第8話 笑顔と目
自画像、と言ってもそんな大層なものではない。ただ自分の顔を鏡を見ながらスケッチしただけの簡単なものだ。
健太は似顔絵を描くのが好きだった。病院の入院患者、医者や看護師、お見舞いに来る人たちや、清掃業者など病院に出入りしている人たちなど、いろいろな人の顔を描いてきた。
ただ、似顔を描いてくれ、と健太に頼みに来る人はほとんどいなかった。病院に来る人たちは悩みを抱えている人がほとんどで、そういう人たちの顔はどこか暗く、そんな顔を描いて欲しいとは誰も思わないのだろう。
それでも健太はいろいろな人の似顔絵を描いた。健太の絵の先生であるヒトミさんのアドバイスを守りながら。
それはエインフェルトに転生してからも変わらない。
「……これが私、ですか」
自分の自画像を描くついでにエインフェルトはハイリルとナイリルの似顔絵も描いていた。その完成した似顔絵を見てハイリルとナイリルは少し不思議そうな顔をしていた。
普段のハイリルとナイリルの表情は全く変わらない。常に無表情で何を考えているのかわからない。そんなふたりの似顔絵を描いた。
「なぜ、笑っているのですか?」
ハイリルがエインフェルトにそう問いかけた。表情も声のトーンも全く変わらないが、なんだか少し困惑しているようにも思える、そんな様子だった。
「笑顔のほうがいいじゃないですか」
「そう、でしょうか……」
ハイリルとナイリルは自分の似顔絵をじっと見つめる。
笑っている。微笑んでいる。絵の中のふたりは優しそうな笑みを浮かべていた。
笑顔、それが絵を描くときに気を付けていることだ。
転生する前の病院、そこに来る人たちは何か悩みを抱えていてどこか暗い顔をしていた。そんな人たちの顔をそのまま描いても暗い絵になってしまうだけだ。
だから笑顔にするのだ。その人の笑顔を想像しながら、その人の幸せそうな顔を思い浮かべながら似顔絵を描くのだ。
それがヒトミさんのアドバイスだった。笑顔を忘れてしまっている人たちに笑顔を思い出してもらうために、少しでも笑顔が取り戻せるように、その人の笑顔を思い描きながら描く。
健太はそのアドバイスを今でも守っている。それはエインフェルトに転生しても変わらない。
「笑っているほうが、よいのでしょうか?」
そうナイリルは問いかける。
「笑っちゃ、ダメなんですか?」
わからない、とハイリルとナイリルは首を振る。
「特に禁止されているわけではないのですが」
「今まで一度も笑ったことなどありませんので」
そう言って二人は顔を見合わせる。
「どうやって笑えばよいのでしょうか?」
「えっと……。そう言われると、難しいな」
どうやって笑う。面白かったり楽しかったりすれば自然と笑顔がこぼれる。嬉しかったり幸せだったりすれば笑顔になる。
「あの、何か楽しかったことを思い出してみては」
「楽しかったことなどありません」
「じゃ、じゃあ、嬉しかったことは」
「ありません」
「面白かったことは」
「まったく」
笑う、笑顔。それがこんなにも難しいものなのか、とエインフェルトは頭を抱える。ここで何か面白いことのひとつでも言えればよいのだが、そんなユーモアをエインフェルトは持ち合わせていなかった。
「ごめんね、何も思い浮かばなくて」
エインフェルトはしょんぼりと肩を落とす。そんなエインフェルトを見た二人は少しだけ不思議そうな顔をしていた。本当にほんの少しだけ。
「問題ありません」
「はい。何も問題はありません」
そう言うと二人はエインフェルトが描いた似顔絵に目を向ける。
「ですが、笑顔がよいというのならご命令に従います」
「いや、そんな、笑えって言われたから無理に笑うなんて」
「それが我々の使命ですので」
使命。冗談で言っているようには思えない。
笑えと命じられれば笑う。泣けと命じられればなく。おそらく二人はどんな命令にでも従うのだろう。なんとなくそう感じる。
なら、もし、死ね、と命じられたらどうするのだろうか。
「あ、あの……」
よくわからない。まだエインフェルトはハイリルとナイリルのことをよくわかっていない。
知っているのはずっとこの城にいること、ずっと自分の世話をしてくれていることぐらいだ。本気とは思えないが、200年以上この城に住んでいるとも言っていた。
エインフェルトは改めてハイリルとナイリルの二人を眺める。
二人はとても整った顔をしていた。そして本当に瓜二つ、まったく同じ言っていいほど二人の顔はそっくりだった。違うのは髪の色と目の色で、ハイリルのほうは黒髪に黒目、ナイリルのほうは銀髪に灰色の目をしていた。髪型も同じで二人とも髪の毛を肩のあたりできっちりとキレイに切りそろえられている。
二人の服装も同じだ。二人は同じようなロングスカートのエプロンドレスに身を包んでいる。スカートの裾はくるぶしあたりまであり、袖も手首のあたりまで覆う長袖だ。さらには手袋もはめており、襟も長く首をすっぽりと覆っているため、二人の肌の露出している場所は頭部だけである。その頭部も白いボンネットを被り髪の毛のほとんどを隠している。
あまりにも完璧なメイド。そんなふたりの姿になんとなく違和感を覚える。まるで作り物のような、そんな完璧さを二人は持っていた。
それにエインフェルトはひとつ気が付いたことがあった。
「あの、目、乾かないんですか?」
エインフェルトは二人の似顔絵を描いているときに気が付いた。
まばたきをしていない。ハイリルとナイリルは似顔絵を描いている最中も、そして今も全く目を閉じないのだ。それなのに涙のひとつも流していない。普通なら目が乾燥して涙がボロボロ流れてきそうなはずなのだが、そんな様子が全くないのだ。
「問題ありません」
「そう、なの?」
「はい」
問題ない。本当にそうなのだろうか。
全くまばたきをしない生き物もいるだろう。しかし、人間はそうではないはずだ。もしそうだとしたら、本当に二人は人間なのだろうか。
「む、無理は、しないでくださいね」
どうしたらよいのかわからなかった。本当に人間なの? と問いかけてもいいのかわからず、エインフェルトはそれ以上踏み込むことができなかった。
「これは、いただいてもよろしいのでしょうか?」
二人のことをあれこれ考えていたエインフェルトに自分の似顔絵を眺めていたネイリルはそうたずねた。
「う、うん。どうぞどうぞ。二人のために描いたんだから」
もちろん何も問題ない。二人にプレゼントするために描いたのだから何の問題もない。
「ありがとうございます」
「ううん。これぐらいしかボクにはできないし、何枚でも描くから」
喜んでくれたのだろうか。とエインフェルトは少し不安なる。なにせ二人の表情は全く変わらないのだ。その態度や表情からは何も読み取れない。
けれど、なんとなく、本当になんとなくではあるが喜んでくれているのでは、とエインフェルトはそう感じていた。
「描いて欲しいものがあったら何でも言ってね」
そう言ってエインフェルトは笑った。
二人の表情は変わらなかったが、なんとなく笑っているような、そんな気がした。
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