第1話 超怪しいアルバイト
中央帝国中央軍事施設には数千人の軍人と、その他施設に属するものが働いている。毎朝6時から17時くらいまでひっきりなしに人が行き来していてサンドイッチの売り上げもそこそこだ。
俺、ダレン・バイパーはこの中央軍事施設前で小さなカフェを営む25歳だ。この好立地に若い年齢で店を構えることができているのは俺が元軍人だから、それもかなり実績を残した軍人だったから……である。
「よぉ、ダレン。新聞紙をくれ」
昼過ぎのクローズされた店内にずかずかと入ってきた金髪の優男はカウンター席につくなりいい声で言った。
「新聞紙? んなもん今日は買ってねぇよ」
スチュアート・サイアーズは俺の返答に「そうか、ならコーヒーを」と笑顔で言った。こいつの笑顔は目閉じて細めて口角を上げているだけだ。決して、心からの笑顔ではない。
スチュアート・サイアーズは俺の元同僚で現在は中央帝国皇帝直下所属の諜報暗殺部隊で情報官をしている。俺はスチュがカウンターに置いた持ち帰り用のタンブラーに熱々のコーヒーを注いでつっかえした。砂糖もミルクもなし。蜂蜜をちょっと。
「魔法ってのはつくづく便利だよねえ、ダレン」
「慣れ慣れしく呼ぶな。俺はここの店主でアンタは情報官様だろう?」
「その前に僕らは苦楽を共にした友人じゃないか」
嘘くさい笑顔でスチュが目を細める。その顔やめてくれよ、気持ちが悪い。
彼のいう通り、俺は元暗殺部隊の人間だ。数年前、この中央帝国が「魔法銃」という魔法の力を込めた銃火器を発明したことで戦乱の世の中がいっぺん、東西南北に在する4国が中央帝国に降伏し平和が訪れたのだ。
魔力がなくても魔法の力を行使できる魔法銃の発明で中央帝国は魔法使い以外の人間を軍人として戦力を拡大し、他の国々を降伏させるまで数年とかからなかった。
俺たち暗殺部隊は主に風の魔法を使用する魔法使いがほとんどで、戦乱の時代に国に入り込んだ他国のやつらや要人を暗殺することが目的で動いていた。
しかし、現在は実質的に中央帝国が世界統治を図っているということで組織が縮小された。暗殺部隊の連中はスチュの様に昇進したり、人材育成の部門に配属されたりと別々の道を歩むことになった。
そんな中、俺はとある理由から軍人を引退しここでサンドイッチ屋をやりながら生計を立てている……という体で情報屋をやっている。
先ほど、俺とスチュがした新聞の話題は毎日行われる隠語での会話だ。「新聞をくれ」は「情報をくれ」という意味だし「今日は買ってない」というのは「新しい情報はない」という意味だ。この店の街道を少し言ったところにある中央帝国中央軍事施設ではさまざまな機密情報を取り扱っているとされている。
皇宮もすぐそばにあり、魔法銃の製造方法や研究施設も施設内にある。つまり、この軍事施設への侵入が可能になれば魔法銃の製造方法が他国に渡り、再び戦乱の時代になりかねないということだ。
そこで、諜報暗殺部隊としてほとんどの軍人に顔も知られず、諜報にも長けた俺が表向きは「引退」という体でここに店を構え、施設を視察にきた各国のスパイを炙り出したり、ここへ食事にくる人々を観察して自国の裏切り者の情報を集めているのだ。
これは現皇帝のアーミル・アトキンス陛下直々の命令である。
「にしても、繁盛しているね」
「こんなところに店はここしかないからな」
軍事施設には毎日数千人の人間が出勤しているし、来訪客も含めればもっと多くなるはずだ。そんな忙しい人間たちは片手間に食べられるサンドイッチやちょっとうまいコーヒーを求めるのは必然で……最初は「しっぽり情報屋をやるか」なんて思っていたが、俺の料理の腕が良いのも相まってみるみるうちに人気になってしまったのだ。
昼のピーク後、流しに山積みになった食器類を見て思わずため息が出た。俺の本来の仕事は皿洗いか、まぁそれもそうか。
俺が皿洗いを始めるとスチュが人を馬鹿にした様な顔でこちらを見ている。同僚時代から思っていたことだがこの男、本当に人をイラつかせる天才である。
「ダレン、アルバイトでも雇ったらどうだい?」
「アルバイト?」
「あぁ、軍事関連施設ではいないけれどね。街のレストランなんかじゃ求人広告が出ているよ。アルバイトの」
本質のわからない説明に俺は少しいらついてぎゅっぎゅっと強めにカップを擦る。
「おやおや、ポーカーフェイスのいい男が台無しだよ、ダレン」
「うるせ。んで、アルバイトってのはなんだよ」
「あぁ、ごめんごめん。お手伝いさんだよ。まぁ、労働者ってこと」
「ならそう言えよ。紛らわしい」
「戦争があった数年前までは俺たち軍人の世界が全てな気がしたけど、こうして平和になってみると一般人の世界のこと俺たちがどれだけ知らなかったか、実感するよ」
