第7話 ヴェロニカさんの異変


「先ほどはありがとうございましたっ!」

 俺が貸したぶかぶかの制服を身につけたベロニカさんは一層子供っぽく見えた。大丈夫か。こんなん働かせていて……。

「あぁ、まぁ今日新しい制服を仕立てようか」

 迷惑そうに苦笑いしてみせて、彼女の罪悪感を少し煽ってから昼のストック作成に取り掛かる。洗い物と梱包は彼女に任せ、調理を始める。爽やかな香草のサラダとヘルシーな鶏むねサンド。ガッツリ揚げ物を挟むフライサンドも作っておこう。ついでにナゲットも一緒に……。

「あの、ダレンさん」

「おうよ」

「もしかして、ダレンさんって軍人経験ございますか?」

「あ〜、どうして?」

「さっき、私を守ってくれたとき、あの人の腕赤く痕になっていたので……そういう経験があるのかなと」

 俺としたことが。そこを手加減する考えはなかった。とにかく、怪しまれない様に何か良い言い訳しないと。

「戦争中はそういったことにも駆り出されてましたからね」

「そ、そうですよね」

 納得してくれたのかヴェロニカさんは食器を拭き始めた。この女、男性は苦手な様だが洞察力は流石にあるらしい。俺も従業員に手を出されてカッとしてしまったが気をつけないと。いつこの女に足元を掬われるかわからないからな。

 と考え事をしながらも彼女が不穏な動きをしないか見張っている。例えば、皿に毒を塗るとかそういう行為だ。当初、俺たちが想定していた彼女のスパイとしての役割は「何かを実行するための時期を見計らう」ものだと思っていたが、彼女の実力を見るとそうでもないかもしれない。となれば、全てに置いて警戒をする必要がある。例えば、彼女がこのレストランで毒物騒ぎを引き起こしてその間に皇帝暗殺を別部隊が企む……とかだ。

 視線を感じて洗い場の方を見るとヴェロニカさんと目があった。しかし、彼女はすぐに顔を背けて洗い物に集中しているフリをする。なんだ? 俺に対して何か企んでやがるのか?

 しばらく見つめているとちらり、ちらりとこちらを盗み見してくる。その度にツインテールゆらゆらと揺れる。

 ゴーン、ゴーン。中央軍事施設の方から正午を告げる鐘の音が聞こえた。

「ヴェロニカさん、開店しようか。外の看板の準備と満席になるまでの呼び込み、よろしく」

「は、はいっ!」

 ビクンッと体を震わせて、ヴェロニカさんはチャチャッと手を洗うとエプロンで手を拭って店の外へと出ていった。



***



——なんだか……見られている気がする!


 昼のピークの時もことあるごとに俺は背中に視線を感じていた。といっても殺気だったものではない。なんというかこう……ゾワゾワする系のものだ。

 あぁ、まだ若かった頃に西共和国に「ジゴロ」として潜入した時のアレに似てる。こう、強い想いの籠った様な視線、好意とかそういう無駄な感情を含んだ類の視線だ。

「チーズサンド、ポテトとアイスティーふたつ」

「はいよ」

 ヴェロニカさんはオーダーを伝え終わるとトレーを抱きしめてぎゅっと恥ずかしそうに俯くと足速にテーブル席の片付けへ向かった。様子がおかしい。あきらかに様子がおかしい。視線の正体はあの女だ。これは新たな色仕掛けか? 

「テイクアウトお願いします〜」

「はいよ〜」

 俺は外売りの窓口で会計をしたり、料理をしたりして気を紛らわせることにする、ヴェロニカさんのおかしな行動に少し不安を感じながらも「俺なら大丈夫」と言い聞かせて……。

 昼の鐘が鳴ってから1時間ほど、外の行列も捌けて店内の客もまばらになったので俺は残った食材でまかないを作り始めた。今日は野菜の切れ端で作るスープと余ったナゲット。質素ではあるが腹は膨れるだろう。それに、最近は野菜不足だったしちょうど良い。

「ありがとうございました〜」

 ヴェロニカさんが最後の客を送り出すと看板をクローズに変えてドアの鍵を閉めた。

「おつかれさん」

 俺が声をかけると彼女はぽっと首から上を赤くして目を伏せた。もじもじと足をくねらせ、顔をトレーで隠してしまった。

「具合でも悪い?」

「いえ、そんなことは……、ダレンさん。まかないの準備お手伝いします」

 慌てた様子の彼女はバタバタとキッチンに入ってくると皿を用意する。さすがは女スパイ、数日で食器の配置は覚えている様だった。

(こいつ、俺に恋をした演技でもしている……?)

