第5話 下手くそなハニートラップ
ピッチピチのシャツに腰回りがタイトなスカート。可愛らしい緑色のタイはリボンのように結ばれている。
確かに採寸時は「ひとまわり大きいサイズで」と注文したし、俺も確認した。
シャツのボタンの隙間からは中身が見えてしまいそうな危うさだし、スカートも足の形がくっきりと見えている。
(採寸前にサラシなどを巻いてサイズを小さく偽って……?)
採寸に行く際に仕立て屋も諜報員を使うべきだったと死ぬほど後悔しながら俺は彼女の制服をどうやってセクシーでないものに変換するかを考える。いや、ここまでしてくる相手だ。何をしても無駄かもしれない。俺が彼女をしっかり監視するしかないか。最悪の場合、手に掛けることも視野にいれなくては。
「ビーフサンド、ローストベジです!」
「あいよ」
といいつつも彼女の要領の良さに感謝する。店の開店がよくなり売り上げもほとんど倍になった。この女が逮捕されたら本格的に一般人のアルバイトを雇うかな。
昼、午後、夜と通常の営業を終えると俺とヴェロニカさんは店じまいを済ませて残り物のまかないを食べる。貧しい北公国でこういう食事を食べてこなかったのか、どんな料理を作ってもヴェロニカさんは新鮮なリアクションをするので大変作りがいがある。ま、演技だろうけどな。
彼女が住み込みのアルバイトを始めて数日、色仕掛けをするなら頃合いだろうか。彼女がこちらを見つめてくる頻度でなんとなく察しはついていた。
この人も運の悪い人だ。暗殺部で多くの人間を騙し手にかけた人間は色恋や性欲如きで靡くことはない。それに、俺は過去に……。
「ダレンさん、お先にシャワーどうぞ」
「いや、俺は明日の朝にするよ」
「じゃあ、失礼して……」
シャワー室に向かう彼女の背中を見ながら俺はワイングラスを磨く。ごく自然に、彼女の色仕掛けを回避する方法を考えなくては。シャワーに入っていないくらいではひいてくれないだろうし。かといって、どうやっても攻略できないと思わせてしまえば彼女はトンズラするだろうし……難しいところだ。
好きな女がいるとかいないとかで誠実なふりでもしてはぐらかそう。
店内にあるワイングラスを磨き終わるころ、シャワー室の方からペタペタと足音が聞こえてきた。今日はシャワーが長かったな。やはり、そろそろ色仕掛けを……仕掛けてくる頃合いか。とりあえず、俺が一般人であることを装うために純朴な反応をしなければ。
俺は少し息を止めて心拍数を上げる。それを何度か繰り返すことで体の血の巡りを早くする。こうすることで照れている演技に信憑性が……
「ヴェロニカさん……?」
「あっ、あっ、え〜っと、暑くてぇ」
シャワー室の方から店に戻ってきた彼女はなんとバスタオル一枚をぺろっと巻いただけの姿だった。濡れて少し色が濃く見える赤毛はしんなりと垂れていて少し大人っぽくみえ、白くて柔らかそうな肌がいつも以上に露出している。その上、彼女の表情がおかしい……。慌てた様な、焦った様な、いや……緊張したように目をぐるぐると泳がせて唇は震えている。そのくせ、耳まで真っ赤にして「暑い」とはどういう状況だ……?
「あっ、暑くてぇ……ダレンさんに冷ましてほしくてぇ」
(この女は何を言ってるんだ……まさかこれ色仕掛けのつもりなのか……?)
バスタオル姿のまま、彼女は俺の前のカウンター席に座ると真っ赤な表情のまま上目遣いでこちらを見つめてくる。俺は呆然として彼女と目を合わせたままでいると、なんと彼女の方が照れた様に目を逸らした。
「暑くてぇ」
(それしか言えんのか!?)
