第22話 翼

 まずは、気絶したハル君を安全な場所に運ばなければならない。空高く駆けるように敵を飛び越して、砂浜とコンクリートの境界線に彼を下ろした。


『フウ……よくぞ、戻ってきてくれたね。状況は、説明しなくてもわかるかい?』

「ええ、悲しいけれど。……ひたるのは、何もかも終わってからにしないと」


 それにしても、奇妙なシャドーだ。改めて向き合って、考える。今まで、人の言葉を喋るような個体なんていなかったのに。


「ちょいビックリはしたけどさぁ……こんくらいで調子乗ってもらっちゃあ困るワケ。キミの手の内はもうバレてんの。わかる?」

「さあ? あなたのその稚拙な脅しが正しいかどうか、自分の目で確かめてみたら?」

「……余裕ぶってんじゃねえぞ、クソが!」


 シャドーは青く透明な手を伸ばし、私を捉えようと迫った。頭はない。ハル君が、潰してくれたから。


「フライ、せめて魔核がどこにあるか、わからない?」

『……僕らも万能じゃない。データがない以上、的確な指示は難しい。ただ』

「ただ、何」


 伸びる触手を蹴飛ばし、かわして、砂を鳴らし走り続ける。まだ本体には程遠い。


『敵が、攻撃から庇ったり、大事にしている唯一のものがあるとすれば……。それが、核だ』


 飛んでくる水の弾丸を足で受け止め、勢いのまま蹴り返した。しかし、所詮は水だ。シャドーの元まで届くはずもない。


「うぜー、そんなに頑張って何になんだよ。寄生虫共の奴隷のくせにさぁ……。あーしに使われるのも、そのハエ野郎に使われるのも大して変わんないっしょ」


 フライのことだろうか。酷い言われようだが、少し納得した自分もいる。それが可笑しくて、思わず口角がピクリと震えた。


「……そうね、確かに」

「ほーら」

「でも」


 背後から回り込んだ触手を咄嗟に踏みつけ、足に力を込める。


「守りたいものを守れる今の方が、ずっとマシだって気づいたの」


 だからもう、逃げたりはしない。触手を蹴り上げ、自ら巻き込んで旋風を起こす。

 巻き込まれた本体は遥か上空に吹っ飛んで、千切れた触手だけが手元でドロリと消えた。


『ありがとう、フウ。魔法少女でいてくれて』

「勘違いしないで。私はただ、フライを利用しているに過ぎないんだから」

『わかっている。だからこそ、お礼を言いたくなったのさ』


 まだ、戦いは終わっていない。空を仰いで、目を見開いた。


「浮いてる……」


 シャドーが。それはもちろんのことだ。しかしもう一つ、黒い体が口についばまれ、宙ぶらりんとなっている。


「キャハハ! そのリアクション! そんなにこの人間が大事なんだー、へー。巻き込んでおいて、せいかーい」


 雲の水蒸気に乗り移り、シャドーは空に留まっている。ここから飛び上がっても、きっと届かないほどの距離。


「どうしよっかなー、キミが観念するって言うなら見逃してあげてもいいけどなー」

「……っ卑怯者」

「あーあ、今の言葉遣いで完全にカチンときたわー。処刑決定な、こいつも、キミも」


 ハル君の体が、ゆっくりと雲に呑まれていく。


「ダメ……やめて……」


 ああ……私は、また、失敗するのか。


『逃げるのかい?』


 フライの声が頭に反響する。諦めるのは、現実から目を逸らすことは容易たやすい。だから私は、今まで後悔ばかりの人生だった。ない可能性に囚われて、下を向いてばかりだった。


「——まさか!」


 向き合うと決めたから。自分の思う精一杯で、上を向いて歩み続ける覚悟を決めて、ここに来たのだから。

 足に込めた力に応えるように、光は収束し、一つの姿を形作る。


『ならば僕の羽を、君に貸そう。……僕も決めたよ。君と、心中する覚悟をね』


 ハイヒールが砂を跳ね上げ、瞬間、周囲の空気が切り裂かれたように鳴いた。

 全身を風圧が襲うたび、地面は遠くなり、空気は澄んでいく。


「キャハ、飛べたから何? 今更そんな秘密兵器出したところで、勝てなきゃ意味ないんだよ……!」


 雲は首と片手、片足のない女の子の姿をかたどって、全身から無数の針を周囲に飛ばす。水の針を飛ばすたび、すり減っていく体。その腰にかけられたサングラスだけが異質で、妙に目についた。


「ねえ、そのサングラス……素敵ね」

「っ……!」


 動揺し、腰を庇おうとした一瞬の隙をついて、翼をはためかせ風を切る。針なんて、いくらでも体に刺さればいい。致命傷にならなければ、何だっていい。


「クソッ、少しはひるめよ! バケモンか!」

「それを、あなたに! 言われたくない!」


 翼を構成する羽一つ一つがざわめいて、足は導かれるように対象を狙いすましていた。


「あっ!」


 サングラスが宙に舞う。私はそれを容赦なく、上段蹴りで貫いた。


「あ、嘘……ウ、ソ……こんな……こんな、ところで」


 伸ばした片手は溶け、水蒸気となって空に還っていく。

 同時に、空中へ繋ぎ止められていたハル君の体も、重力に従って落下し始めた。

 慌てて羽を広げ、それを受け止める。


『フウ……すまない……言い忘れていたことが、一つ』


 フライの苦しそうな声に合わせて、羽がサワサワときしみ出す。


「もしかして……制限時間がある、とか?」

『……流石。やっぱり君は、察しがいいね』


 二人は、光に包まれながら、ゆっくりと死の淵へ、黒い海へと落ちていく。

 それはきっと、夜空を裂く流星のように美しい景色だったろう。目を閉じて、他人事のようにそう思った。

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