出したのは新聞だ。

「そうそう、最近新聞は中央軍事施設の売店で買うことが多いんだよね。夕刊のコラムが面白いんだ」

「へぇ、平和になったからそんな欄が増えたのかい」

「あぁ、なんでも皇帝陛下の日常なんかがコラムになってるんだ」


 今のはもちろん、彼からの情報だ。俺とスチュが新聞について話すときは情報の有無ややりとりを意味する。今回、スチュが俺に新聞を渡してきた。つまりは彼から情報があるという暗示である。そして、次に新聞の売り場は待ち合わせ場の暗示で夕刊ということなので夜だ。そして、情報提供者は皇帝陛下だ。

「お代はここに」

 スチュが少し多めをカウンターに置くと颯爽と立ち上がり、音楽隊らしく優雅な敬礼をした。

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