第20話 姉

 少女は、空を仰いで呆然と砂浜に立ち尽くしていた。

 その瞳から、一滴の涙がこぼれ落ちる。


「……誰?」


 靴底が砂をかき分ける音で、少女はゆっくりと首だけをこちらに向けた。


「お前か。コハクを殺した、魔法少女狩りってのは」

「……へえ。お仲間ってわけ? アイツの」


 俺の言葉に、彼女は口角を歪めてそう呟いた。


「殺した。殺した、ね。……ウケる。違うじゃんね。そっちじゃん、ヒトハねえ、殺したのはさぁ!」


 魔法少女狩りは二人組だとフライに聞いていたが……そうか。コハクが片方を道連れにしたのか。

 肩を小刻みに震わせて、魔法少女狩りのビキニ女は、両の拳を固く握りしめる。


「……でもいいや、見つかったし。とびっきり、新しいのが」


 瞬間、視界から彼女は消え、妙に湿った手のひらが後ろからピタリと頬に張り付いた。


「ねー、責任とってさぁ——キミ、あーしの姉貴になってよ」

「……っ!」


 慌ててその手を振り払い、すぐさま背後に向かって蹴りを入れる。手応えは、ない。


「キャハッ、怖ーい。そんな顔しないでよ、ア、ネ、キ。そうだ、呼びにくいから名前教えてー。ちなみに、あーしはフタバね。よろ」

「……どっちも、断る!」

「あそ、残念。やっぱり、無理矢理やるしかないかな」


 彼女はそうこぼすやいなや、海の方角へと手を伸ばし、水のむちを引きずり出して振るった。

 鞭で打たれた地面は抉れ、新たな地層が顔を出す。


「イカれてる……! 仮にもお前の家族だろ。死んで、そんな簡単に切り替えられるかよ普通!」

「あー、ヒトハ姉のこと言ってんの? 大丈夫だよ……アイツもだしっ!」


 追随するように放たれる、いくつもの水の刃。攻撃の雨をすり抜け近づくが、今度は鞭自体が猛威を振るう。


「クソッ、隙が見つからない!」


 相手は水使い。海という膨大な武器を備えたこの場所は、こちらには不利でしかない。


「しぶといねー、キミ。おとなしく体、差し出しちゃいなよ。悪いようにはしないからさぁ」


 踏み込んだ一瞬を狙って、枝分かれした鞭が不意に手足へと絡みつく。しまったと思った時にはもう遅い。


「ほら、つかまえたー」


 ゆっくりと歩み寄るフタバの目は、夜よりも深い闇を帯びて黒々と輝く。

 ……賭けではあるが、もう手段を選んではいられない。


「諦めた? 言うこと聞く気になった? でもねー、もうおせぇんだよ。泣いて謝ったってやめてやんねー! ……あ、魔法少女は泣けないんだっけか、メンゴメンゴ」


 距離は僅か数センチ。フタバの手が、顔に伸びる。

 この時を、待っていた。


「……は?」


 二の腕から先が、乾いた音を立てて砂浜に落ちる。瞬間、耐え難いほどの風圧がフタバの体を襲った。


『考えたね、ハル君。——変身解除からの、再変身だなんて』


 四肢を拘束していた水は、変身時の衝撃で跡形もなく吹き飛んでいる。


「このっ……クソアマがぁ……!」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」


 ハイヒールに力を込め、顎を思い切り蹴り上げた。脳を貫通する光。

 勝った。そう思った瞬間だった。


「——キャハ、キャハハ、キャハハハッ!」


 貫いたはずの頭が、ドロリと溶けてうごめいた。残る腕から口を生やして、化け物は不快な笑い声を上げる。


『こいつ……魔核が頭にない。それだけじゃない。契約した制御蝶すら、見当たらない』


 切断した腕は、未だに再生する気配もない。

 フタバの体はまるで、水のようにぬらりと揺れて、形を保てないままにしたたっていく。


「魔法少女ってさー、ホント馬鹿で健気で、超可愛いよねー! ああ、ムリ……食べたくなっちゃうぅ……ダメダメ、我慢しないと」


 そこから先の光景を、俺が知ることはない。


『まさか。知性を持つシャドーが、この世界に存在するなんて。そんな』


 ——その声を最後に、俺の意識は沈んでいった。

 深く、暗い、海の底へと。

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