「そうだ。今日は仕入れでよく知っている人たちとの食事があってさ。夜早めに閉店したあとは少し店を開けるから昨日の仕立て屋まで1人でいけるか?」

「きょ、今夜はまかないご一緒できないんですね」

「悪いね、君の分だけ作っておくよ」

 愛想笑いを浮かべて、なんだか潤んだ瞳のヴェロニカを無視してまかないのスープを注いだ。切れ端のにんじんとピーマン、じゃがいもに玉ねぎ。甘い香りがふわりとキッチンに広がる。

 ヴェロニカさんが香りをかいで幸せそうな笑顔になる。鼻が膨らんで口角が上がる。緩んだ表情にこちらまで緩んでしまいそうだった。

「じゃ、頑張ったヴェロニカさんには」

「へ?」

 俺はチーズを取り出すと彼女のスープ皿にぱらっとふりかけた。瞬く間にスープの熱で溶けたチーズがとろとろと広がっていく。

「さ、召し上がれ」

 チーズのとろけた熱々スープを飲み干したヴェロニカさんは「おいしい」とひとしきり感動したあと、ぶかぶかの制服のシャツのボタンを外しだした。

(まさかこいつ)

 カウンターに立っている俺、カウンター席に座っているヴェロニカさん。自然と彼女が俺をみると上目遣いになる。あぁ、この先の展開が容易に想像できる。

「暑い……」

 胸元がチラ見えするギリギリのラインで止めると熱った顔で「暑いぃ」と繰り返す。これは彼女の色仕掛けである(多分)

「お水、飲みますか」

「暑くてぇ……」

 流石の俺も呆れてものが言えない。この雑魚スパイの脳みそはどうなってやがるんだ。男は苦手なのに色仕掛けをしかも鬼の様に下手なのに……。こいつの上官の顔が見てみたい。北公国のスパイとあろうものがこんな出来のものを送り込むなんて恥ずべきことだ。

 国は違えど同じ諜報機関の人間として仕置をしてやろうか。

「昨日から暑がってるな」

 真剣な表情でヴェロニカさんの美しい緑色の瞳を見つめる。彼女が逸らしても絶対にこちらは逸らさない。面白いくらいに彼女がダラダラと汗をかき始める。

「私、お掃除に」

「動かないで」

 俺は彼女の隣に回り込むと、ガシッと彼女の肩を掴んで座らせる。いいか、元諜報暗殺部所属に下手は色仕掛けをしかけるとどうなるか……。

 俺は茹でたエビよりも真っ赤になっているヴェロニカさんの額に手を当ててじっと見つめる。ただ、額に手をあてて見つめるだけ。男が苦手な人には十分なお仕置きになるだろう。

 みるみるうちに目を回したヴェロニカさんはブクブクと泡を吹いて白目になった。ずしんともう片方の腕に体重が乗っかる。完全に気を失っているらしい。

「よいしょっと」

 そのまま彼女を横抱きにして部屋へと向かう。ちょっとやりすぎたか? いや、部屋を物色するいい機会か。

「ヴェロニカさーん、運びますよ〜」

 細く見えるが意外とずっしりしている。長い足が階段の壁に当たらない様に注意しながらそっと運ぶ。スパイがこんなんでいいのか〜。というか、目覚めてのこの状況見てまた気絶するだろうな。

 ヴェロニカさんに貸している部屋のドアを足で開けて、ベッドに彼女を下ろした。それでも目をさまさないのでそっとブランケットをかけた。

 色仕掛けして返り討ちなんて、俺なら死にたくなるだろうな。と気を失っている彼女を見て思った。それから俺の脳裏には過去の忌々しい映像が蘇る。


(好きでもない女)

(向けられる熱い視線)

(嘘の言葉に期待する女、向けられる愛)

(恐怖の表情、血、光を宿さない瞳)


 フラッシュバックする光景を振り払うように俺は窓を開けて換気をし、部屋を出た。嫌な記憶を思い出してしまった。戦乱の世、俺たち暗殺部隊は重宝されていた。かくいう俺やスチュも敵国に潜入し、暗殺対象にどんな手を使ってでも近づき任務を遂行した。無論、男である俺も色仕掛けに近い様な形で女のターゲットに近づいたこともある。特に女性は男性と違って心を開くまでに時間がかかるから、愛をはぐくむように近づいて騙し、殺す。

