第4話  美人スパイは美味しいものが好き(2)





 彼女のいう通り、夜の営業はほとんど客が来ることなくクローズすることになった。

 ということで、足の速い食材たちは俺たちのまかないに。最近、東王国から仕入れるようになった生食用のサーモンをレモンと酢につけてスライスする。香草のドレッシングと一緒にパンに挟んでサンドイッチにしている人気商品だが足が早い。

 そもそも東王国から仕入れるのに数日、うちに着く頃にはもう食べてしまわないといけないくらいの鮮度だ。だから、仕入れたその日中に売ってしまっているのだ。


「うーん、ムニエルかな」


「ムニエル?」


 ムニエルとは鮮度の悪い魚や臭みの強い魚でも美味しくいただける料理だ。といっても、小麦粉をはたいてバターでじっくり焼くだけだ。スライスするための切り身に塩を降って少し傾けたバットの上に置く。しばらくすると臭みの元が汁になって出てくる。それを確認したら塩胡椒と小麦粉を丁寧にまぶす。

 俺のその調理工程をメモするヴェロニカさん。


「あぁ、調理は基本的に俺がするのでメモしなくていいですよ」


「えぇっ」


「一応ですが、お店で調理できるのには国に申請が必要なのと、ヴェロニカさんはお給仕の担当だから必要ないかと」


「えぇ、そうですけど……ほらダレンさんが疲れた時にまかないを作るくらいはできる様になりたいなぁと」


 この女、俺に毒でも盛るつもりか? いや、ここで俺に取り入ってゆくゆくは軍事施設でパーティーに料理を提供、その際に毒を……。


「いや、今はいい。それに、ムニエルは中央帝国では家庭料理だ。それをメモを取らないといけないほど料理に精通していない人間をキッチンには立たせられないよ」


 我ながら、少し意地悪に釘を刺す。彼女のスパイとしての失敗に気が付かせる様な言い方をして突き放した。彼女は「私は敵国の家庭料理を知らなかったんだ」とさぞかし落ち込んだことだろう。潜入とはこういう細かい違和感からその正体が暴かれる。まだ若い彼女は優秀とは言え多少の粗が残っているのかもしれない。俺は少し迷惑そうで優しい店主といった表情をしながら「掃除を頼むよ」と彼女に言った。


「そ、そうですよね。失礼しました。あの、まかない……楽しみです!」


 演技だ、騙されるなよダレン・バイパー。しょんぼりと首を垂れてトレーを抱き締めるとヴェロニカさんは店内の掃除に向かう。北公国の女スパイはどんなに堅牢な男でも簡単にふにゃりとさせてしまうと聞く。体だけではなくこうして人間関係の構築から擬似恋愛、そして信頼を勝ち取り情報を吸う。必要がなくなれば殺す非情さを持ち合わせている……。


 バターをフライパンの上に溶かし、その上にサーモンを2切れ乗せる。軽い焼き色をつけたら香草をのっけて蒸し焼きに。焦げたバターの香りと香草が鮮度のわるい魚の臭みを消し、美味しく仕上げてくれる。売れ残りのパンをリベイクしてこちらはガーリックソースを。あぁ、いやガーリックはやめておこう。この後、仕立て屋に会うんだった。


 そつなく情報を集める優秀さ、そして人の懐に入り込む技術。警戒をしないと俺までヤられるぞ。女の色仕掛けに強い俺も、人情には弱いかもしれない。もしかしたらあの女は、昨日話した一瞬で俺に色仕掛けが聞かないと判断し、妹路線で攻略をしようとしているのかもしれない。


 俺の強みは、女を……人間を信用できないところだ。信頼できないから、非情になれる。信用できないから信用しない。それが諜報暗殺部では必要とされてきた。だから、今回の任務もスチュが俺にやらせることにしたのだ。

 

 フライパンの蓋を開ければふわっと魚介とバターの香りが広がった。ふっくらと蒸し焼きにされたサーモンは綺麗なオレンジ色に焼き上がっている。くたっとした香草をバターにからめ、サーモンの切り身を取り出すと別々のさらに盛り付けた。

 普通のレストランならマッシュポテトをつけあわせにするが今日はパンが余っているのでパンで。リベイクしたパンにバターを塗って軽く岩塩を振った。


「ヴェロニカさん、まかないできましたよ」


「わ〜い!」


 屈託のない笑顔でほうきをかたづけて、ヴェロニカさんはカウンター席に座った。


「はいよ」


「わぁぁぁ」


 演技なのかほんとうなのか、目を輝かせて彼女はムニエルを見つめた。北公国ではほとんど外交もない上に厳しい寒さが原因で上層部以外は厳しい暮らしを強いられていると聞く。もしかしたら彼女も暖かいご飯を食べる機会は少なかったのかもしれない。


 そういう貧しい経験がこういった場面で喜びの演技にリアリティを生み、スパイ業に花を添えているのかもしれない。


「付け合わせはあまりもののパンだけど」


「いただきます!」


「はい、どうぞ」


 そう言いながら俺は自分もカウンター席に回り込んで移動をしてエプロンを外した。我ながら良い出来だ。まかないは基本的に俺や、たまにスチュのためにしか作らないからこんなに手の込んだものは珍しい。


「おいひい!」


「どういたしまして」


 と一口。うん、うまい。家庭料理の一つだからと思ってメニューにはしていないが、してもいいかもしれないな。


「さ、食ったら採寸に行きますからね」


「はーい。採寸を終えたら明日の仕込みですね!」

 

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