第2話

 それからしばらくポン子と俺の「つまみ食いの寄り道」は続いた。

 今の季節は食料が多いので、冬に備えて沢山食っておく必要は確かにあるが…流石に量が多すぎて食いきれなかったので一部は土に埋めて保存した。そしてその脇でポン子は俺以上に食っていた。

 目当ての場所に辿り着く頃には、大きな月が真上近くに上がる、亥の刻(22時)近くの自分になっていた。


 「やっぱり景色が森と全然違うっスね〜!あ、見て見てコン吉くん、あそこなんか光ってるっスよ!」


 「そうだな」


 人間の村の前に来て、ポン子が呑気に声を上げる。この村はポン子に会う前、俺が確認していた村だ。普段は行く事がないここらは、少し前までは森で動物達の餌場だったらしいが、今は人間どもの畑や家が広がっている。集団規模でいうとそこまで大きくないのだろうが、それでもかなりの広さだ。


 (さっき「寄り道」した時に見かけた罠も、きっとここに住む人間が用意したんだろうな…)


 親父達を殺した人間も、ここに住んでるのかもしれない…とも思ったが、そんなモン考えるだけ無駄なのでそれ以上はやめた。

 人間は憎いし恐ろしいが、会わなきゃ関係ない。それに今日はただ葡萄を食いに来ただけだ。ポン子もいるし、見つからないうちに行ってさっさと帰ろう。

 

 「よし…行くか」


 月明かりが照らす中、俺とポン子は一列に並んで葡萄がある畑の中に忍び込んだ。


 「ヒィッ…!こ、コン吉くん、あそこになんかいるっス、きっと化け物っス…!」


 「シッ、大丈夫だから落ち着け。ありゃただの案山子だ」


 「な、なんだ、カカシかぁ…びっくりしたっス…」


 (コイツ前も同じ案山子でビビってたな…)

 

 さっきまで元気だったのに、ポン子は虫の動きにも牛蛙の鳴き声にも案山子の影にもビクビク怯えている。なんなら時々狸寝入りもかましたりした。が、食欲だけは獣一倍強いので遅くとも前に進む足は一切止めない。

 前回来た時は葡萄の実の成り具合が微妙で何も食わずに帰った。今回はあの時よりも柵やら罠やらが増えていたが、回避したり下から掘って抜けたりして、なんとか葡萄の木々がある一角にたどり着いた。


 「やっとぶどうが食べられるっス〜…けど、なんか見た感じ美味しーやついくつか食べられてるっスね…先越されたっス…しかもなんか落ちてるやつもないっス…ううぅ…」

 

 「まぁいいじゃねぇか、上にまだ成ってる実があるんだしよ。1番じゃねぇにしろ美味いモンには変わりねぇだろ。」


 ポン子を宥めながら俺は葡萄を見上げた。

 野生に生きる俺達にとって食べられる果実は貴重だ。だから早い者勝ちなのは仕方ない。そもそも「人間の村に美味い葡萄がある」って聞いたのも獣づてな段階で、ある程度は飲み込むしかない。


 「それもそうっスね…よし、早速とって食べるっスよ!」

 

 意気込んで葡萄の木を登ろうとするポン子に、俺は疑問を投げかけた。


 「ポン子お前、木登ンの得意だったっけか?」


 「ぜんっぜん得意じゃないっス!でも目の前に美味しいものがあるなら引き下がるわけには行かないっス…あと雌はド根性っス!」


 「そんなン聞いたことねぇんだけど…ちょっと待ってろ、俺が登る」


 「コン吉くんは登るの得意なんスか?」

 

 幹にしがみついてはズルズル落ちるを繰り返すポン子は登るのをやめて俺を見た。


 「あぁ」


 俺はポン子が登ろうとしていた木とは別の、少し低い所で2つに枝分かれしている木の幹に飛び乗った。そこから慎重な足取りで枝に乗り、上に登っていく。


 「おぉ〜!すごいっス!コン吉くん流石っス!」

  

 「まぁな」


 見下ろすとポン子は興奮したようにピョンピョン跳ねていた。

 顔を上げて離れた所にある人間の家を見る。まだ灯りはついていた。が、これだけ離れていればまぁ気づかれることもないだろう。


 「おいポン子、どの葡萄がいいか言えよ。それ落としてやるから」


 「ほんとっスか!?じゃあえーと、えーと…あ、そこの、コン吉くんの前にある、1番おっきいやつがいいっス!」


 「これか?」


 「それっス!」


 ポン子が示した葡萄を俺は前足で手繰り寄せ蔓を噛み千切る。大ぶりでツヤツヤした実がなっている葡萄は、そのままポン子の前にボトリと落ちた。


 「わーいぶどうっス〜!ツヤツヤですっごく美味しそうっス!」


 「待望の葡萄なんだ、しっかり味わえよ」


 「うん!いただきまーすっス!」


 ポン子は嬉しそうに葡萄の粒にかぶり付いた。

  

