第16話 祭

 海風に揺れる短冊が、木漏れ日の中、一際鮮やかな色を差す。


「そうか……。そういえば、もうすぐか」


 休日を利用して、俺は事故の現場である崖付近へとおもむいていた。


『もうすぐって、何がだい?』

「七夕だよ。ここいらの地域では七夕祭りって言って、願い事を書いた短冊をその辺の笹に結んだり、そこの神社でお参りしたりするイベントがあるんだ。ま、いわゆる夏祭りってやつだな。屋台も出るし」

『ああ……もうそんな季節なんだね。すっかり、忘れていたよ』


 ここに来れば、何かが掴めるような気がしたのだが……。ダメだ、やっぱり、何一つ思い出せない。


「……ん?」


 忘れていた、というフライの言葉が、意識の底で妙に引っかかった。まるで、一度は聞いたことがあるとでも言いたげな口ぶりだ。


「もしかして、フウも何か言ってたか? 七夕の話」

『さあ、どうだろうね。……でも』


 未だ道路に残るブレーキ痕に、一羽の光がふと舞い降りて、その羽を休めた。


『好きだった、と、こぼしていたような気がするよ』


 突風が、髪を巻き上げ自身の頬を叩く。

 ひるがえった短冊の「戻りたい」という願いが嫌に目について、思わず顔を背けていた。

 何もかも、風のせいにしてしまいたかった。


 梅雨明け特有の暑さが、じっとりと肌に張り付いている。流石にふもとまで徒歩で降りる気にはなれず、足は自然と、神社前のバス停に向かっていた。


「もし、そこの可愛いお嬢ちゃん」


 ベンチに腰掛けようとしたところで突然肩を叩かれ、驚きのあまりひっくり返りそうになる。声のする方へ振り向けば、ほうき片手に目を細めて笑う巫女姿の老婆が立っていた。


「ああ、やっぱり! 久しぶりだねぇ……いや、本当に久しぶりだ。ずっとお祭りに来てくれていたのに、少し前からぱったりこなくなって、あたしゃ心配してたんだよ」

「あ……あのー、どちらさまで……」

「なんだい、忘れちゃったのかい? 悲しいねぇ。時の流れってのは、残酷なんだねぇ……」

「あー、すみません! そう言うのじゃなくって、その……ちょっと諸事情で、記憶喪失になってしまいまして」


 あながち嘘でもないのだが、咄嗟とっさに言い訳じみたことを口走ってしまい、なんだか後ろめたい気分になる。


「まあ、なんてこと……! ごめんねぇ、知らなくて。若いのに大変だったんだね。あたしゃ、そこの神社の神主やってるものだよ」

「神主さん……ですか?」

「そうそう。お嬢ちゃん、ちっちゃい頃からお祭りの時期になったら毎年来て、近所のガキンチョと遊んでたからね。よく覚えてるんだ」


 少しだけ頬が緩んだ。フウにも、そんな時代があったのか。


「でもねぇ……確か二年前はそのガキンチョがいつまで経っても来なくてね。お嬢ちゃんはそいつを探そうとしたんだけど、結局親御さんに連れられて帰っちゃったのさ。全く、酷い男だよ。女の子ほったらかして、どこほっつき歩いてたのかねぇ」


 二年前。俺が記憶を失ったのも、確か、ほぼそのあたりだ。

 そうだ、どうして思い出せなかったんだろう。医者の話では、事故に遭った日はちょうど、七月七日。間違いなく、七夕祭りが行われていた日じゃないか。


「あの、その男の名前って……わかったり、しますか」


 ああ、そうか。嘘じゃ、なかったのか。

 フウは、本当に——。


「確か……お嬢ちゃんは、『ハル君』って読んでたかねぇ」


 俺の、幼馴染だったのか。

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