第21話 覚

「あ、花火。ねえ春彦、今の見た?」


 少し遠くの空に咲いた光を指差して、母はにっこりと微笑む。


「ああ……うん。綺麗、だね」


 でも、儚い。たった一瞬輝いて、後には何も残らない。

 幸せそうな両親の姿が嬉しいはずなのに、それをどこか他人ひとごとのように眺めている。そんな自分にふと気がついて、訳もわからず虚しくなった。


「列、進んでるわよ。ささ、先にお参り済ませちゃいなさい」


 背中を押され、賽銭箱の前に立つと、少しだけノスタルジーの香りがした。思い出の一つさえも、覚えていないくせに。

 目を閉じて、形だけの祈りを捧げる。


「よ! ハルっち!」


 目を開けて振り向けば、手を振る友達の影が揺らめいて見えた。


「あら、お友達? いいわよ、二人でお話ししておいで」


 親から離れ、人混みの中をかき分けて友達の後ろをついて行く。


「なあ、ハルっち。もう願い事書いた?」

「……願い事?」

「そ。ほら、短冊にさ……あ、あそこ。あそこで書けるんだよ。さっさと行こう!」


 手を引かれて走っていると、まるで童心に帰ったような、既視感にも似た胸の高鳴りが全身を震わせた。

 子供達に混じって、手のひらほどの赤い短冊にペン先を軽く付ける。


「……っ」


 ひとりでに「会いたい」の四文字が浮かんで、一体誰に、と自問自答する。


「そういえばさ、七夕祭りのこと教えてくれたのってハルっちだったんだよな。中学入るまでは……ほら、この辺に住んでなかったからさ、僕」

「そう、だったんだ」

「そうそう。覚えてないかもだけど、一回一緒に行って、同じように願い事書いたっけなー、と思って」


 隣では、すらすらとペンを滑らせる友達の手が、視界の隅を行き来していた。


「今、思い出したんだ。その時さ、確か女の子も一緒にいて、ハルっちの横で仲良く短冊飾ってて。あの子だろ? 見舞いに来てくれた幼馴染ってさ」


 ペンが止まる。黒く濃いシミが、半径を広げるようにして短冊の色を奪っていく。


「……あなたは、何をお願いしたの」


 しばしの沈黙の後、吹っ切れたように笑って、友達は紙を丸めて握りつぶした。


「……内緒。君は?」


 自身の腕は、今までのことが嘘のように滑らかな曲線を描き出す。

 ——思い出したから。何もかも、思い出してしまったから。


「ねえ、ここで短冊に書いた事はね、必ず叶うの。だから、その願いは捨てずに、結んでおいた方がいい」


 私と、ハル君の運命が狂ったあの日。私は確かに空に願った。純真無垢な思いを短冊に乗せて「会いたい」と願って、それが思わぬ形で叶ってしまった。

 同じあやまちは、もう繰り返さない。ハル君の思い通りになんて生きてやらない。

 絶対に、こんな結末は許さない。


「——ありがとう。夢から、覚まさせてくれて」


 行かなければ。どこに……? そんなの、知った事じゃない。ただ、本能が、魔法少女としての勘が、前へ進めと告げている。


「この短冊、よかったら、あなたのものと一緒に飾っておいて」


 返事も待たず、足は会場の外へと引っ張られるように躍動していた。


「……なーんだ。奇遇じゃんか」


 田中の手元には、「戻りたい」と書かれた短冊と、「戻ってこい」と書かれた短冊が、寄り添うかのように重なっていた。


 神社から飛び出す寸前、すがるように誰かが服の袖を掴む。


「……どこに、行くつもり?」


 見れば、彼の両親が、不安げな表情で立ち尽くしていた。彼には前科がある。いだいて当然の感情だ。

 ……その優しさを、羨ましく、今では微笑ましく思う。


「少し用事が出来たんだ。大丈夫、すぐに帰るから。父さんと母さんは、先に家に帰ってて」


 袖から、するりと手が離れた。震える小指を差し出して、母は諦めたように笑顔を作る。


「約束、出来る……?」


 全て元通りに。ハル君の日常を、この手で取り戻してみせる。その決意は、どんな誘惑の前にも決して揺らぐことはない。


「うん、約束」


 小指を絡めたその瞬間は、嫉妬したくなるほど、記憶にぬるくこびりついた。指に残る体温を、崖を降りる最中さなか、何度も何度も握りしめてははやる足に力を込める。

 視線の先に広がる海が、暗闇の中で何かを反射してかすかに明滅していた。


「着いた……砂浜っ……!」


 息が上がるのもお構いなしに、月光を背に立つ二つのシルエットめがけて一歩踏み込む。


「ん、何だおまっ……!」


 吹き飛ぶ液体のようなシャドーと、意識の消えかけた私の体。波打ち際まで転がり、私達二人の意識は揉みくちゃに混じり合う。

 ……大丈夫。まだ、魔核は犯されていない。


「な……なんで、意識戻ってんだ。キミはっ! 一体何なんだよォ……!」


 砂の張り付いた頬を払って、彼を水辺からおもむろに抱き上げる。小指の温もりは、こんな水一つでは奪えない。誰にも、奪わせはしない。

 久方ぶりのハイヒールを確かめるように踏み締めて、私はそっと視線を上げた。


「決まってるでしょ? ——魔法少女よ」

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