第10話 魔

 口からこぼれた液体は、日差しを受けてぬらぬらと鮮やかに燃える。

 視界に広がる、赤、赤、赤。西日の眩しさも忘れてしまうほどに、網膜が血の色に焼けていく。


「あ、はは……ヤッ、ちゃった」


 コハクの体は、踊る炎にでも包まれたように、情熱的なフリルで彩られていた。


『……魔力の暴発、か。彼女の制御蝶フライは一体、何をやっているんだ』


 苦しそうに嘔吐えずきながら、フウは口元の血を拭う。胸元の剣は、いまだに突き刺さったままだ。


「おい……大丈夫、だよな? 確か、魔法少女が壊したものは、魔力で再生するって……そう言ってたよなぁ!?」

『そうだよ。ただしそれは、変身が解けてからの話。それに、どんなに魔力をかき集めたとしても、失われてしまった魂までは再生不可能だ……手遅れとなってしまえば、ね』


 それはつまり……魔法少女も、その気になれば人を殺せるという答えに他ならない。その単純明快な事実が、恐怖となって全身を這い回る。


「コハク、頼むコハク! 変身を解け、今すぐに!」

「だだだ大丈夫っ! 魔法少女ってね人の記憶に残りにくいようになってるからだから燃やして証拠隠滅すれば絶対にバレないんだよ大丈夫やったことあるからここはアタシにまかせて大丈夫」


 ダメだ、話が通じない。錯乱しているのか、焦点の定まらない瞳は、ゆらゆらと危うい光を宿している。

 それに、「やったことがある」だって? まさか、以前にも人を……?


『考えるのは後にしよう。相手にその気がない以上、力ずくで変身を解かせるしか方法はない』

「……クソッ!」


 変身の衝撃によって周囲の机は吹き飛び、窓ガラスが風圧で激しく軋む。

 レーザーの如く放った渾身の蹴りは鳩尾みぞおちに鋭く突き刺さり、コハクの体を黒板の方まで軽々と吹き飛ばした。


「あは! いいねいいね、楽しいね! これだから、魔法少女はやめられない……!」


 はりつけにされてなお、コハクは瞳をたぎらせて笑う。残念なことに、効いているような気配は一ミリもない。


「お友達だから特別に選ばせてあげる! 右手、右足、左手、左足……ねえ、どこから灰にされたい!?」

「——そんなの、全部お断りだよ!」

「それはっ! すっごく残念!」


 俺のためにも、何よりフウのためにも、体に深々と突き刺さった剣を、今抜かせるわけにはいかない。

 隙あらば伸ばされるコハクの手を必死に払いのけ、カウンターを狙う。その度に、腕や足が着々と削られていくのを感じる。それなのに、こちらがいくら攻撃を仕掛けてもまるで手応えはない。

 ……このままじゃ、ジリ貧だ。


「もう、邪魔だなぁ! そんなにその男が大事? それって、友達よりも大切!?」


 千切れかけの足を不意に蹴り飛ばされ、思わずバランスを崩してしまう。

 炎をまとった正拳突きが顔面にぶち当たる寸前、体を引かれ、なんとかギリギリでかわすことが出来た。


「……ま、を……って……!」


 血に溺れ、かすれたささやきが耳元を撫でる。


「このっ……! 汚い手でアタシのフウちゃんに触るな!」


 そうか、どうして今まで気がつかなかったんだろう。散々、ヒントはあったじゃないか。


『ハル君、僕が彼女の過剰な魔力を君に流して制御する。だから……』

「ああ、わかってる!」


 入れ替わってから目覚めた瞬間、そして、教科書で叩かれたあの時。

 今まで魔法少女として過ごす中で、唯一感じた痛みの記憶。


(——あたまを、狙って——!)


 息も絶え絶えとなりながら、フウは確かに、俺を助けてくれた。それがたとえ、己のためだけの行動だとしても……構わない。

 絶対に、二度と、死なせたりなんかしない!


「これが、俺の、答えだ……っ!」


 飛びかかってきたコハクの足を、残る右足で払い、そのまま胸ぐらを掴んで頭突きをかます。

 痛い。それでいい。それこそが、魔法少女の弱点である何よりの証明となる。


「っ今!」

『コネクト完了。流すよ、耐えて!』


 膨大な魔力が、よどんだ感情を乗せて脳天から爪先までほとばしる。

 目の前が酷くまぶしい赤に弾けて、そこで俺の意識はプツリと途切れた。



 ——あたしは、魔女の子でした。

 ママは、この村一番の美しい魔女でした。

 だからでしょうか。散々引きずり回されて。殴られて、蹴られて、男共にいいようにされて。

 ママはあたしの隣で、無様にも火刑で死にました。自分勝手な村の連中に、心も、体も、殺されました。

 その瞬間、アタシは、やめました。

 でいることを、辞めました——。

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