スチュはそう言い終わると「アルバイト」について簡単に説明してくれた。なんでも本職ではないが時間制で金をもらうで仕事をする新しい労働方法だそうだ。
今までは花屋の家に生まれれば花屋になったし、軍人の家に生まれれば自ずと軍人になるのが普通だった。
しかし、このアルバイトというのは軍人の家に生まれてもアルバイトを募集している花屋があればそこに応募して花屋で働くことができるらしい。
「へぇ、確かに。んで、募集を貼れと?」
「そ、このままだとダレンが料理人になっちゃうだろ」
この野郎……。いけ好かない男だが、スチュは優秀だ。確かに、ここ数週間は仕事の忙しさにかまけて本来の目的がおそろかになってしまっている気がしていた。
彼がこうして警告してきているところをみると、俺が見逃した何某かを諜報暗殺部が捕まえたのだろう。彼は口にしないが、俺の失態である。
「そうだな、アルバイト? の募集をしてみるよ」
「そうだ、女の子がいいな」
「はぁ?」
「だって、カフェだぜ? 俺も目の保養がしたいし」
「ふざけたこと言うな、こんな客が軍人ばかりの店に女が来るわけないだろ。ただでさえ平和になって結婚と出産が増えてるんだ。わざわざ働きたいなんて女はいないだろうよ」
数年前に戦争が終わり、中央帝国ではベビーブームが訪れていた。戦争中に妊娠や出産、結婚を躊躇していた女性たちが、はたまた軍人として従軍していた女性たちが続々と幸せを手にしているのだ。
俺はほとんど寄り付かないが街の方は小さい子供たちが走り回る平和な光景が広がっているとか。そういえば、ここの常連もそんな幸せな愚痴が増えたような。
「銀髪に真摯な見た目、料理上手でチラッと見える屈強な腕……、ダレン目当てのかわいコちゃんたちが受けに来るに決まってるじゃないか」
ボフッと泡まみれのスポンジをスチュに投げつける。その人を馬鹿にした様な鼻っ面にぶつけてやりたかったが彼はギリギリでスポンジを掴むを青い瞳をぎらつかせた。
「危ない危ない、持ってきた書類が濡れてしまうところだったよ」
スポンジをこちらに投げ返して、彼はハンカチで濡れた手を上品に拭うと、バッグから書類を取り出した。その書類には「従業員募集」と書かれていた。あぁ、これは上層部の命令か。
「ということで、従業員を雇うように」
キザにウインクをするとスチュは「外に貼っておくね」と言い店を出ていった。
***
アルバイトの募集を貼って数日、特になんの連絡もないまま昼のピークを終えて俺は洗い物を片付けていた。膨れていく売り上げと共に自分の精神力はすり減っていくし、重要な情報を聞き逃さないようにするので疲労が溜まっていく。
北公国の動きが活発な様で軍事施設も少しピリついていた。
「新聞は?」
「あぁ、ないよ」
「そう、じゃあコーヒーを」
いけ好かない金髪のスチュは安心した様に微笑むとカウンター席に腰を下ろしてため息をついた。ちょっとこいつをからかってやろうか。
「うちで働きたいカワイコちゃんはいないようだぜ。募集をして数日、だ〜れもきやしない」
スチュはわざとらしくしょんぼりして見せると「こちらでも募集してみようか」と残念そうにいった。
「あの、女限定の募集を変えたらいいんじゃないか? 退役軍人とかでもいいし」
「なぁ、ダレン。俺はさ、お前には幸せになってほしいんだよ」
スチュは珍しく真剣な表情で言った。ふざけるな、俺たち暗殺部隊は……。
幼い頃から兄弟のように育ったスチュでさえ、何かきっかけや動悸があれば平気で国を裏切るかもしれない。そんな懐疑心を兄弟の様な男にも抱いてしまう自分では、他人である見ず知らずの女を愛することなど絶対にできないだろう。
「嫁にするなら軍出身じゃないとな」
「はぁ〜、知ってるだろ〜。軍出身の子はホント怖いじゃんか。こう、戦いなんて知らない可愛い可憐な女の子をだな……」
とスチュがふざけて言った時、クローズにしてあったはずの店のドアが開きドアベルがリリリと鳴った。俺は洗い物をやて顔をあげ、スチュはドアのほうを振り向いた。
「あ〜の〜、外のアルバイトの募集をみまして〜」
真っ赤な髪をツインテールに結い上げた少女だった。身長は高く手足が細くて長い。ヒラヒラしたスカートは長いスリットが入っていて、ずっしりと重量感のある胸元は解放感のあるシャツからチラリと肌が覗く。いわゆる少し挑発的な格好だ。
赤毛に色素の薄い翠緑の瞳の子は「あ〜の〜」と特徴的なイントネーションでもう一度俺たちに声をかけた。俺とスチュは目を合わせなくても一瞬で心を通じ合う。
——この女、北公国の出身だ。
「おや、アルバイトの募集をみて?」
俺は瞬時に笑顔を作ると手の泡を落として彼女に近寄った。
「は〜い、そうです!」
やはり、北公国のスパイを何人も見てきたがこういう訛りが出ることがある。この女、これで本当に隠しているつもりなのか……?
