第6話 前世と現世
5歳の頃だ。ひとりの女性に出会った。彼女はボランティアで病気の子供たちの遊び相手をする大学生だった。
そんな学生が何人かいた。その中でも彼女は人気だった。
ヒトミさん、という名前だった。
ヒトミさんはとても絵が上手かった。とても絵が上手くてなんでも描くことができた。
誰かが仮面ライダーの絵を描いてとヒトミさんにお願いすると、彼女はすらすらと描いて見せた。
誰かがプリキュアの絵を描いてというとヒトミさんはあっという間に描て見せた。
ヒトミさんは何を描いても上手だった。まるで魔法のようだった。
そんなヒトミさんのことが健太は大好きだった。ただ、健太はほかの子供たちとは違っていた。
健太以外の子供はヒトミさんに何か描いてとお願いするだけだった。けれど健太は絵を描いてもらうだけでなく、自分でも書いてみたいと願った。
ヒトミさんのようになりたい。ヒトミさんみたいに魔法が使えるようになりたい。
魔法のように絵が描けるようになりたい。健太はそう思ったのだ。
ヒトミさんはそんな健太の願いを快く受け入れてくれた。その時からヒトミさんは健太の絵の先生となった。
いろいろなことを教えてもらった。教えてもらいながら何枚も何枚も絵を描いた。
時間だけはたくさんあった。だから描いて、描いて、描いて、描き続けた。
それはヒトミさんが病院に来なくなっても続いた。ヒトミさんが大学を卒業して病院にあまり来なくなっても健太は絵を描き続けた。
最初は憧れだった。次第に絵を描くということにのめり込んだ。そして、絵を描くことが人生の目的になった。
とにかく絵を描きたい。描いて、描いて、描き続けたい。
絵を描いているうちは自由になれる。体の痛みも苦しみも忘れて、どこか知らない場所へ、どんな場所へも行ける。
健太は何でも描いた。物も景色も人も、漫画やアニメのキャラクターも、時には神話や伝説に出てくる神様や怪物も、自分の妄想や想像の中にいるモノたちも、とにかく何でも描いた。
絵を描きたい。どうやらその思いは消えていないようだ、と健太は思う。
「本当にお上手です、エインフェルト様」
エインフェルト様、と呼ばれた健太は後ろに振り返りにっこりと笑う。
「ありがとう、ウォレスさん」
エインフェルト。それが今の自分の名前なのだと健太は理解していた。けれど、なんとなくまだ少しだけ違和感がある。
その違和感を埋めるために、目覚めてからいろいろと質問を繰り返してきた。ここはどこなのか、あなたたちは何者なのか、そして、この脚のアザは何なのか。
ここはどこなのかという質問に、ここは古い城である、とウォレスは答えた。ル・ルシール王国の北方にある城で、もともとは砦として建造された物らしい。いつ頃造られたのかは定かではないほど古く、王国が建国される以前からここにあるのだという。
その古い砦を改修して今はエインフェルトの住処となっている。けれどもともと砦ということで居住性は非常に悪く、そのため城の敷地内に小さな屋敷を建築してあり、エインフェルトたちはそこで生活している。
高い石の城壁に囲まれた強固な城。車椅子生活のエインフェルトにはどうやっても外に出ることはできないだろう。
あなたたちは誰なのか、という質問に、召使だ、とハイリルは答えた。ハイリルとネイリルはこの城に常駐しているらしい。ウォレスはエインフェルトと一緒にこの城に来たのだという。
ハイリルとネイリル。二人はずっとこの城に住み続けている。
ずっととはどれぐらいだろう、とエインフェルトは思った。だから質問した見たのだが、返ってきた答えは信じられないものだった。
238年、とハイリルは答えた。冗談かと思ったのだが、ハイリルは真面目な顔をしていた。
冗談、なのかもしれない。けれど、本当なのかもしれない。なにせ自分が別人になっているのだ。何が起こっても不思議ではないのだが、ハイリルとネイリルがこの城に200年以上住み続けているという証拠もないので確かめようがなかった。
ウォレスはエインフェルトと一緒に城に来たと言っていた。もともとは国王専属だったが、王の命令でエインフェルトの世話をしているのだと言う。
そして、このアザはなんなのかという質問にウォレスはこう答えた。
それは呪い。かつて王国を支配しようとした邪悪な魔王が死ぬ間際に残した呪い。そのアザは王家の血を引く子供に現れ、呪いのアザを持って生まれた子供は今のエインフェルトのように外へ出ることなく一生を終える。
「そのアザがあるおかげでこの国の平和は保たれているのです。お辛いでしょうが、これは王家の血筋に生まれた宿命なのです」
このアザはその呪いを封じ込めるためのものらしい。かつては呪いにより王国は滅びようとしていたが、旅の魔法使いにより封じ込められ、王家の子供が犠牲になることで呪いを抑え込んでいる。
なんともひどい話だ。残酷な話である。
けれど、どうしようもない。エインフェルトにはどうすることもできない。
「呪いを解く方法はないの?」
「まだ、見つかっておりません」
エインフェルトは動かない脚をさする。
エインフェルトとはどんな子供だったのだろうか、と健太は考える。考え、記憶をたどる。
だが、記憶は曖昧なものだった。ほとんど何もないと言っていいだろう。
しかし、それも仕方ないだろう。生まれてからその短い人生を終えるまで古城の敷地内から一歩も出たことがなく、記憶の中にある人の顔といえばウォレスとハイリルとネイリルだけ。
それ以外の人間と言えば、おそらくエインフェルトの診察をしに来た医者らしき人物の記憶はある。ただ、その医者らしき誰かは顔を隠しており、会話をするときは医者がウォレスに耳打ちをして、その内容をエインフェルトに伝えるという方法をとっていたので声もわからない。男だったのか女だったのか、若いのか年老いているのか、子供なのか大人なのかもわからない。
寂しい人生だった。記憶の中のエインフェルトはいつも満たされていなかった。
ただ、不自由ではなかった。不自由ではあったが、贅沢な暮らしをしていた。
望んだものは何でも買い与えられた。外に出たい、という願い以外は何でも叶えられた。
今もそうだ。外に出たいという願いは叶えられないようだが、画材道具一式が欲しいと言えばすぐに手に入った。
「欲しいものがありましたら、なんなりと」
とウォレスは言っている。その言葉におそらく嘘はないだろう。
なんでも手に入る。けれど満たされない。
健太は考える。これからどうすればいいのかと。エインフェルトとしてどう生きていけばいいのだろうと。
自分はエインフェルトではない。菱木健太だ。自分はエインフェルトではないとウォレスたちに伝えた方がいいのだろうか。
でも、しかし、けれど……。
あの目は、ウォレスが時折向けてくるあの目は。
健太は絵を描き始めてから色々なものを観察するクセがついていた。だから、気がついていた。
ウォレスが時折おり向けてくるあの鋭くて冷たい目。そんな目を向けてくるウォレスが少し怖くて、何を考えているのかわからなくて、エインフェルトの中にいる健太はどうすることが最適なのかわからず戸惑っていた。
どうしよう、と悩んでいた。
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