第2話 共同生活!
北公国は大陸に存在する5カ国の中で唯一、恐怖政治が行われている独裁国家である。
元はといえば、心優しい女王が治める国だったがクヒーニャ女公爵による謀反が発生、その後は世界征服を企む軍事国家へと変貌していった。
北公国では代々女性が統治しており、北公国における一般の家庭でも家を次ぐのは息女という風習がある。強さ、美しさ、賢さを備えた女性が多いことから女スパイを各国に送り込み情報戦を制し、魔法銃を開発する前の中央帝国の一番のライバルだった国でもある。
一方でクヒーニャ女公爵による暴力的な恐怖政治は続き、中央帝国に降伏した現在でもなおスパイや暗殺者を送り込み世界の頂点に立とうと画策しているのは有名な話だ。
「で、どういうことだスチュ」
中央軍事施設 諜報部の取調室で俺とスチュは向かい合って座っている。と言ってもどちらかが聴取されているわけでもしているわけでもない。
強力な睡眠魔法のかかったコーヒーで眠りこけているヴェロニカを家に残し(念の為見張りもつけ)、俺はスチュの意図を探ろうというのだ。
「あの女はおそらく北公国のスパイだろうな」
北訛りの話し方、北公国の女性の特徴そのまんまの見た目。取り繕った出身……。ククリナイフの使用者独特のマメに色仕掛けに慣れた様な上目遣い。
「で、なんでそいつを雇うんだよ。すぐにここへ連行して吐かせればいいだろう?」
俺は真っ当なことを言ったつもりだったが、スチュは鼻で笑うと目を細めた。その顔、ムカつくからぶん殴ってやりたい。
「ダレン。最近、北公国の動きが気になってな。というのも、ピタリとスパイや暗殺者の動きが少なくなったんだ。わかるよな、諜報機関が動きを鈍らせたときそれすなわち情報を得た時だ」
彼の言っていることは正しい。俺たち暗殺者やスパイは何か動きを起こす前の情報を集める際や邪魔者を消す際に活発に動く。俺たちに指示が降りなくなるのは情報を集め終わったときや何か敵国に勘づかれたくない大きな計画を動かしているときだ。
「なるほど」
「つまり、あの女は情報収集ではなく別の目的の可能性が高い」
別の目的というのは、ある程度情報が集まり、計画も終わったあとにソレを起こすための絶好の機会を伝えることだ。つまり、そういうスパイが送られてくるということは北公国はすでに何かしらの計画を終えているということだ。
「では、あの女の動向を探ることで逆にこちらが北公国の動きを?」
「さすがはダレン。そう、おそらくあちら側はお前が軍人だということを知らない。中央軍事施設の目の前の店にアルバイトの募集が出た。最終スパイの絶好の居所だと踏んだわけだ。でも残念、スパイの動きを追えば敵の目的は自ずとわかる」
スチュがニヤリと笑った。大物が釣れた時の顔だ。俺とスチュは長年、暗殺者とスパイとしてバディを組んでいた。スチュは暗殺もできるが諜報の方が得意で俺はその逆。同じ孤児院の出身であったこともあり息もぴったりだ。無論、俺よりも彼の方が座学が得意だったこともあって現在は別々の仕事をしているわけだが本質は変わらない。
「なるほど、理解できたぜ。お前、これ全部をあの瞬間に思いついたのか?」
「ま、俺は一応情報官だからな」
ムカつく笑顔でそういうとスチュは「そういえば久々に陛下も会いたがっているよ」と俺の耳元で囁いたが
「ただのサンドイッチ屋が陛下のお目にかかるなんて滅相もない」
と断った。過去に俺とスチュが担当した任務の影響で俺たち2人は中央帝国の皇帝アーミル・アトキンス陛下と面識があるのだ。
アーミル陛下は若くして前皇帝を亡くしその地位についたこともあり、皇帝直下部隊だった俺たちとも分け隔てなく……すぎるほどだが接してくれる人だ。特に部隊に所属していた時の俺はアーミル様に可愛がってもらっており、側近になる話もあったほどだ。
とはいえ、俺は孤児院出身の元暗殺者で現在は表向きは一般人。陛下とお会いできる様な身分ではないのだ。
スチュがコツコツと机を叩いた。
(いい加減、向き合ったらどうだ)
俺は彼の暗号を無視して立ち上がった。
「じゃあ、明日また昼過ぎに」
***
ぐんと冷える夜風の中、店に戻ると俺はベルを3度鳴らして見張りに礼を伝えた。2階の空き部屋ではヴェロニカさんがすやすやと寝息を立てていた。見張りの残したメモによれば武器の所持なし、接触者なし。