 「うんまぁ〜〜〜!めちゃくちゃ美味しいっス!コン吉くんこれすごいっスよ!甘くてじゅわってしてやばいっスよ!こんな美味しいぶどう初めて食べたっス!」


 どうやら葡萄は酸っぱくなく、たいそう甘く美味いようだ。

 声を抑えつつもまるで犬っころのように尻尾を振りたくって喜ぶポン子を見て、思わず少し笑ってしまう。

 コイツのこういう反応は何度見ても見飽きないモンだな。


 「コン吉くんも一緒に食べようっス!」


 いつものように俺を誘う言葉。昔から変わらないポン子のその笑顔を見ると、なんというか安心する。

 親父どころかお袋も殺されて、しかも兄弟ともはぐれてぴいぴい泣いてたガキの俺に、 


「美味しいモノ食べたら、悲しー気持ちなんて吹き飛んで元気になれるっスよ!あっちに桃があるっスから、一緒に食べようっス!」


と、当時のポン子は優しい笑顔を向けてそう言ってきた。

 狸と狐の成長速度の差のせいか、ポン子は昔からあんまり見た目が変わらなかった。その時は俺よりも大きかったのもあって、なんだかポン子が頼もしく見えたのを覚えている。そしてアイツは、俺に美味い桃を探して寄越してくれた。

 あの時食べた桃は、甘くて瑞々しくて、確かにとても美味かったと思う。

 

 そんなことを思い出して少し懐かしい気持ちになりつつ、ポン子に言葉を返す。


 「おう、今そっちに行く…」


 その時、遠くから何やら喧しい鳴き声が聞こえた。

 ハッと顔を上げて声のする方を見ると、例の明かりのついていた家から灯りを持った人間と犬一匹がこちらに向かって走ってきていた。 


 「だだだ、誰か来てるっスか!?」


 「っしまった…おいポン子!来た道通って先に逃げろ!」


 「え、え?さ、先に逃げろって、コン吉くんはどうするんスか!?」


 「俺は大丈夫だから気にすんな!念の為アイツら撒いてから逃げる!だから先に自分ンちに帰れ!早く!」


 「わ、わかったっス…っ!」


 ポン子が来た道を走って行くのを見送ってから、俺は人間達の前にわざと向かって走った。幸い犬っころは1匹だ、適当に畑の中で撒いてから逃げればいい。


 「って、おいなんか増えてんじゃねぇかよ!!」


 1匹だけだと思ってたデカ犬の後ろに追加で若い犬っころが4匹増えていた。どうやら子持ちだったらしい。捕まえる気満々じゃねぇかふざけんなよ。

 

 「くそ…ッ!」


 6尺(2メートル)はある高い草が生えている草むらに飛び込んで逃げ回る。

 遠くから複数の人の声、そして左右に二匹、後ろから一匹、鳴き声と駆ける足音が聞こえてくる。ポン子の方に行ってないらしいので一安心だ。

 俺は撹乱するようにわざと滅茶苦茶な方に走った。しかし付いてくる気配は消えない。

 それからどれくらい走っただろうか、流石に酸素が足りず息が苦しくなり、心臓が破裂しそうなくらいにバクバク鳴っているのを体で感じながら、それでも俺はもつれそうになる手足を必死に動かした。


 (ここを抜けて、その先の囲いを、飛び越えれば…ッ!)


 そう思った瞬間、後ろから体当たりするようにデカ犬に体を押さえつけられた。


 「っぐあ…ッ!!」

 

 「観念しろ、この泥棒狐」


 俺よりも一回りでかいデカ犬は、冷ややかに俺を見下ろしていた。周りを見ると他の犬っころもゾロゾロと集まってくる。


 「ここ最近、田畑を荒らし、鶏小屋の鶏を攫ったのはお前だな。フン、いかにも悪獣といった面だ。」


 「は…っ!?」


 知らねぇよ!とんだ濡れ衣だし俺の顔の悪口言ってんじゃねぇ!と叫ぼうと思ったが、コイツらからしたらそんなの関係ないんだろう。

 どうりで罠やらなんやらが増えたはずだし、落ちてる葡萄も一つもないはずだ…俺とポン子以外の奴らも先に来てンだから。もしかしたら、俺達が来る直前までソイツらもいて、葡萄や作物を食ってたのかもしれない。そんで実際俺も忍び込んでるから、コイツらから見たらまぁ、クロだ。しかしあんまりじゃねぇか。

 

 「ご主人様は大層お怒りだ。害獣どもは全て皮を剥いで服にして、血肉は田畑の肥料にして、そして残った骨は獣避けとして村の入り口に飾ると言っておられた」


 「っ…随分と、お前のご主人様は、悪趣味だなぁ…ッ?」


 俺が煽るとデカ犬は険しい顔になりググ…ッ!と俺を押さえ込む力をさらに強めた。


 「黙れ。卑しく穢れた害獣の分際で」


 「ッ、ぐぅ…!」


 「…面はともかく、お前は綺麗な毛並みをしているからな。ご主人様は紅い毛並みの狐が好きなのだ…他の2匹と同じで、さぞ映える良い襟巻きになるのだろうな」

 

 「っ…!」


 そう言って嘲笑うデカ犬の下から無理やり抜け出して俺はその太々しい喉元に噛みついた。相手が「キャン!」という情けない声を上げて離した拍子に、体勢を立て直して牙を剥く。


 コイツの「ご主人様」とやらが、俺の親父達を殺したあの時の人間だ。


 「ぶっ殺してやる…!」


 俺は怒りのままにデカ犬に飛びかかり喉元を食い千切ろうとしたが、デカ犬は頭を振って振り解き、逆に俺の首をガブリと噛み返してきやがった。首に食い込む牙の痛みで「ギュゥッ」と呻き声が漏れたが、前足でデカ犬に目潰しを喰らわせ、怯んだ隙にすぐに反撃し返す。互いに取っ組み合いで暴れ合い、ゴロンゴロンと上下が激しく入れ替わる。

 周りの若い犬っころどもも慌てて俺を止めようとして俺に噛み付き押さえ込んだ。五対一、どう考えても勝ち目はなく俺はまたもやあっさり組み敷かれてしまった。


 (クソ、クソ…ッ!)


 もう抜け出す力もなく、咬み傷で痛む全身に顔を顰めながら俺はデカ犬どもを睨んだ。


 (こんなとこで…っ)


 さっきまでの沸騰しそうなくらいの熱が冷めた瞬間、ポン子の事が脳裏をよぎった。俺がこのまま殺されたらどうなるんだろうか。アイツもすぐに捕まって、コイツらの餌にされちまうんだろうか。皮を剥がされて、親父達のように襟巻きにされちまうンだろうか。


 (ポン子…っ!)


 こんなとこでくたばってたまるか。必死で意識を繋いでまた逃げようと四肢に力を込めた、その瞬間。


 「グォオオオオオッ!!!!」


 「うわぁあああ化け物だぁッ!」


 「キャアアアアッ!!」


 「助けてくれぇっ!」


 ビリビリと地面を轟かせるような獣の咆哮と、人間どもの悲鳴が聞こえ、ハッと顔を上げ、その声の方を見る。


 そこには太い尻尾を持った、山みたいに馬鹿でかいおぞましい化け物が、いた。

 信じられなかった。だってあんなの、まるで言い伝えの…


 「ヤノヅミ…」


 俺は息を飲んでそう呟いた声は、人間の阿鼻叫喚の声によってかき消された。誰が誰かの声かもわからない叫びが暗闇にこだまする。まるで地獄だ。

 犬っころどもは恐怖からか、それとも「ご主人様」を守りに行ったのか、俺から離れてどこかに駆け出していったが、俺は呆気に取られて動けなかった。


 「嘘だろ…」


 アレが本当にヤノヅミなのかはわからない。しかしなんであってもきっとロクなもんじゃない。

 犬や熊ならともかく、それよりもずっとでかい化け物なんてもう、どうしようもない。だって逃げたって意味ねぇんだから。あんなモン一歩動くだけで辺り一帯の生き物が死滅する。


 (ああ、結局あの葡萄…一緒に食えなかったな…)

 

 これが最期になるってんなら、せめて一粒でも食っときゃ良かった。アイツがあんなに美味いって喜んでたのに。



 (アイツも、あの化け物のせいで死んじまうのかな…)


 アイツが死ぬなんて考えたくもないが、もう俺にはどうしようもできない。今頃一匹で家で震えて泣いてるかもしれない。

 




 (ポン子……俺は………)





 化け物は大きな目でギョロリと俺の方を見た。しかし俺の意識はどんどん遠のいて、もう何もわからなくなった。

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