 何人を手にかけようと、信じていたものに裏切られて命を奪われる人間の最後の目は簡単に忘れられない。だから俺は愛なんてものは信じない。いらない。

「さて、クッキーの準備でもするか」

 余ったコーヒーをカップに注いで砂糖をたっぷりを入れる。疲れた脳を無理矢理にでも動かして思い出した忌まわしい記憶は忘れてしまおう。

「そこにいるか」

「はい」

 俺の呼びかけに応じたのは俺のいない間や夜にヴェロニカさんの監視をしている諜報部の連中だ。今は少年の姿に扮している。

「今夜、彼女を仕立て屋に行かせる」

「はい」

 諜報部の連中は会話が少なくて大変助かる。まぁここでの会話は一部始終聞いているのだろうが、今夜彼女は連絡対象や上司と接触を図る可能性が高い。そうなれば、この中央帝国内に存在するかもしれない北公国の根所がわかるかもしれない。

 とはいえ、俺の仕事はあくまでもヴェロニカさんをここに留まらせて監視することであり、緊急時以外の行動は求められていないのだから深入りする必要はない。少なからず、店内に新しい客はいないしヴェロニカさんが何か怪しい行動をとっていた形跡は今の所ない。

「よろしく」

 少年に化けた諜報部の人間が去っていくと、俺はクッキーの生地を取り出して釜に薪を入れた。火の簡易魔法で薪を燃やすと俺自身の風魔法で調節した。クッキーが焼きあがるまで、俺は午後のテイクアウト用のコーヒーのためにコーヒー豆を挽く。先週焙煎した豆の香りに癒されながら干し肉をつまんだ。

(あぁ、少し頭が冷静になってきた)

 過去の忌まわしい記憶をまた胸の奥に仕舞い込んで、俺は冷静さを取り戻すとちょうどさっきのコーヒーの甘味が脳に回ったのかある仮説が思い浮かんだ。


 ヴェロニカさんは最初の色仕掛け……バスタオル一枚で俺を誘惑するに失敗をした。これも仮説だが彼女は男性に耐性がないのか苦手なのかで色仕掛けを諦めることにした。

 普通、女の諜報員が色仕掛けに失敗したり相手に色仕掛けが通じないとわかった時のプランBは「ウブな恋愛」に持ち込むことである。つまり、ターゲットの男が性欲に乏しかった場合潜入スパンを長期化し、ターゲットと擬似恋愛をして懐に入り込むのだ。

 そう考えると、今朝の軍人とのやり取りのあと、急に彼女が初恋をした少女の様な行動をしていたことに合点がいく。

 いや、でもつい先ほど「暑くてぇ」と言ってた様な……? まぁ、あの人が絶望的にアピールが下手なのは置いておこう。

 では、本題はこんな新人の様なスパイをどうして北公国が送り込んできたか? ということだ。俺自身、北公国に潜入したこともあるし、逆にスパイとして潜入してきた輩を暗殺したことも多くある。そもそも、他国に潜入するというのは諜報部の中でも「花形」の任務だ。だから、役柄に無理さえなければ一番に優秀なやつがやってくるし、少なからず適正くらいは上官が判断しているはずだ。

 うーん、やはり……人材不足なのか?


「すみません、ダレンさん」

 恥ずかしそうに階段の中段から声をかけてきたヴェロニカさんは申し訳なさそうに目をシバシバさせた。眠っていて擦れてしまったのか化粧が崩れていたし、自慢のツインテールも乱れている。

「あぁ、熱があったみたいだけど大丈夫かい?」

「えっと、はい。ダレンさんからお借りしている制服だと少し熱がこもってしまうみたいで」

「そっか、じゃあ少し身なりを整えておいで。午後は悪いけど私服で働いてもらおうかな」

「はい、ご迷惑おかけしました」

「いえいえ」

 俺はあくまでも優しい店主を演じる。少し意地悪をしすぎたか。いや、スパイ相手に優しさを見せる必要もないか。彼女は俺と視線が合うとパッと恥ずかしそうに目を逸らして階段を上がっていった。

 赤毛の後ろ姿を見ながら北公国に潜入した時のことをふと思い出しかけて止める。嫌な仕事になりそうだ……。演技とは言えあまり彼女に立ち入らない様にしよう。平和になったとはいっても密入国のスパイの行く末は「死」と決まっているのだから。

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