おっと、あまりにも阿呆な状況すぎて素に戻っていたが、俺はここの純朴な亭主だ。演技をしないと。俺はぱっと後ろを向いて少し震えた声で
「先に着替えてきたらどうです……?」
と言ってみる。そう、俺は好きな女がいるから色仕掛けには答えられないが一般人男性という設定なのだ。普通、こんな状態の女が目の前にいて焦らない男はいない。
「あ、あ、暑くてぇ」
(お前はそれしかいえないのかー!!)
と心でツッコミを入れながら、こちらも演技を続ける。
「お、お水飲みましょうか」
ガラガラと氷をグラスに入れて客用の水を注ぐ。彼女の方をわざと見ない様にしながら水を渡す。
「ありがとうございます」
背中で、彼女が水を飲む音を聞きながらどう回避すべきか考える。逃げられてもいけない、かといって成功させてもいけない……。とはいえ、こいつと寝てしまえば最悪殺し合いになる可能性もある。となれば、彼女に「可能性はある」と思わせつつも今夜は諦めせるのが最善手だが……。
「あ、あの……ダレンさん」
「な、なんすか?」
俺は背を向けたまま答える。磨いたワイングラスに反射して見える彼女に動きはない。エプロンのポケットに小さなナイフが仕込んである。少しでも彼女の呼吸に乱れがあったら動ける様に。
「あ、あの……」
ごくり、と彼女が喉を動かした。見なくてもわかるような緊張感。店の中にただよう石けんの香り。浅く、荒い息遣い。
「お、お水ください」
この女……本気か? いや、流石に色仕掛けにしたって下手すぎるだろう……。バスタオル一枚でやってくるところまではまぁ既定路線の一種だろうがその後店のカウンターに座って「暑くてぇ」と言いながら水を2杯……?
(俺の後輩だったら締め上げてるな……)
「ヴェロニカさん、知ってますか」
「へ?」
心底呆れてしまった俺は無表情で彼女に向き直ると、グラスに水をなみなみと注いだ。さっきよりも真っ赤になっている彼女は今にもぶっ倒れそうなほど脂汗をかいている。
「風呂上がりに水ばっかり飲むと……」
ずん、とカウンターに身を乗り出して距離を詰めると、さらにダラダラと汗をかき始めた。
「のののの……飲むと?」
一生懸命俺と会話をしようと口をぱくぱくと開けているがヴェロニカさんはほとんど舌が回っていない。色仕掛けがうまく発動せずに慌てているのか。俺は少しためてから
「カエルになるらしいですよ」
と優しい笑顔を意識して目を細め、口角を上げた。それから、口をぱくぱくしてショート寸前の彼女に
「さ、部屋に戻って体を拭いたら、しっかり着替えてそれから夜風にでも当たるといい」
と笑顔をくずさないまま伝える。
彼女は真っ赤なまま俯くと小さく「はい」と返事をした。彼女が立ちあがろうとするので俺は
「グラスを新しくしておくよ、コーヒーがいい? 紅茶がいい?」
とごく自然にグラスの近くにあった彼女の小さな手に触れた。
「ひゃいっっ」
びっくりした時の野良猫みたいに飛び上がった彼女はカウンター席から転げ落ちると、俺が触れた方の手を押さえながら「あわわわわ」と訳のわからない声をあげる。完熟トマトみたいになった顔、転げ落ちた時に巻いていたバスタオルも取れてしまっていた。しばらく慌てた後、ヴェロニカさんはバスタオルが腰あたりまで落ちてしまっていることに気がくつと
「きゃーっ」
と掠れる様な悲鳴をあげて2階へ駆けていった。俺はその一部始終を困った店主の顔を精一杯に演じながら見守っていたが、彼女の手に触れて確信したことが一つだけある。
——あの女スパイ、多分、雑魚だ
「さ、明日は新聞を仕入れておかないとな」
独り言を呟きながら俺は明日の仕込みの続きをすることにした。
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