第3話 きらわれのモーガンくん


どうやら僕が死んでから起きるまでに、半年の月日が経っていたらしい。おったまげだ。

その間にこのスーパーエキセントリック男が何かしでかしてやいないかと不安だったが。意外にも、イガタマコトはこの半年間大人しく過ごしていたと言う。書斎に籠り、書物を漁る日々。たまに使用人や親族と会話を交わすだけで、屋敷から出ず、学校も休学していたとか。

もしかするとこの男、出力装置が絶望的に壊れているだけで、意外とまともな人間なのかもしれない。

きっとこれは、コミュニケーション不足が産んだ悲しき怪物に過ぎないのだ。


「イガタマコト」

「ヒヤリハットみたいなイントネーションで呼ばないで」

「ヒヤ……なに?」

「マコトで良いよ。それかイガタ」


そこで切るのか。少し考えて、「マコト」と呼ぶ。マコトは特に返事をするでもなく、「で、何のよう」と制服の襟を正した。

復学して初めての学園は、居心地が悪い。マコト以外の生徒には僕は見えていないようだから、本当にこちらの気持ちの問題でしかないのだけれど。


「休学してたのは、僕を待ってたからなのか?」

「まさか」


マコトは、口を開かないまま答える。フクワジュツと言うらしいが、どのような人生を歩めば、そんな不気味な技能を会得する機会に巡り合うのか。


「そもそもお前が戻るって確信も無かったからね。1年この世界について学んだら、どうにしろ復学するつもりだった」

「勤勉なやつだ」

「そう?1年でも足りないくらいでしょ。その点に於いては、戻ってきてくれて助かったよ。手間が省けた」

「…………随分とタフなんだな」

「えー、そう?」

「ああ。君みたいなのは、発症して数ヶ月で心を病むか発狂するかのどちらかだ」


『来訪者』

稀に現れる、精神疾患者……とされている人間たちだ。共通して見られる症状としては、記憶喪失、意識の混濁、妄想、支離滅裂な言動。彼らは皆、自らが『この世界とは全く違う様相の世界から来た来訪者である』と言う妄想に取り憑かれている。

…………と、僕もつい最近までは彼らを精神病患者扱いしていたが。自分が今立たされている現状を鑑みると、一概に個人の問題であると片付けるのは難しくなってくる。

この『来訪者』の言い分を真実であると仮定すると、どうやら異世界転移とは、単純な渡航とは訳が違うようだから。

『来訪者』が社会に適応するのには、最低でも数年はかかるとされている。無理はない。何なら常識は元より、言語すらも危うくなると言うのだ。その点において、この男の適応力は異質な物に見えた。


「『来訪者』が自力で環境に適応して、魔術を使いこなすなんて、それこそ異例だよ。本すら読めない人らが殆どなのに」

「流石にシャンポリオンは来なかったか」

「なんだ、それ」

「お前こそ、随分と熱心に生きてたようだけど」

「は?なにを……って、おまえ勝手に!」


鞄から取り出された手帳に、血の気が引いていく。反射的に手を伸ばせば、案の指先がすり抜けた。僕の醜態に、澄まし顔で手帳をチラつかせていたマコトがニヤリと笑う。「『おまえ』ェ?」と愉快そうに復唱する表情は、完全に悪戯を思い付いた子供のそれだった。


「感謝してるんだぜ。俺が不安に震え、胸が張り裂けそうな孤独に苛まれていた時。寄り添ってくれたのはいつだってこの日記帳だけだった。これがなければ、俺の胸は今頃裂けてただろうなぁ。こう、縦にパックリと」

「今から引き裂いてやろうか!」

「『1月28日。今日も父上への謁見は叶わなかった。僕は兄上には遠く及ばない。精進あるのみだ。手始めにまずモチモチツリーナッツのソテーを食べられるように──』」

「音読するな!」

「『1月29日。あれは食べ物ではない。あのような醜態を晒すようでは、到底兄上には及ばない。あんな、あん、吐瀉物をぶち──』」

「ギイィィィイ!」


僕の顔面は、蒼白から赤に染まっている事だろう。腹立たしいことに、こいつにしか見えないのだが。乾いた笑み声を漏らしながら、マコトは僕の顔で楽しそうに笑う。かと思えば、笑みを消し、神妙な表情のまま恭しく首を振る。

伏せられた長い睫毛が、白い肌と深緑色の瞳に物鬱げな影を落とす。

……そういう表情をする僕は、何というか、こう、とても絵になる。

自分で言うのも何だが、僕は容姿だけは整っていたから。どうやらマコトは、僕よりも僕の身体の使い方を心得ているようだった。表情の作り方が抜群に上手い。側から見ると完全に、憧れの君である。


「ああ、俺の癒し。愛しの手帳の君。それがまさか──」


一連の百面相があまりにも極端で白々しいものだから、思わず呆気に取られてしまう。


「────まさかこんな、拗らせ陰毛ヘアーの野郎だなんて……」

「お前も全く同じ髪質をしているからな?」

「まさか!本当の俺はサラサラストレートヘアーだよ。性根は髪質に出るんだ。だからこそ俺はお前が哀れで、哀れで……」


よよ、と涙を流すマコト。本当に。本当にどうして、僕の拳はこいつに触れる事すらできない。殴り倒してやる。

周りの目などもお構いなしに、学園の廊下で睨み合う僕たち。

僕の姿は見えないはずだから、周りの人間から見れば、『自分から黒歴史を暴露し、百面相する恥晒しのプー太郎』である。略してジャップ。願わくばこのまま地獄へ送ってくれ。


「おや、モーガン」


同時だった。

その声に、自然と背筋が伸びる。空気がピンと張り詰めたような気がしたのは、気のせいでは無いのだろう。


「…………っ、」


モーガンとは僕の名だ。そしてこうも僕の事をこうも気安く呼ぶのも、この学園で1人だけ。


「兄……様」


俺の実兄にして、ユーチェスター公爵が長男、アルトゥールである。

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