「どうぞ、中へ」
店内は広くはないものの4人席が2つと2人席が6つ、カウンターは5人ほどが座れる。俺はカウンターに一番近い2人席に彼女を座る様に促した。
「ありがとうございまぁす」
明らかなカタコト。びっくりするくらいの大荷物。俺は荷物に何か魔法の仕掛けがあるんじゃないかとか、獰猛な魔法動物が入っているんじゃないかとかあらゆる可能性を考えながら全力で笑顔を作った。スチュはピリッとした雰囲気を出しつつも客を装ってコーヒーを啜っていた。
「結構な荷物ですね」
「はぁい! 住み込みでのアルバイトですから」
「は?」
「だって、外の募集に住み込みって」
今すぐスチュをぶん殴りたい気持ちと、よく確認もせず放置していた自分をぶん殴りたい気持ちでぐしゃぐしゃになりながら俺はキッチンに戻ってカップにコーヒーを入れた。
「お嬢さん、お砂糖は?」
「大丈夫です」
コーヒーを目の前に置くと女は北公国訛りで「ありがとございます」と言った。キラキラした瞳が常に俺の瞳を追い、力を抜くことができない。
「お名前は?」
と聞いてみたものの、明らかに北公国の人間だ。偽名かもしれない。とにかく情報を引き出してみようか。ちょうどよくスチュもここにいることだし。
「ヴェロニカ・メレシナです!」
「え?」
思わず声が出てしまい、後ろにいるスチュがケホケホと咳をした。ごまかしてはいるがあいつ、笑ってるな……!
「ですから、ヴェロニカ・メレシナでぇす!」
「ヴェロニカさん、ですね。えっと、今回カフェにご応募ということですがご家系ではどんなご職業を?」
「父は庭師をしています。母は花の栽培業をしています」
「では、今回ここに応募した理由は……?」
ヴェロニカは気恥ずかしそうに俯くと金色のまつ毛をふわっと揺らして瞬きをした。北公国の女性は美しいと軍人界隈では有名な話だ。
ただ、暗殺部隊として動いていた俺は日の下でまじまじと女性を見る機会などなかった。なんて美しい人なんだろう。
まだ魔法銃が発明される前、北公国が女スパイによって各国の要人をたらしこんでいたという話が現実的に思えた。
「わ、私……虫が苦手で。花の栽培や庭仕事には虫がついて回るんですが幼い頃から苦手で……」
と顔の前で恥ずかしそうに手を振った彼女の左手の親指には小さなマメが潰れたり治ったりを繰り返した後があった。これは北公国でよく使われている暗殺道具のククリナイフを使ったときにできるマメだ。
俺は考えるフリをしながら何度か机をコンコンと爪で叩いた。暗殺部の暗号で「スパイ、ククリナイフ」とスチュに伝えたのだ。スチュから咳払いが一度帰ってくる「了解」の合図だった。
「そうですか。では、ここで働きたい理由を聞いても?」
「はぁい、えっと……、私、美味しいものが大好きです。もちろん、両親の仕事も尊敬していますがもしも別のお仕事ができるのなら、素敵なカフェで働きたいなぁと思って」
不思議とさっきまで嘘くさかったのにこの言葉は本当の様に見えた。彼女はキラキラした瞳で店内をぐるっと眺めると愛おしそうに洒落たカップを指先で撫でた。まぁ、一流のスパイならこのくらいの演技はできるだろうし、おそらく彼女は明日にはスチュたちに連れられて監房行きだろう。
コツコツコツ。とスチュの方からペンで机を叩く音がした。続いてブーツで椅子を軽く叩く音、新聞を3回めくった。
(スチュ、本気か?)
彼からの指令は「雇え」だった。
「えっと、ヴェロニカさんはどちらのご出身で?」
俺は一旦、スチュの命令を無視して質問を続ける。彼女は
「ゴルディン地区の出身です、えっと住所は」
まるで暗記でもしたかのように彼女は住所の最後までをいうと、俺に向かってにっこりと美しく微笑む。ゴルディン地区は中央帝国の中でも農村が広がる広大な地区で両親が庭園業などに従事しているとなれば一番自然な出身だ。
次の質問を考えていると再度、スチュから「雇え」と暗号が送られてくる。
「よし、それじゃあ、働いてもらいましょうか」
俺はスチュの背中からちょっと本気を感じたので質問を取りやめてそういうと、募集の紙を剥がしに一度店の外へ出る。ドアにデカデカと貼られたそれをベリッと剥がしてくしゃくしゃに丸めた。
(さて、どうにか彼女を眠らせたらスチュを質問攻めにしてやる)
俺は久々の感覚に気合いを入れて笑顔を作ると、店内に戻って彼女に声をかける。
「よければコーヒーもう一杯いかが?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます