のけもの達の晩餐

月餠

第1話

 「…ポン子の奴、来ねぇな…まぁだ寝てんのかアイツ…?」


 いつも待ち合わせに使っているアカクギの木の下で、俺はため息をついた。

 ポン子というのは俺がガキの頃から連んでる奴で…まぁ、要はダチだ。

 アイツは夜、飯を食いに行くこの時間頃だけは、俺より先に来ていて、なんなら近くの食べるものを探したりしているくらいの食いしん坊なのに、今日は四半時(三十分)待ってもやってこない。珍しい事もあるもんだ。


 「しゃーねぇな、アイツんちまで迎えに行くか…」


 もう時刻は夕方で、あたりは薄暗く、赤い太陽が向かいの1番でかい山…ヤノヅミ山の裾にゆっくり沈んでいくのが遠くに見える。ちなみに山の名前はヤノヅミ様という、大昔ここらに現れたというバカでかい化け物にちなんで昔の人間がつけたらしい。どんな名付けの仕方してンだか。

 念の為生い茂る葉の隙間から山の下の様子を見る。そこには家や田畑が見えた。夕陽に照らされた田んぼは、黄金色の稲穂がキラキラと輝いていて、その脇に人間どもが住む傾斜のついた大きな茅葺き屋根が、長く影を地面に伸ばしている。そしてその家に向かって、着物を着た色んな人間が入っていく。あの人間どもも夕飯時なんだろう。

 確認を終えると俺は、橙色から藍色に染まり始めた山の木々の間を足早に抜け、ポン子の棲家に向かった。

 


「ポン子ぉー、おい、いる…?」


 近くまで来た所で、俺は異変を感じ岩の陰に隠れる。

 何か、変な音が聞こえる。


 (なんだ…?)


 息を潜めて耳を澄ます。それは「ヴヴヴヴ…」という獣の唸り声のような、くぐもった悍ましい声だった。そしてその声は、ポン子の棲家の方から、聞こえた。


 (嘘だろ…まさか熊か…!?)


 恐怖で背筋に冷や汗が伝う。

 いや、今の鳴き声の感じなら熊じゃなく狼かもしれない。しかしどちらにせよ恐ろしい。そして俺より弱い上ビビリなアイツは、戦ったり反撃は出来ない。もし中にいるのなら、逃げ場もねぇってことになる。

 脳内を最悪な想像が駆け巡り、ブワリと全身の毛が逆立つ。

 俺はそのまま唸り声のする方に飛び出した。


 「っおいテメェ!!ポン子に手ェ出すな…って、は…?」


 俺は目の前の光景に思わず固まった。

大岩が脇にあるポン子の棲家は、いつもなら木の根の下を潜るように出入り口の穴…俺がくぐって通れないくらいのやや小さめの穴が、ぽっかりと空いている。

しかし今は、その穴を塞ぐように狸のケツが生えていた。

 

 (…?…??)

 

 てっきり敵がいるかと思った俺は困惑のあまりそのケツを見つめた。

 いや、つか、絶対これ…


 「そ、その声は…!我が友コン吉くんっスかぁ…!?」

 

 俺の先程の怒鳴り声に反応して、尻尾をゆらりと立てながらそのケツが泣き濡れた声を上げた。

 できれば見知らぬ他獣のケツであって欲しかった…それはそれで問題か…


 「…そうだけど…ポン子お前、何してんの…?」 


 この…現在進行形でケツを出してる奴がポン子だ。コイツは狸で俺は狐と種族の違いはあるが、まぁそんでも今まで仲良くやってきている。

 しかしコイツ、なんで無防備にケツなんか出してんだ。赤毛の俺と違って、茶色で目立たねぇ毛色だからバレにくいにしろ危ねぇだろうが。


 「ううぅ…何って言われてもぉ、見ての通り詰まったんスぅ…」


 「は?詰まった?」


 話を聞くと今日の朝、たんまりと飯を食い終えたポン子は、自身の住処であるアナグマの古巣に入ろうとしたが、出入り口でケツと腹がなんかいい感じにつっかかってしまい、そのまま抜けなくなったらしい。そして今の今までこの状態でいて、途方に暮れていたとのことだった。

 成程、合点がいった。元々ポン子が住処にしてる古巣は穴の幅が狭めではあったからな。

 そして先程聞こえていた「ヴヴヴヴ…」という不気味な声も、こいつの泣き声だったらしい。

 事の顛末を理解した瞬間、俺は全身の力が抜けてその場に崩れ落ちた。

 

 「お前マジで……」


 「すんませんっス!すんませんっス!!」


 「いや、もう……いいよ…お前が生きててよかったよ…」


 コイツのこういう所は今に始まった事じゃない。そして予想していた最悪の事態ではなかったので、俺は心の底から安堵していた。というか逆によくこの体勢で半日も無事だったな。

 とはいえポン子からしたら穴に詰まって出られないという悲劇的(?)な現状には変わりない。


 「ううぅ、今日こそは甘くて美味しいぶどうを食べるって決めてたのに…」


 「今食い過ぎで穴につっかえてんのにまだ食うこと考えてんのかよ…」

 

 「だってめちゃくちゃ楽しみにしてたんスもん…」


 「つか腹とケツがつっかえてるって事は、お前もうちょいここで待ってたらもっと痩せて抜けられるんじゃねぇの?」


 「そんな殺生なぁ…これ以上何も食べずにいたら、お腹と背中くっついちゃって本当に餓死しちゃうっスよ…」


 ポン子の悲しそうな声に合わせてキュルルル…とポン子の腹も泣き始めた。

 

 「むしろそうならないと出られないっつー話を俺は今してんだけどな…はぁ、しゃーねぇなぁ」

 

 俺はポン子の腰回りに顔を近づけた。


 「まぁ上はともかく下は土だ。掘っていけば穴も広がって出られるかもしんねぇ」

 

 「なるほど!さすがコン吉くん!賢いっス!」


 ポン子の太い尻尾が讃えるようにフリフリと揺れる。


 「そりゃどーも。今掘るからお前動くなよ」


 「リョーカイっス!」


 ポン子の腹の下の土をガリガリと掘る。少し窪みが広がってポン子の腰回りに余裕ができた。


 「うし、こんなもんだろ。ポン子どうだ?出れそうか?」

 

 「やってみるっス!」


 ポン子が抜け出そうと四肢を踏ん張らせたので、俺は少し後ろに下がって見守る事にした。さっきはあまり気にしてなかったが…改めて見るとすんごい滑稽な絵面だな。

 

 「う、うぐぐ…っ…ふんぬ…っ!ぬおーッッッ!!…っは、だ、だめっス、まだちょっとキツいっス…っていうか、なんか、上の木の根っこ?も引っかかってるみたいっス…」


 「マジか。木の根っこは俺にもどうにもできねぇな…」


 「じ、じゃあアタシ、まだこのままなんスか?ううぅ〜」


 「あー、泣くな泣くな。なんとかすっから」

 

 しかし上の根っこが引っかかってる原因なら、これ以上下の土を掘ってもおそらく意味はないだろう。


 「…やるしかないか。おいポン子」


 「なんスか?」


 「今からお前を引っ張り出す。だから暴れんなよ」


 「え、ひっぱり出すって…ヒッ!?こ、コン吉くん、なんでアタシの尻尾を咥えてんすか…?ま、まさか…」


 嫌な予感を俺の言葉と尻尾に感じたのであろうポン子の震えた声が巣穴の奥から聞こえる。

 

 「我慢しろ、すぐ終わらせっからよ」


 「え、ちょ、コン吉くん、待っ…っうぎゃあああああっ!!!!」



 すっかり陽の落ちた山中に、ポン子の悲痛な叫びが響き渡った。




 

 「ううぅ…背骨ごと尻尾ひっこ抜かれるかと思ったっス…でもコン吉くん助けてくれてありがとうっス…アタシもうあのままのたれ死ぬかと…」 


 二匹して葡萄を食べに行く道中で、息も絶え絶えな声でポン子は俺にお礼を言った。

 

 「おう。最悪な最期にならなくてよかったぜ」


 「すんませんっス…でも、もう出入り口の穴広げたし、これで好きなだけ食べても大丈夫っスよね!へへへ」


 「お前マジで食べるの好きな…」


 「大好きっス!…あ、コン吉くん見て見て、虫がいっぱいいるっスよ!」


 「おい、葡萄食いに行くんじゃねぇのかよ?」


 「行くっスけど〜、こっちもちょっとだけ…だ、ダメっスか?」

 

 狐の俺より一回り小さいポン子は、上目遣いでチラチラと様子を伺うようにこちらを見てくる。その様子が妙におかしくて、思わず吹き出してしまった。


 「ダメじゃねぇよ。好きなだけ食え」

 

 「やったー!いただきまーす!」


 俺が言うや否やポン子は虫がいる土に頭を突っ込んだ。

 

 「うま〜!この季節のものは1番美味しいっスね〜!」


 「それ春夏秋冬全部で言ってるよな」

 

 「実際そうっスから!春夏秋冬全部1番美味しいってお得っスね〜!」


 ポン子はニコニコしながら道すがらに他に食べ物がないか探し始める。俺は周りを見ながらその後ろをついて行った。


 「あ!あっちにドングリが落ちてるっスよコン吉くん!行って食べようっス!」


 「おう」


 「この柿食べ頃っス!コン吉くん一緒に食べようっス!」


 「わかった」


 「わーアカエリオオダケが生えてるっス!」


 「そのキノコも食えんのか?」


 「いや食べれないっスね、食べたら即死っス」


 「じゃあなんで反応したんだよ…」

 

 スン、とした顔でそう答えるポン子に俺は呆れたが、コイツは食べれるものとそうでないものが分かる。たとえ食料が少ない冬でも、ポン子はすぐに食料を見つけ出すことができる。そして俺はそのおこぼれに預かることも少なくない。


 「あ!あんなところに美味しそうな鳥肉があるっス!」


 「馬鹿、よく見ろ。ありゃ罠だっつの。無視だ無視」


 「ええぇ〜マジっスかぁ…美味しそうなのに残念っス…」


 俺が駆け出そうとするポン子の首根っこを咥えて引き留めると心底残念そうな声を上げた。

 …ポン子は確かに食に関しては一流だ。が、それ以外はポンコツで人間どもが仕掛けた見え見えのくくり罠にすら引っかかりそうになるので、その度に俺は制止している。

 

 (俺が止めなきゃ即捕まって狸汁とかにされてんだろうな、コイツ…)

 

 ふと、両親の事を思い出した。俺の親父は家族のために餌を取りに行った時、そのまま帰ってこなかった。お袋はその後人間の罠にかかって捕まった。そしてその後に、親父たちと同じ、真っ赤な毛並みの狐の皮二枚を身につけた人間を見た時の気持ちを、俺は今でも忘れられないでいる。

 だからポン子の警戒心のなさにはいつもヒヤヒヤさせられる。が、その分俺が気をつければいいだけの話だ。


 (まぁ、持ちつ持たれつってやつなんだろうな、こういうのは…)


 そんな事を思いながらポン子を見ていると、なにやらまた土を掘り返していた。


 「んー…あ、いた!ヒラオキカネムシの幼虫っス!これ甘くて美味しいんスよね〜。はい、コン吉くんどーぞっス!」


 「どうぞ…って、ポン子が食わなくていいのかよ」


 俺の問いに、ポン子は土からほじくり出したその幼虫をさらに鼻先で転がして寄越した。


 「アタシはいつでも食べれるっスから!」

 

 「でもよ、いつも言ってるけど俺はお前ほど味の良し悪しわかんねぇぞ」


 俺は、食事はただの栄養補給としてしている方だ。活動に必要な分だけの栄養が取れて腹を満たせたら、腐りかけの生ゴミだろうが新鮮な兎肉だろうが味は気にせずなんでも食う。

 しかし、ポン子は舌が肥えている方だ。俺よかコイツが食った方がいいと思うが…


 「だとしても、コン吉くんには美味しいもの食べてほしいっス!美味しい食べ物をキョーユーしたいっス!」


 そう笑顔で言われてしまったら、断る言葉もない。


 「…そうか。じゃあありがたくいただくぜ」


 「どーぞどーぞ!」


 ウゾウゾと逃げようとする太った幼虫を咥えてプチリと歯で噛み締める。その瞬間、ポン子が言うようになんだか甘くてまろやかな味わいが口内に広がった。

 しかし、やっぱりポン子のようにはしゃぐほどの感情はやって来ない。

 咀嚼した後飲み込み、ペロリと自分の口周りを舐めてからポン子の方を見ると…アイツはただただ嬉しそうに笑ってこっちを見ていた。


「…なんだよ?」

 

 「へへ…なんでもないっス。他にも美味しいのいっぱいあるはずっスから、一緒にたくさん食べるっスよ!」

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