いびきがうるさい。とのことだった。確かに、時折いびきらしき音がうるさかった。北公国は万年雪に包まれる極寒の国だから四季のある中央帝国で体が慣れずに鼻が詰まってるんだろう。いや、空き部屋のベッドをしばらく掃除していないせいか? まぁ、どちらでもいいか。
臨時休業の札を外して、明日の仕込みをはじめる。事務系の軍人に人気のヘルシーな野菜中心のサンドイッチに使う酢漬けの野菜を補充したり、肉が柔らかくなる様に叩いてから塩とスパイスにつけて一晩置いたり。我ながら本格的な仕込みである。
食事系の仕込みを終えたら女性軍人に大人気の焼き菓子の仕込みだ。西共和国から仕入れた小麦と南王国のナッツ類を使ったクッキーやスコーンは女性軍人たちに大人気でこちとらパンを焼くついでに始めたものだったが良い売り上げになっていた。パンと同じく生地を発酵させ、魔法をかけたオーブンで朝までに焼き上がる様にセットしておく。
今日は夜の客の皿洗いがない分、仕込みが楽だな。コーヒー豆も挽いてしまおうか。各国が中央帝国に降伏してから数年、北公国以外の国とは流通も正常化し暮らしがとても豊かになった。戦って領地を大きくし、奪うよりもこうやって正当な価格て物資を売り買いする方が健全だと思う。
「あ〜のぉ、すいません。私眠ってしまって」
足音がしなかったので俺はビクッと振り返るとそこには眠そうに目を擦るヴェロニカさんがいた。あの挑発的な服のまま眠っていたせいで服ははだけているし、普通の男なら興奮する様な格好になっていた。
「あ〜、ゴルディンからいらしたのであれば長旅でしたでしょうし仕方ないですよ」
俺としたことが、油断していた。
「お手伝いすることはありますか?」
「あ〜、シャワーでも浴びてきたらどうです?」
と声をかけたのも、彼女はひどく汗臭かったしメイクも乱れていた。ツインテールは変な寝癖で互い違いになっていたし、古いベッドに寝かせていたせいか首元は赤く爛れてしまっていた。敵国のスパイとはいえ女性にすることではなかったな。
「シャワー……」
「あぁ、もしかしてゴルディン地区では湯浴みでした?」
「あっ、はい」
取ってつけた様な返事だ。農地が広がるゴルディン地区では昔ながらの「湯浴み」方式で体を洗う習慣がある。その時の気温に合わせて温めたり冷やしたりした井戸水を使って体を洗う。水を温めたり冷やしたりするのに魔法を使うが、魔法を使えない家庭は火を使う。
一方で中央帝国の都市部では魔法が発達しておりシャワーと言って水・火・風の魔法を使った魔道具が存在する。スイッチを押すだけで適温の水やお湯が自動で生成されるとう便利道具だ。
「使い方、教えますよ」
「ありがとうございます」
独特の北公国訛り。ヴェロニカさんはぎゅうぎゅうと目を擦ってそれからあくびをした。まだ魔法のせいで意識が混濁しているらしい。暗殺の現場から離れて数年、俺ももう少し身を引き締めないと。いつ背中を刺されるかわかったもんじゃないからな。
「ここのスイッチに触れてください。ぼんやりと赤くなったらお湯が、青い場合は水が噴出します。ヴェロニカさん魔力は?」
「少し風の魔法が使えます」
ヴェロニカさんは手のひらに魔法を具現化してふわふわとそよ風を起こしてみせた。
「これは魔力がない人も使用できる様になっているので魔法を使わなくても作動しますんで」
「はぁい」
「タオルは好きに使ってください。えっと、一応住み込みってことなんで自分のことは自分でお願いしますよ」
風の魔法が使えれば洗濯も問題なくできるだろうし、スパイとしてこの国に潜入してきているなら大体身の回りのことはできるだろう。じっ、と彼女と目があった。エメラルドの宝石みたいな綺麗な目に吸い込まれそうになる。彼女を見ていると「北公国の女スパイに要人たちが骨抜きにされている」という噂の現実味が帯びるな、と思う。
純朴な少女を装った彼女の裏の顔はどんな冷酷な顔なんだろうか。こんな敵国の中心に送り込まれてくる様なスパイだ。百戦錬磨の手練れだろう。
「じゃあ、ごゆっくり」
スパイとはいえど流石に女性のバスタイムを覗く気はない。何より、相手も俺にハニートラップを仕掛けてくるだろうし……。
(ま、俺にハニートラップは効かないんだけどな)
俺はそんなことを思いながら、仕込みの続きに戻ることにした。こうして、元暗殺者と女スパイの奇妙な共同生活が始まったのだ。
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